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 キャロリーナさんは何のためらいもなく、引き抜いた剣を、鎧からむき出しになっている左肘に押し当てた。


 先程まで和気あいあいとしていた場の空気が一瞬で凍り付く。その場にいた誰もが、時間が停止したように動かず、彼女の動向に注目している。


「度重なる迷惑の数々、本当にすまなかった……どうか、私の左腕一本で許してはくれないだろうか」


 彼女の瞳は真剣だった。本気で自分の左腕を切り落とそうとしている覚悟が伝わってくる。


「キャロリーナ! 何をふざけたことを言っているのですか!」


 我に返ったソフィア様が激しい剣幕で声を荒げる。キャロリーナさんは主君に怒鳴られているのにも関わらず、いたって冷静な顔をしていた。


「ふざけてなどおりません。これが私なりのけじめの付け方です」


「私はお礼をしろと言ったはずですよ! 自らの腕を切り落とせなど、一言も言っていません!」


「感謝の言葉を述べる前に、過去の清算をさせて頂こうと考えた次第です。自分を無下に扱った相手が何の罰も受けていないのに、その相手の言葉に耳を傾けようと考えますか?」


 言葉はきちんと聞こえたはずなのに、内容を理解することができなかった。


『お礼をしたいから、相手に聞く耳を持ってもらうために、自分の腕を切り落とします』まとめれば、こんな感じだろうか? 


 まったく持って意味が分からない。


 僕では彼女の真意にたどり着けなさそうなので、ソフィア様に質問することにした。


「あの……キャロリーナさんは何を仰っているんでしょうか?」


「すみません……私もまったく理解できておりません……」


 目頭を押さえて、顔を俯かせてしまう。主君でも理解が追い付いていないようだ。


「ただ、キャロリーナは自分が認めた相手には最大の敬意を持って接します。先程の一件で、ハルト様も尊敬に値する人物だと認識したのでしょう。それ故に、過去にハルト様に非礼を欠いた自分のことが許せず、今回のような愚行に走ったのだと思われます」


 キャロリーナさんが僕に対して剣を向けようとしたことは未遂で終わってるし、ソファア様となかったことにしましょうと話が進んだはずだ。


 いや、そういえばソフィア様と話をしたのは、ここに向かってくる馬車の中だったし、その時はキャロリーナさんはいなかったんだ。彼女に伝えてあげるのを忘れていた。


「キャロリーナさん、スタツの街での騒動はなかったことにしましょうと、ソフィア様と話し合いました。だから、そのことに対して貴方が僕に負い目を感じる必要はもうないですよ」


 馬車での出来事を伝えると、彼女はゆっくりと僕に近づいて来た。左肘にずっと添えていた直剣を地面に突き刺し、自由になった両手で僕の肩を掴んできた。彼女はしゃがみ込んで、僕と同じ目線で話を始めた。


「ロア殿はハルト殿の使い魔だという話は聞いた。あの数の人間を瞬時に回復させる魔法が使える彼女は、とても素晴らしい腕を持っている。彼女の実力を知れば、多くの貴族がロア殿を手に入れようと躍起になるだろう」


 リサさんも初めてロアさんの回復魔法を見たときは、街中でむやみに使ってはいけないと注意していたことを思い出す。僕はまだこの目で、この世界の回復魔法を見たことがないのだが、彼女たちの口ぶりから察するに、ロアさんの力は他の使い手とは桁外れなのだろう。


「強力な力というものを、人間は誰しもが独占したがるものだ。その力から発生する利益を自分だけのものにしようとする。実際に私はそんな人間を数多く見てきた」


 肩を掴んでいる彼女の手の力が強くなる。歯を食いしばって怒りの感情を必死に抑えようとしている。過去に何かあったのだろう。彼女は力を独占する人間が嫌いなようだ。


「しかし、君は縁もゆかりもない村の人間の為に、その力を惜しげもなく使った。何の見返りもなく、そうすることが当たり前のように」


 尊敬に満ちた眼差しで僕の瞳を覗き込んでくる。翡翠色の宝石のような輝きを持つ瞳が僕を捉えていた。


 彼女の目には、僕が慈悲深い人間に見えたのだろう。強大な力を独占することなく、他者の為に振る舞う姿が、聖人にでも見えたに違いない。


 僕はそんな大層な人間ではないので、訂正することにしておいた。


「困っている人がいれば助けるのは当たり前じゃないですか?」


 目の前で助けを求めている人がいて、手を差し伸べられる状況だったとしたら、誰だって手を差し伸べるだろう。


 彼女が言っていた通りに、当たり前のことをしただけだ。それで褒められるのは、なんだかむず痒い。


「……」


 僕の言葉を聞いたキャロリーナさんは、無言で立ち上がり地面に突き刺した直剣を両手で握り直した。ためらいなく、自分の首筋に剣を当てたのだった。


「私はなんて人物に剣を向けてしまったのだろうか……こうなれば、この首を持って許しを請うしかない……」


「どうして、そんな発想になるのですか! この大馬鹿もの!」


 ソフィア様の声が村中に響き渡る。頼むから、誰か彼女を止めてください……

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