第12話 神業のゲームプレイと愛玩魔狼
「あー、動くの遅ぇなこのキャラ……もっさもさじゃん」
紙袋を被った鈴木悠作は、目の穴の隙間から煙草の煙を吐き出しながら、ひどく面倒くさそうにぼやいた。
彼の親指が倒し込まれたアナログスティックに従い、画面の中の重厚な鎧を着たキャラクターが、暗い牢獄のチュートリアルエリアを一切の躊躇なく進んでいく。
悠作のカンストした基礎ステータスがもたらす異常な動体視力と反射神経からすれば、ゲーム内のキャラクターの動きなど、まるで水飴の中を這いずり回るかのようにノロく見えていた。
画面の中で、曲がり角から突然スケルトンが飛び出し、錆びた剣を振り下ろしてくる。いわゆる「初見殺し」の罠だ。
悠作の親指が、コントローラーのボタンを無造作に、ただ一回だけ弾くように押した。
ガィィィンッ!
甲高い金属音と共に、スケルトンの攻撃が弾き返される。完璧なタイミングでのパリィだった。受付フレームはわずか数十分の一秒。
そのまま流れるような致命の一撃を叩き込み、スケルトンは骨の山となって崩れ落ちた。
「ん、これタイミング合わせりゃ全部弾けるのか」
悠作はそのまま足を止めることなく、次々と襲いかかってくる罠や敵の死角からの奇襲を、ことごとく完璧なパリィと最小限のステップ回避で無効化していく。
ダメージはおろか、立ち止まることすら一度もない。まるでこのゲームを何百時間もやり込み、全ての敵の配置と攻撃パターンを脳に焼き付けているTAS動画のような、異常なプレイだった。
[は?]
[えっ、ちょ、えっ?]
[今のアレ、全部初見でパリィしてんの?]
[いやいやいや無理だろ。俺あそこで三〇回死んだぞ]
[動きに一切の迷いがない]
[虚無ニキ、ゲームでも最強なのかよwww]
チャット欄のスクロール速度がさらに跳ね上がり、驚愕のコメントが滝のように流れ続ける。
だが、そのチャット欄の熱狂をよそに、悠作のすぐ隣に座っている高橋すずの脳内は、全く別のベクトルで完全に沸騰していた。
(お師匠様のお部屋で、休日の朝から隣に座って、一緒にゲーム画面を眺めてる……。肩が、肩が触れ合っちゃいそうな距離……っ!)
すずは自分の頬が熱を帯びていくのを自覚していた。
彼女にとって、これはただのゲリラ配信ではない。大好きな推しである『お師匠様』のプライベート空間に入り込み、休日を共に過ごすという、実質的な「お家デート」なのだ。
画面の外で、すずは悠作の作業着の袖に少しだけ自分の服の裾を擦り寄せ、バレないように口元をニヤケさせていた。
汗の染み付いた作業着と、かすかな煙草の匂い。普段の清潔なアイドル界隈では絶対に嗅ぐことのない、むせ返るような生々しい生活感すらも、今のすずにとっては致死量のフェティシズムとして脳髄を刺激してくる。
「お、お師匠様、すごいです! 初見でこの動き、信じられません……!」
「ん? いや、これ敵の攻撃振るのが遅いから、当たる瞬間にボタン押すだけでしょ。作業じゃん」
「作業……っ! あの地獄の難易度を作業と……っ!」
そんなすずの限界オタク特有の身悶えをよそに、ゲーム画面ではあっという間にチュートリアルのボスエリアへと到達していた。
巨大な鉄格子の奥から現れたのは、身の丈の三倍はある大斧を引きずる『処刑人』。
初見のプレイヤーを確実に絶望させるための、圧倒的な理不尽さを誇るボスだ。
処刑人が雄叫びを上げ、大斧を振り回しながら突進してくる。
悠作はくわえ煙草のまま、やはり面倒くさそうにコントローラーを操作した。
「ほら、振りがでかいって」
大斧の致命的な一撃がキャラクターを両断するかと思われた瞬間、悠作の親指がボタンを微かに弾いた。
ガィィィンッ!
画面がスローモーションになり、巨大なボスが体勢を崩す。そこにすかさず致命傷を叩き込む。
ボスの怒涛の連続攻撃。回転斬り。範囲魔法。
その全てを、悠作はミリ単位の位置取りと、完璧なパリィだけで完封していく。紙袋の下の顔は、おそらく欠伸でもしているかのように気怠げなのだろう。コントローラーの操作音だけが、カチャカチャと単調なリズムを刻んでいる。
そして開始からわずか三分後。
一度の被弾すら許さない完全なノーダメージのまま、処刑人は崩れ落ちて消滅した。
「……はぁ。やっと終わったか」
悠作はコントローラーを畳の上にポイと投げ捨てた。
クリアの喜びなど微塵もない。ただの面倒な作業を片付けただけの反応だった。
[ファッ!?]
