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Fランクポーターの俺、配信切り忘れで「虚無顔でボスを瞬殺する姿」が全国放送されてた件。今さら「ただの荷物持ち」とは言えない  作者: 伊達ジン


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第17話 絶対防御『超次元収納』

「……えっ、マジかよ。これ俺の敷金から引かれないよな? 特殊な防壁ガラスとか言ってたし、絶対弁償で数百万とか飛ぶやつじゃん……。伊藤さん、ギルドの経費で直してくれるって言ってたよな?」


 口からこぼれたのは、命を狙われている人間のそれではなく、賃貸物件を破壊された借主としての極めてリアルで切実な絶望だった。

 悠作は完全にピンク髪の女――フレヤを視界から外し、着の身着のままの作業着のポケットをごそごそと探り始めた。まずはギルドの担当者に電話して、この惨状の責任の所在をはっきりさせなければならない。

 自分の名乗りと宣戦布告を完全に無視され、フレヤのこめかみにピキッと青筋が浮かんだ。


「アタシの言葉、無視するなんていい度胸ネ!」


 フレヤの堪忍袋の緒が切れた。彼女のグラマラスな肉体から、周囲の空気を物理的に歪ませるほどの膨大な魔力が噴き出す。

 ピンク色の熱波が嵐のようにリビングを吹き荒れ、高級なペルシャ絨毯の表面がチリチリと焦げ始めた。室温が急激に跳ね上がり、呼吸をするだけで喉が焼けつくような熱を帯びる。

 A級上位、実質S級クラスとも言われる彼女の魔力を全開にした『爆炎の右ストレート』。

 マンションのワンフロアを丸ごと消し飛ばすほどの火力が、彼女の右拳に極限まで圧縮され、チカチカと危険な閃光を放ちながら悠作の顔面へと真っ直ぐに迫る。

 その圧倒的な死の気配を前にして、悠作はようやくポケットから見つけた安物の煙草を一本取り出し、ゆっくりと口にくわえた。


「あー、火災報知器鳴ると警備員が来てめんどくさいんだよな……」


 ひどく気怠げなため息が漏れる。

 直後、ドゴォォォンッ!という轟音がマンション全体を揺らすはずだった。

 しかし、フレヤの拳が悠作の鼻先に直撃する寸前。

 灼熱の炎も、空気を裂く衝撃波も、莫大な運動エネルギーも。そのすべてが「スッ……」という微かな、炭酸の泡が弾けるような音と共に消失したのだ。


「は? ……What?」


 フレヤは大きく目を見開き、何かに弾かれたわけでもなく、ただ空を切った自分の右拳を凝視した。

 悠作とフレヤの間には、物理的な壁など何も存在しない。だが、フレヤの放った致死の暴力は、悠作の顔面から数センチ手前の空間で、まるで目に見えない深い穴に飲み込まれたかのように、熱も音も光も残さず完全に消え去っていた。


「ワ、What’s happen!? アタシの炎が消えた!?」


 自分の全力が文字通り『無かったこと』にされ、フレヤの闘争本能に完全に火がついた。


「ナメるなァッ!」


 短いステップから、怒涛の連続攻撃が繰り出される。

 音速を超える回し蹴り。至近距離からの連鎖爆発魔法。大気を震わせる魔力障壁の破城槌。

 リビングの空気が悲鳴を上げるほどの猛攻。強烈な閃光と衝撃が次々と生み出されるが、どれだけ撃ち込んでも、悠作の周囲数センチに存在する見えない境界線に触れた瞬間、すべてのエネルギーがフッと吸い込まれ、無に帰していく。

 荒れ狂う熱風の余波すら、悠作の前髪一本揺らすことはない。

 その間、悠作はくわえた煙草に百円ライターでカチッと火をつけ、ふぅーっと細く紫煙を吐き出していた。


「あ、アニメ終わっちゃった。チャンネル変えよ」


 悠作は眼前で繰り広げられるフレヤの必死の猛攻を完全に放置し、右手でテレビのリモコンをポチポチと操作して深夜のバラエティ番組に切り替えた。


「フンッ! ハァッ! シィッ! ……ッ、ノーダメージ!? オーマイガー、ユーは一体なんなのネ!?」


 数分間、持てる限りの手札をすべて叩き込み続けたフレヤが、ついに息を切らせて膝に手をついた。肩が大きく上下し、額からは大粒の汗が流れ落ちている。

 悠作は携帯灰皿に煙草の灰を落とし、ソファから「よっこらせ」と立ち上がった。


「終わった? あー、なんか腹減ったな」

「……What?」

「さっき肉食ったばっかだけど、お前が横でバタバタ動くから、なんか釣られて小腹空いたわ。寿司でも食いに行くか」

「スシ!? 今アタシたち、デスマッチの最中ネ!!」


 悠作は文句を叫ぶフレヤを放置して、テーブルの上の財布を無造作に作業着のポケットに突っ込み、玄関へと歩き出す。サンダルを突っ掛けてドアノブに手をかける背中に、フレヤは呆然としながらも、「逃がさないヨ!」と慌てて後を追った。


