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Fランクポーターの俺、配信切り忘れで「虚無顔でボスを瞬殺する姿」が全国放送されてた件。今さら「ただの荷物持ち」とは言えない  作者: 伊達ジン


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第16話 最強の引きこもりと、海を越えてきた戦闘狂

 備え付けられた巨大なシステムキッチンの天板は、重厚な大理石でできていた。

 ずらりと並んだ見たこともない海外製のスパイス瓶や、ボタンが多すぎて直感的に操作できない最新型のオーブンレンジを一瞥し、鈴木悠作はそれらを完全に無視した。

 選んだのは、一番手前にあるIHヒーターと、シンク下に収納されていたシンプルな薄っぺらいフライパンだ。

 焼いているのは、先ほどギルドの職員が冷蔵庫の奥深くに補充していった、見事な霜降りのA5ランク和牛である。

 包丁で食べやすいサイズに切り分ける手間すら惜しみ、悠作は巨大なステーキ肉をそのままフライパンの中央に放り込んだ。味付けは、戸棚の奥から見つけたありふれた粗塩とコショウのみ。

 それでも、熱せられた鉄板に触れた瞬間、じゅわぁぁっと上質な脂が溶け出す澄んだ音が鳴り、暴力的なほど食欲をそそる濃厚な肉の匂いが、無駄に広いリビングの隅々にまで満ちていく。


『ワフッ! ワンッ!』


 不意に足元から、自己主張の強い短い鳴き声がした。

 視線を落とすと、ギルドの医務室で注射の恐怖を乗り越えた黒い豆柴――フェンリルの幼体が、短い後ろ足でプルプルと立ち上がり、前足を悠作の膝にかけようと必死に背伸びをしている。

 つい先ほど、伊藤みのりからもらった最高級の特製ビーフジャーキーを腹の限界まで詰め込んでいたはずなのだが、A5ランク和牛の焼ける匂いに、野生の食い意地が再び強烈に刺激されたらしい。額の一本角を揺らしながら、フェンリルは「それもよこせ」とばかりに黒い鼻をひくつかせ、もう一度力強く吠えようと大きく口を開けた。


『ワ……キャ、くぅぅ……』


 しかし、限界まで膨れた腹がもたらす強烈な睡魔が、食欲をわずかに上回ったらしい。

 要求吠えの途中でフッと糸が切れたようにまぶたを落とすと、立ち上がっていた体勢のままズルズルと床に滑り落ちた。そして、前足を少し前に投げ出した無防備な格好のまま、数秒後には「すぅ、すぅ」と静かな寝息を立て始めた。


「……食い意地張ってんのか眠いのか、どっちかにしろよ」


 悠作は呆れたように息を吐き、焼き上がった和牛を皿にも移さず、菜箸で乱暴につまんで直接口に放り込んだ。

 溶けた。


「……っ!」


 なんだこれ。いつもの特売肉と同じ塩コショウだけの味付けなのに、次元が違う。噛む力すら必要なく、肉の甘みと旨味が濁流となって口いっぱいに広がり、胃の腑へと滑り落ちていった。

 悠作は無言のまま、二口、三口と分厚い肉を咀嚼して飲み込んだ。

 ふと、壁に掛けられたモダンなデザインの時計に目をやる。

 時刻は十六時四十五分。

 巨大な冷蔵庫を開ければ、まだ数日分は余裕で持つであろう高級食材がぎっしりと詰まっている。減ればギルドが勝手に補充してくれる。家賃も、光熱費も、すべてタダだ。


「……最高だ」


 フライパンに残った肉汁を見つめながら、悠作の口から心の底からの実感が漏れた。

 そのまま視線を上げ、ベランダの大きな窓越しに、遠くの街並みに紛れて小さく光る『ライフマート』の四つ葉の看板を見つめる。


「だが、明日の卵の特売には絶対に行く。MLミックス卵、一人ワンパック限定九十八円を見逃す手はない。……それまでは、ここでアニメの再放送でも見てダラダラ過ごすか」


 高級肉を食ったからといって、特売の卵を諦める理由にはならない。

 確かな決意を胸に秘めつつ、悠作はリビングの中央に鎮座する巨大なソファへと、重い身体を深く沈み込ませた。


★★★★★★★★★★★


 羽田空港の国際線到着ロビー。

 自動ドアが左右に開き、一人の女性が姿を現した瞬間、その場にいた一般客たちは本能的な危機感を覚えて無言で道を空けた。

 燃えるような、ド派手なピンク色のロングヘア。

 鍛え抜かれたグラマラスな肉体を惜しげもなく晒す、露出の多いスポーツウェア。

 ノルウェーが世界に誇るA級上位探索者、フレヤ・ヨネル。

 すれ違う誰もが思わず振り返るほどの圧倒的な美貌と、一見して近寄りがたい強烈なギャルオーラを放つ彼女は、周囲の視線やひそひそ話など一切気に留めることなく、手元のスマートフォンの画面にじっと見入っていた。

 画面の中で再生されているのは、例の『虚無ニキ』の配信映像の切り抜きだ。


「Oh……アメイジングね」


 フレヤは映像がループするたびに、口角を凶悪に吊り上げた。


「何度見ても、全く魔力の動きが読めない。ただのフィジカル? ノー、あり得ないわ。画面越しでも伝わってくるこれほどのプレッシャー、あの氷の巨神を相手にした時以来ネ」


 彼女の来日の目的は、日本のダンジョン攻略でもなければ、メディアへの出演でもない。

 ネットの海を回遊していたこの得体の知れないサムライの映像を見て、闘争本能がどうしても抑えきれなくなり、ただ拳を交えるためだけにプライベートジェットを飛ばしてやってきたのだ。


