コンコルド七月暴動(8)
党大会当日にあたって、指揮官であるソロヴィヨフが部下として動かすことのできた人間は、十人にも満たなかった。ラ・ヴィラ・プリュムにおける爆破テロの実行犯という容疑を魔王軍側からかけられている関係上、彼らからの協力は得られない。加えて、ソロヴィヨフの亡命計画がエリーゼを経由して諸民族解放委員会やリヒャルト側に知られているとすれば、市内で待機中の中隊員たちに容易に接触することはできない。ソロヴィヨフ中隊とは、女騎士やリヒャルトたちにとっては、パリで好き勝手するための、モスクワ側との命綱である。いわば戦後における保険であり、仮にエリーゼやテクラといった幹部が戦後処理に際して詰め腹を切らされようが、メンバーの大半は生き永らえることができるはずである。生命線にして隠れ蓑である彼らが、女騎士たちから護衛、もとい定期的な監視を受けているであろうことは、容易に予測できた。
だが、ここで騎士たちの間で思わぬアクシデントが生じた。
ヘレネ・フォン・ヴィッテルスバッハの、突然の失踪もとい単独行動である。
党大会当日の早朝、部下に何を託けることのないままホテルの私室から姿を消したため、部下であるノーラなどは、リヒャルトまでもを巻き込んで市内を捜索する羽目になってしまったのである。理由はもちろん、気まぐれな心変わりから、自分の手で暴動を扇動したくなったからであり、また勇者と魔王への意趣返しを仕掛けてやりたくなったからに他ならない。
ヘレネの安否は騎士団にとって何よりも優先すべき事象。ゆえに本日に限ってはメンバーの大半が捜索に駆り出され、ソロヴィヨフ中隊への監視へは、監視どころか彼らを捜索に参加させるなどの杜撰な対応を見せていた。ヘレネの突発的な行動は、それほどまでに騎士団を切羽詰まらせていたのである。だからこそソロヴィヨフは、命からがら逃げだした先のミシェルカと問題なく合流できたし、最低限の人手をかき集めることにも成功したのである。
ミシェルカ以下、中隊員たちの士気は高い。無敗の指揮官ソロヴィヨフに対する信頼は、確かなものと言ってよかった。彼らはノーラやリヒャルトから疑義を向けられにくいミシェルカを臨時の指揮官とし、党大会の穏便な幕引きのため、コンコルド広場を中心に人込みに混ざり、警戒を厳にしていた。
そして案の定、異変は起こった。ヴァンセンヌの森で爆発が起き、コンコルドでは暴動が発生した。ソロヴィヨフを含めた彼らは、ヘレネの無力化ではなく、魔王アミルの安全確保のために動き出した。罵詈雑言が飛び交い、怨嗟の業火が噴き上がる中でアミルの護衛チームを尾行し、そうして彼らも、このノートルダム大聖堂へと辿り着いたのである。こうしてヘレネに銃を向けることができたのは、あくまでも結果論にすぎないのだ。
「アアアアアアアッ、痛ぇぇぇッ、血! 血だ、すっげー血ィ出てんじゃねぇかよォォ! こっ、これ、これこれっ、どうしよぉ、さ、触んない方がいいかな、なあ!」
「逃げろ! 早く、早く行けぇっ!」
ヘレネの大袈裟な絶叫に負けないくらい、ソロヴィヨフは大きく叫んだ。状況を把握したラウラは、アミルの手を掴んで、そこから駆け出した。路地裏から顔を見せたミシェルカが、駆ける二人のエスコート役として随行する。
「こちらへ! 急いで!」
ミシェルカの先導に応じ、ラウラたちは大聖堂の左手のわき道へと消えていった。
去り際のラウラから、視線を投げかけられたことに、ソロヴィヨフは気づいた。先日のようにまた、騙すつもりか。また、アミルを危険に晒すつもりか。そうした糾弾は覚悟の上だった。しかしながら、そのような感情は不思議と伝わってこなかった。仮にソロヴィヨフが自分たちの死を望んでいるのなら、こんなところで横槍を入れてくる必要はない、そう冷静に判断してくれたとでもいうのだろうか。
ともあれ、こうして広場に残されたのは、箱に納められた四肢のない少女と、二発の銃傷によってもだえるヘレネ、そしてソロヴィヨフだけとなった。
「あ、あ、あたしが、あたしが何したってんだよ糞がァ! こんな事されるイワレはねぇのにぃーーッ! 狂ってるッ! 世の中オカシイぞお! テメー、自分が、自分が何したか分かってんのか、イカレてやがるッ、このサイコ野郎どもがよぉぉ! あのクソガキ二匹逃がしたらどうなると思ってる! ざけた事してんじゃねぇぇぇぞぉぉぉぉ!」
「お前をのさばらせておくよりマシだ」
銃口の狙いを定め、ソロヴィヨフが距離を詰める。四肢などの末端部ではだめだ。確実に、今この場所で、頭を撃ち抜いてこの女を殺さねばならない。そんな殺意をもってにじり寄る中で、本音が言葉となって口に出た。
「来るな、来んじゃねぇーーーーッ!」
