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「これは一体……」
それまで黙っていたキャロリーナさんも思わず口を開く。
「これはアーノルド王国に伝わる秘術の一つです。術者の体と対象の体の自由を奪うという魔法なのです。このように真っ黒く変色した部分は、自分の意思では動かすことができなくなります」
フィアさんに持ち上げられたソフィア様の腕にはまったく力が入っていないように見えた。いや、自分の意思では力を込めることもできないのだろう。
「つまり、ソフィア様の右腕とファントムの右腕は同調していて、お互いに自分の意思では動かせないってことですか?」
「はい、ハルト様の仰る通りです。しかし、ソフィア様が使えないのは右腕だけではありません。左腕と両足の自由も失っております」
思わず、布団の下に隠れているソフィア様の足に視線が向かう。この数年間、この部屋から出たことがないと言っていたのは、これが原因だったのだ。
「本物のソフィア様は数年間もベッドの上で寝たきりってこと……?」
リサさんの視線が僕の方に向けられる。彼女の言いたいことは伝わってくる。僕とソフィア様の境遇が似ていると言いたいのだろう。
「ええ、その為に身代わりとして私が用意されたのです。ソフィア様の存在を隠して、安全に過ごして頂くために。ソフィア様が壮健でいらっしゃることを、民に知らしめるために、私がアーノルド国の各地の視察に出るといった日々を過ごして参りました」
ソフィア様は一度寝たきりの生活を送ることになったが、その後回復したという話を聞いていた。その時に、フィアさんとソフィア様が入れ替わったのだろう。国の体裁の為にも、健康な皇女の姿を民に見せつける必要があったに違いない。
「ソフィア様、左腕も確認させていただきます」
フィアさんは間髪入れずに、ソフィア様の左腕の服の袖もまくり上げてしまう。左腕は右腕と比べると、漆黒の闇が少しだけ薄くなっているように感じられた。
「左腕の封印が少しだけ弱まっていますね。ファントムが自由になった左腕を使って魔物たちに何かしたのでしょう。ダンジョンから魔物たちがあふれ出したのは、間違いなくファントムが原因です」
「封印が弱くなってしまっているなんて気が付かなったわ……はやく、術を掛け直さないと……」
「お待ちください、ソフィア様。そんなことをすれば、また貴方様の体に負担を強いるだけです」
「でも、ファントムを封印し続けなければ、多くの人が悲しむことになるわ。私はアーノルド国に住まう人々が悲しい顔をするところなんて見たくない……」
「ええ、ソフィア様のお心持は知っております。自分のことは顧みず、民を想うその気持ちには感服致します。しかし――」
フィアさんは握り締めていたソフィア様の左手をベッドの上にゆっくりと降ろし、両手で彼女の頬に手を添えた。ゆっくりと、自分がいる左側にソフィア様の顔を向けさせて、同じ顔の二人が見つめ合う。
「私は、ソフィア様にも幸せになって頂きたいのです。このような閉ざされた世界ではなく、自由で何者にも縛られない大空へと羽ばたいて欲しいのです」
聖母のような優しい微笑みを浮かべるフィアさん。その顔は主に向けるものではなく、母親が子供に向けるような慈愛に満ち溢れた笑みだった。
「ハルト様、お願いがあります。どうか、ソフィア様を救ってはいただけないでしょうか」
フィアさんはソフィア様の元を離れて、こちらに歩み寄って来る。その瞳は決意に満ち溢れており、自らの首を刎ねようとしたあの時のキャロリーナさんの表情にそっくりであった。
「ソフィア!」
その時、部屋の扉が勢いよく開かれて、何人もの騎士が流れ込んでくる。僕たちは反射的に部屋の奥に移動して、現れた集団と対峙することになる。
鎧に身を纏った騎士が五名ほど、その中心には五十代くらいの男性がいた。彼の服装には、金が至る所にあしらわれている煌びやかな服を着ていた。頭の上には、様々な宝石がちりばめられた王冠が乗せられている。
眉に皺をよせ、不機嫌そうな顔を浮かべていた男性は、ソフィア様の姿を見つけて、胸をなでおろしていた。しかし、再び険悪な表情でフィアさんを睨みつける。
「この場所を部外者に知らせるとは、血迷ったかソフィアの影よ」
「これはソフィア様を呪われた呪縛から解き放つために必要なことなのです。アーノルド王よ」
どうやら、彼がこの国の王様のようだ。フィアさんとアーノルド王がお互いに睨み合う。一発即発の空気だ。
「マスターにそんなに殺意を向けられたら、流石に黙ってるわけにはいかないよね」
その空気を壊したのは、またしても新たな乱入者だった。先程と違うのは、その乱入者が扉からではなく突如として僕たちの目の前に現れたことだ。僕の体から飛び出したカードから一人の女性が現れたのだった。
黒色の長髪にはオレンジ色のメッシュが混じっており、毛先は赤色に染まっていた。三色の髪色を持つ女性は、黒のオフショルダーのトップスに、青のジーパン姿だった。
サンダル型のハイヒールを履いており、この場にいる誰よりも身長が高い。僕が出会ってきた女性の中ではキャロリーナさんが一番大きな身長だったが、靴を脱いでも目の前の彼女の方が身長が高いのではないかと思う。百八十センチはありそうだ。
それに体のとある一部分も、キャロリーナさんよりも更に大きい。以前、ロアさんが女性の胸の中で、窒息死しそうになったことがあったと言っていたことを思い出す。あの時は、彼女の作り話だと思っていたのだが、確かにこれならば人を殺めることもできるかもしれない。
しかし、彼女は一体誰なのだろうか。僕は彼女の姿には全く見覚えがなかった。