[ノーダメwww]
[おい、マジかよ……]
[あの理不尽ボスを初期装備でノーダメパリィ撃破とか、トッププロでもキツいぞ]
[このおっさん、反射神経が人間のそれじゃない]
[現実のS級ボスもワンパンして、ゲームのボスも無双するとか、マジでバケモノだろ]
同接数はすでに十万人を突破し、配信プラットフォームの全体ランキングでぶっちぎりの一位に君臨していた。
すずは配信の盛り上がりに「やりましたね!」とガッツポーズを決めかけたが、悠作は「あー、肩凝った」と伸びをし、そのままゴロンと万年床の上に寝転がってしまった。
「おい、ルミだっけ。もういいだろこれ。早く配信切って帰ってくれよ。俺、マジで眠いんだけど」
紙袋を被ったまま横になった悠作の頭が、スマートフォンを固定している三脚にコツンと当たる。
その拍子に、カメラの画角が少しだけ下へとズレた。
今まで画面の外に隠れていた、ちゃぶ台の横の床面が、配信のフレームの中に映り込む。
そこには、廃棄のハンバーグ弁当を腹一杯に食って満腹になり、ヘソを天に向けて完全に大の字で爆睡している、真っ黒な豆柴の姿があった。
短い手足はだらしなく開き、口からは微かにイビキまで漏れている。
最初は、リスナーたちも「可愛い犬がいる」くらいにしか思わなかった。
だが、その配信を見ている数万人のリスナーの中には、現役の探索者や、魔物生態学の有識者たちが多数混じっていたのだ。
[……ん?]
[おい、待て。あの犬]
[額に、一本角が生えてないか……?]
[足先の毛が青く燃えてるように見えるんだけど]
[ちょ、ちょっと待て! あの特徴、マジかよ!]
[おいおいおいおい、嘘だろ!?]
急激に、チャット欄の空気が『驚愕』から『戦慄』へと変わり始めた。
誰もが冗談だと思いたかった。だが、トップVtuberの高画質カメラは、その生物の特徴をあまりにも鮮明に映し出しすぎていた。
[フェンリルの……幼体……?]
[はあああああ!?]
[A級指定の災害級魔物じゃねえか!! なんでアパートの部屋にいんだよ!!]
[街一つ滅ぼすバケモノだぞ!? なんでポメラニアンみたいに腹見せて爆睡してんだよ!!]
[逃げろルミちゃん!! 食い殺されるぞ!!]
[いや、虚無ニキの部屋だぞここ。……まさか、テイムしたのか!?]
[S級の魔竜をワンパンする男だぞ。A級の魔狼くらい、ただの室内犬扱いってことかよ……ッ!]
[次元が違いすぎるwww]
「えっ……あっ、ちょっと!」
すずは画面を埋め尽くす悲鳴とパニックのコメントを見て、慌ててカメラの画角を戻そうと手を伸ばした。
だが、彼女の手がカメラに触れるよりも早く。
「んあ……お前、場所とってて邪魔だ。ちょっとあっちいけ」
万年床で寝返りを打った悠作の足が、爆睡しているフェンリルのぽんぽんに膨れた腹を、無造作にポスッと蹴っ飛ばしたのだ。
[ああっ!]
[A級魔物を足蹴にしたぞ!?]
[死んだ! 虚無ニキの足が食いちぎられる!]
リスナーたちが一斉に画面越しに悲鳴を上げた。
しかし。
蹴り飛ばされたフェンリルは、怒って青い炎を吹くどころか、目をこすりながら起き上がると『クゥ〜ン』と甘えたような鼻声を鳴らし、悠作のスウェットの裾にすりすりと頭を擦り付け始めたのだ。
完全に、飼い主に構ってほしいだけの愛玩犬の動きだった。
「なんだよ、まだ腹減ってんのか? もう弁当ねえぞ。塩コショウもやし食うか?」
悠作は寝転がったまま、紙袋を被った頭で面倒くさそうに犬の額の角をわしゃわしゃと撫で回している。
[塩コショウもやしwww]
[フェンリルにもやし食わせようとしてるwww]
[完全に飼い犬扱いだ……]
[もう俺たちの常識が通じる相手じゃない]
「あ、ああああの、お師匠様! そ、その子は!」
「ん? ああ、朝ゴミ捨て場で拾ったんだよ。よく食うから食費が心配でさ」
画面の向こう側の同接数が十五万人という前代未聞の数値を突破し、ついに配信プラットフォームのサーバーが処理落ちでカクつき始めていた。
「だからって、A級の魔狼にもやしを……って、ああもう! 同接が十五万人超えてサーバーが……っ!」
「あー、もやし生で食うかお前? 腹壊さねえかな」
『クゥン……』
「あっ、ちょっと待ってください! 配信止めますから! お師匠様、ストップ!」