震える手で、ヘレネは取り落とした銃を掴み上げ、ソロヴィヨフに向け発砲する。当たらない。衣服に掠りすらしない。装填されていた弾丸のすべては、見当違いの方向へと飛んでいく。やがて弾切れから銃がホールドオープンすると、ヘレネはやけくそ気味にそれを投げ捨てた。仰向けでタイルを這いながら、なおもヘレネはソロヴィヨフから距離を取ろうとするも、それはまさしく無駄な抵抗というものであった。
「寄るな、寄るな寄るな寄るなあっ! テメェー、わかったぜ! このあたしを犯して…… メッタメタにレイプするつもりなんだろ! なあ、そうだろうが! 脳ミソん中に精液しか詰まってねえような生き物の分際でっ、あたしを、あたしを!」
「一時の間違いでお前の遺伝子なんか遺したら、子孫に申し訳が立たねえわ」
「ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるんじゃねぇーぞ! 誰の指示で動いてんだ、言いやがれ! 覚悟しやがれよ、こんな事して故郷の土を踏めると思うなよ……あぁぁぁもう、もう早くしろ、痛ぇぇんだよ! 糞ぉぉ、糞、糞糞糞糞ぉぉぉぉッ!」
涙と唾液と鼻水とで、顔面をてらてら光らせながら、ヘレネは呪詛を吐き散らした。他者から加えられた不正なる侵害を、天空に向かって弾劾するかのように、声を枯らして理不尽を嘆いた。そう、理不尽。不条理だ、道理が通らない。なぜこの私が、こんなにもひどい目に遭わねばならないのか。
なぜ醜悪奸邪の化身たる勇者と魔王が、世に跋扈することを許されているのか。なぜこの目の前の無教養なモスクワ野郎は、私をここまで執拗に痛めつけてくるのか。理解に苦しむ。こちらがお情けでかけてやった過大ともいうべき恩を、仇で返すというのか。
狂人どもがよってたかって、一体何のつもりなのか。おかしい。こんなことが許されていいのか。否、たとえ神とやらが指をくわえて地上を傍観しているだけの耄碌ボケ老人だったとしても、あの極悪非道にして邪知暴虐なる異常性癖者どもの所業がまかり通ってよいはずがない。どいつもこいつも無辜なる美女をよってたかって虐待し、なぶり殺そうと悪意を滴らせて迫る強姦魔だ。鬼畜木石にも劣る恩知らずの人非人だ。
これを魔物と呼ばずなんとする。
死ね、死ね死ねみんな死ね、四方八方みんな死ね、普天率土の果ての果てまで!
あたしの前から、消え失せろ!
果たして、そんなヘレネの心からの嘆声が、不義を糺す善神に届いたとでもいうのだろうか。仰向けにソロヴィヨフを見上げるヘレネのもとへ、救いの使徒とも呼ぶべき翼が降り立つのだった。
「|Schwester! Schwester! Meine schwester《お姉さま、お姉さま、私のお姉さま》!!」
人の身をたじろがせるほどの一陣の突風が、広場に吹きつける。ヘレネとソロヴィヨフの間を、高速度で滑空する何かが駆け抜けた。それと同時に、小ぶりな缶のような物体が、広場のタイルの上に落下した。モスクワ軍の発煙筒だ。ソロヴィヨフがそれと認識したころには、既に灰色の煙が視線の高さまで勢いよく噴き上がってきていた。腕で顔を覆い、まとわりつく煙を振り払いながら後ずさる。
「畜生ッ!」
視界を奪われ、白い闇の中で舌打ちする。その直後、直上から風が吹きつけられ、一時的に周囲が晴れ渡る。そこには、今にも天高く飛翔せんと羽ばたく飛竜と、それに騎乗するブリタニア兵、そして騎兵に抱きかかえられるヘレネの姿があった。栄光あるブリタニア空軍のヘルメットをかぶらず、艶やかなブルネットの長髪を翻す騎兵の正体は、エリーゼ・ガーデルマンに他ならなかった。
「ああ、おいたわしやお姉さま……白雪のようにお美しいお姉様の玉体が、よもやこんな……」
「痛てて……痛ェーんだよ、もっと優しくしろ豚ぁ! 来んなら来るで撃たれる前に来やがれ! 使えねえ!」
竜の手綱を握るエリーゼの背後で、ぶつくさと悪態をつくヘレネ。口は達者ではあるが、その顔色は失血からか幾分青褪め始めていた。
「ま、待て、待てぇっ!」
「うるせーマヌケ! そこでそのまま死にくされ、ぶぁーーか。いててて」
そのまま直上に高度をとろうとする飛竜に向け、発砲するソロヴィヨフ。発煙筒から発生する煙が再び視界を遮ろうとする中、かろうじて数発が竜の腹部に着弾するも、頑強な表皮と鎧のような鱗に覆われたズライグ・オブ・ウェールズ種が、拳銃の弾丸ごときで撃ち落されるはずもない。あるいは弾かれ、あるいは鱗に挟み込まれ、その奥に護られた飛竜の肉体を傷つけるには及ばない。悪あがきの銃撃をものともせず、竜は二人の女を乗せて、パリの空へと飛び立っていった。
徐々に小さくなっていく赤銅色の飛竜を、ソロヴィヨフはいつまでも茫然と見上げていた。