 向かったのは、VIPマンションから歩いて数分の路地裏にある、赤提灯が灯るこぢんまりとした大衆鮨屋だった。

 フリーターである悠作が、パチンコで勝った時や給料日にだけ通っていた行きつけの店だ。色褪せた暖簾をくぐり、ガラガラと引き戸を開けると、ほんのりと甘い酢飯の匂いと、魚の出汁が効いたあら汁の香りが鼻をくすぐる。


「お、鈴木くん。久しぶりだね。今日はえらく派手なべっぴんさん連れじゃないか」


 ねじり鉢巻をした大将が、カウンター越しに包丁を拭きながら気さくに声をかけてきた。


「大将、とりあえず生。あと鰹のはらす握って。ニンニク多めで」


 悠作はパイプ椅子に腰掛け、隣に立ったまま周囲を警戒しているフレヤを無視して注文した。


「ヘイ! 勝手に休憩タイムに入らないでヨ! アタシを誰だと――」


 ドンッ、と大将がカウンターに置いたよく冷えた生ビールのジョッキを、悠作は一気に半分ほど煽った。喉仏が動き、ゴクゴクと心地よい音が鳴る。


「ぷはっ。……ああ、生き返る」

「聞いてるネ!?」

「お前もうるさいから座ってなんか食えよ。ここの鰹、安くて美味いぞ」


 大将が木製の下駄の上に、艶やかな赤身に美しいサシが入った鰹のはらすの握りを二貫置いた。

 悠作は刷毛で少しだけ醤油を塗り、薬味のニンニクと生姜が乗ったそれを一口で放り込む。濃厚な脂の甘みと、薬味のパンチの効いた香りが口いっぱいに広がり、鼻腔を鮮やかに抜けていく。悠作は至福の表情で目を細め、脂を洗い流すように再びビールを流し込んだ。

 フレヤはまだ文句を言いたげだったが、空きっ腹に響く酢飯の匂いと、目の前の男のあまりにも無防備な美味そうな食べっぷりに毒気を抜かれ、渋々隣のパイプ椅子に腰を下ろした。

 半信半疑で、自分用の下駄に出されたもう一貫の握りを口に運ぶ。

 モグ、と咀嚼した瞬間、フレヤはカッと目を見開いた。


「……オーマイガー! なにこれ、デリシャス!! 口の中で溶けたヨ!」

「だろ。大将、次はアジとイカ。あと日本酒を冷やで。一番辛口のやつ」


 悠作はジョッキを空け、店員がコップから溢れさせて升になみなみと注いでくれる日本酒へと移行する。


「次、あの黄色いのプリーズ! あと、赤いイクラも!」


 フレヤもすっかり怒りとデスマッチの目的を忘れ、ショーケースの中を指差しながら次々と注文し始めた。ノルウェー出身の彼女にとって、江戸前の繊細な仕事が施された新鮮なネタは、未知の美食体験だった。

 日本酒を二合空けた後、悠作は芋焼酎のロックへとチャンポンしていく。

 カラン、と氷がグラスの中で鳴る音。大将の威勢のいい相槌。テレビから流れる深夜のニュース番組の音声。

 つい先ほどまでマンションの一室で繰り広げられていた規格外の魔力と殺意の応酬など、狭くて騒がしい大衆鮨屋の喧騒の中に、すっかり溶けて消え去っていた。


 一時間後。

 すっかり飲み食いしてマンションの部屋に帰ってきた二人。


「あー、食った食った。大将、おまけであら汁まで出してくれたしな」


 悠作は玄関でサンダルを脱ぎ捨ててリビングに入る。

 ベランダのひしゃげた窓枠からは、秋の冷たい夜風が容赦なく吹き込んでいた。ソファの下に隠れていたフェンリルの幼体が、おずおずと這い出してきて悠作の足元にすり寄ってくる。悠作は屈んで、そのふわふわとした頭を乱暴に撫でた。


「寒っ。明日、朝イチで伊藤さんに電話して業者呼ばねえと風邪引くわ」


 悠作はぶつぶつと文句を言いながら、リビングの壁際に鎮座する巨大なガラスキャビネットを開けた。そこから取り出したのは、『サントリー白州蒸留所』のラベルが貼られたシングルカスクのモルトウィスキーだ。

 重厚なロックグラスに、冷凍庫から出した丸い氷を入れ、琥珀色の液体をトクトクと注ぐ。

 ソファに深く腰掛け、グラスを傾ける。ピート香と深い樽の香りが鼻腔を抜け、鮨屋でチャンポンした酒の安い余韻を、上質な静寂で上書きしていく。

 窓の外からは、遠くを走る車のエンジン音が微かに聞こえるだけだ。

 フレヤは部屋の中央に立ったまま、グラスを揺らす悠作の横顔をじっと見つめていた。

 しばらくの沈黙の後、彼女は大きくため息をつき、ひどく疲れたような足取りで悠作の隣のソファにどさりと腰を下ろした。


「……ユー、アタシにもそれ、一杯注ぐネ」

「あ? 自分でやれよ。グラスはそこの棚だ」


 悠作は視線をテレビに向けたままそっけなく返し、再びウイスキーを一口含んだ。冷たい秋風が部屋を吹き抜ける中、カランと、グラスの中で氷が静かに溶ける音だけが響いていた。

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