「待ってるネ、キョムニキ。アタシが極上のパーティーをプレゼントしてあげる」


 フレヤはキャリーケースを引くこともせず、手ぶらのままタクシー乗り場へと軽快な足取りで向かっていった。


★★★★★★★★★★★


 探索者ギルド日本支部。

 常に喧騒と怒声に包まれているエントランスホールが、今、奇妙な静寂に支配されていた。


「ヘイ! 受付のお姉さん! あのサムライ……キョムニキはどこネ!?」


 受付カウンターに響き渡る、少し訛りのある明るい声。

 遠巻きに見ている探索者たちは、冷や汗を流しながらヒソヒソと囁き合っている。


「おい、あれ『ピンクの爆炎』じゃないか……」

「なんでノルウェーのトップがここに……?」


 カウンター越しに身を乗り出して詰め寄るフレヤに対し、受付嬢の伊藤みのりは、引きつりそうになる頬の筋肉を必死に抑え込み、営業用の完璧な笑顔を顔面に貼り付けていた。


「ようこそ日本支部へ、フレヤ・ヨネル様。大変申し訳ありませんが、特定の探索者様の個人情報や現在地につきましては、規定により一切お答えすることができません」


 みのりのプロフェッショナルな対応に、フレヤはチッと短く舌打ちをした。


「ケチね。せっかくアタシから挨拶に行こうと思ったのに」

「手続きを踏んでいただければ、面会の申請を出すことは可能ですが……」

「ノーサンキュー。そんなまどろっこしいの、性に合わないネ。これだけ規格外のストロングマンなら、隠れててもすぐに分かるネ」


 フレヤが、ゆっくりと目を閉じた。

 直後。

 彼女の体から、物理的な風圧を伴うほどの膨大な魔力が波紋のように広がった。まるで深海の底に沈められたような水圧がホールを満たす。

 エントランスの窓ガラスがビリビリと悲鳴を上げ、近くにいたB級探索者たちがたまらず膝をつき、顔を歪める。フレヤの放った高度な魔力探知の波は、ギルドの建物を容易くすり抜け、東京の街全体を舐めるようにスキャンし始めた。

 わずか数秒後。

 フレヤはパッと目を開き、都内の一角――ギルドが極秘裏に用意したVIPマンションがある方角を正確に見据えた。


「……ビンゴ。見つけたネ。とびきり巨大で、とびきり静かな魔力の塊」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってくださ――」


 みのりが制止の声を上げた時には、すでに遅かった。

 フレヤは軽く膝を曲げると、その足裏にすさまじい熱量の爆炎を発生させた。

 ドゴォォォンッ!!

 鼓膜を破るような爆発音と共に、ギルド本部の分厚い防護用ガラス扉が、枠ごと粉々に吹き飛ぶ。

 推進力を得たフレヤの体は、文字通りロケットのように一直線に空の彼方へ飛んでいき、エントランスにはピンク色の魔力の軌跡と焦げ臭い匂いだけが残された。

 警報のサイレンがけたたましく鳴り響き、粉々になったガラスの雨が降り注ぐ中。

 残されたみのりは無言でデスクの引き出しを開け、常備している胃薬のシートを一枚取り出した。そして、アルミ箔を破って錠剤を取り出すと、水も飲まずにガリガリと噛み砕いた。


「……経費で、落ちますよね、これ」


 虚空を見つめながら、みのりは誰にともなく呟いた。


★★★★★★★★★★★


 十七時十五分。

 悠作はふかふかの高級ソファにだらしなく体を預け、壁掛けの巨大な有機ELテレビで夕方のアニメの再放送を眺めていた。

 足元では黒い子犬が完全に熟睡しており、時折「くぅ」と寝言を漏らしている。

 エアコンの効いた快適な室温。満腹の胃袋。誰からも急かされない時間。


「……やっぱ、引きこもるに限るな。明日の卵の特売時間までは、一歩も動かんぞ」


 あくびを一つ噛み殺し、チャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばした、その瞬間だった。

 ピーーーーッ!

 突然、マンションの部屋全体に耳障りな電子音が鳴り響いた。窓際の天井に設置された赤いランプが激しく点滅する。


「なんだ?」


 悠作が怪訝そうに眉を寄せた直後。

 ベランダの窓――S級魔物の突進にも耐えうるはずの「対魔物クラスの防壁」が施された分厚い強化ガラスが、外側からの凄まじい熱と衝撃によって、一瞬でひび割れた。

 ドバァァンッ!!

 耳を劈く爆音と共に、強化ガラスが部屋の内側に向かって派手に吹き飛ぶ。

 熱風がリビングを通り抜け、遮光カーテンが引きちぎれるように舞い上がった。寝ていたフェンリルが跳ね起き、尻尾を巻いてソファの下へと転がり込むように潜り込む。

 もうもうと立ち込める爆煙。

 その向こう側から、ひしゃげたベランダの手すりを蹴り越えて、一人の人影がリビングへと降り立った。

 煙が晴れると同時に現れたのは、ド派手なピンク髪と、露出の多い服を着た女だった。

 彼女は悠作の顔を見ると、極上の獲物を見つけた肉食獣のようにニヤリと好戦的に笑う。


「ユーが虚無ニキね! さあ、アタシとデスマッチするネ!」


 舞い散るガラス片の中で、悠作は右手にテレビのリモコンを持ったまま。

 完全に死んだ魚の目で、突如現れたその女を見つめ返した。


「……は?」

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