コンコルド七月暴動(4)
不安からのざわめきが粟立ち、広場一帯を覆い始めていた。
先日の事件を一様に連想してか、やはりこの党大会は無謀だったのだと社会党を罵る者、正義感から姿なきテロリストを謗る者、思考を放棄し事態の説明を求め、警備の人員に詰め寄らんとする者。誰もかれもが救いを求めていた。この混迷を吹き払えるほどの鶴の一声を、演台に立つアミルは要求されていたのだ。
「皆さん、落ち着いてください。どうか、どうか冷静に」
コンコルドの警備体制は万全である、駐在ブリタニア軍との連携も滞りなく行われる手筈となっている。この広場は安全だ、そうした数々のアドリブの文言は、最後まで民衆に伝わることはなかった。先ほどまで大気に乗って伝播していたはずのアミルの声は、しかし突然ぷっつりと途切れ、喧噪にかき消されていった。拳よりもやや小ぶりな路傍の石が、アミルの額に直撃したからだ。さほど勢いのある投石ではなかったものの、アミルは突然の痛みに呻いた。
これを目にした彼女の支持層らしき集団は、投石した男に殴りかかった。仕返しとばかりに、今度は反アミル層の集団が彼らに殺到した。爆発におののいていたはずの人々の呟きの数々は、いつしか憎悪からなるシュプレヒコールへと転じていた。
「ふてェ野郎だ、あの人がいったいどんな人間かわかっちゃいねェらしい」
「見ろ、あの女の流した血! 青い肌に青い血だ、薄気味わりぃ!」
「黙れ差別主義者が! まずはテメェからブチ殺してやる」
「上等だ売国奴ども。テメェらみてェなお高く留まったクソ野郎が国をダメにするんだ」
「浮浪者ごときがガアガアうるせェんだよ」
「死にやがれ」
「てめェが死ね白ザル」
「畸形の子孫が!」
「売女のガキが!」
「ガリアは猿人の国だ、魔物野郎に居場所なんかねェ」
「パリに蔓延るウジ虫どもが、調子くれてんじゃねぇぞ」
「前々から六本足は気に食わなかったんだよ、新参のくせにでけェ顔しやがって」
「てめェの無能を転嫁してんじゃねえサル野郎」
「劣等民族はモスクワの奴隷にでもなっちまえ」
「貧乏サルの嫉妬なんざ聞くだけ無駄だ無駄。国のお荷物がいっちょまえに人間ぶりやがって」
「無駄に生やかした手足削ぎ落して、まとめてセーヌに沈めてやる」
「差別主義者を殺せ! 白ザルを八つ裂きにしろ!」
深窓の淑女であれば、聞いただけで卒倒しかねないほどの罵倒の奔流が、コンコルド広場に吹き荒れた。憤怒の満ちる広場を睥睨するアミルは、震える唇で声を発した。
「私なら、平気です。何も、問題ありません。皆さん、どうか落ち着いて……」
傷を押さえた手指の隙間から滴る血液は、銅イオンからなる暗い青色。しかしその血潮の温かみは、いがみ合う二つの勢力を構成する人々と、さほどの大差も持たないはず。だが、そのほんのわずかな差異こそが、彼らの憎悪の種子たりうることを、またもアミルは痛感させられた。
「やめて……どうか、どうかそんな、ひどいことを言わないで!」
なおも声を張り上げんとするアミルの体は、彼女の意志に反してふわりと浮き上がった。事態急変を察した護衛のドリヴァスが、アミルを羽交い絞めたのだ。両足をばたつかせる滑稽な魔王の有様を民衆に見せつけまいと、周囲をドリヴァスの部下たちが肉壁として立ち並ぶ。
「はなして、話はまだ終わっていません、ドリヴァス大佐ッ……ラウラァッ!」
そのとき、アミルの頭上に、ふたつの影が通り過ぎた。それは、天を駆ける二騎の飛竜騎兵のものであった。自分たちの存在をいたずらに誇示するかのように、広場の上空を円を描くように旋回すると、彼らは我が物顔でかつてアミルが立っていた演台の付近へと降り立った。騎手のうちひとりが、演台の上に放られたマイクロホンを手に取った。
「ガリア社会党のお歴々、ならびにお集まりの市民の諸兄らには、突然の無礼をお許し願いたい。私はブリタニア空軍の、エリザベス・ガートルード少尉である!」
叫んだのは、飛来した飛竜騎兵のうち一人である。深紅のジャケットに黒のケープとキュロット、頭部にはⅤ字の庇が特徴的な白銀のピッケルハウベ。それらの装束からして、彼らはブリタニア王室直属の近衛騎兵であることがわかった。魔王アミルと入れ替わるように演台に立ったのは、背の高い女性の騎手である。その顔つきは、ヘルメットの庇に覆われ、一般参加者からその全貌を把握することは困難だった。
「見たまえよ、あの立ち上る黒煙を! あれこそが恐怖の産んだ虚栄の実像! 悪意の体現であろう! ああ、何たることだ! いたずらに戦禍を煽る事を善しとする、薄汚い魔物どもの所業よ!
魔王軍を名乗る不埒者どもは、聖人を気取って我々を甘言で巧みに謀り、国家間の新たなる信頼の証として形作られた同盟に泥を塗った! ヘルヴェチアでの失態に続き、またも我々に唾を吐いたのだ!
諸君らの記憶にもまだ新しいだろう、かのリーハイムでの凄惨な暴動を思い出したまえ! ヘルヴェチアがモスクワと内通していることすら見抜けず、おめおめと差別主義の温床に哀れな難民たちを誘き寄せたのだ! 否、見抜けなかったわけでは決してなかろう! これは総じて、きゃつらの故意によるものに違いあるまい! 二本足の猿人やエルフに諂う魔物など、もはや同胞ではないと断じた上の蛮行である! これは口にするにも憚られるような取引で得た穢れた資本による、各国での卑劣な買収工作の結果に相違ない!
その上、続いては我らブリタニア、そしてこのガリアの地にまでその魔手を伸ばしてきた! すべてはこの国民国家の先駆けたるガリアを難民流入によって疲弊させ、滅ぼさんと水面下で行われてきた、およそ正道とは言えぬ、非道きわまる悪鬼羅刹のおこないである!
かりそめの新世界秩序を掲げ、啓蒙という名の虐殺を企てる連中は、まさしく全人類が団結し、断罪すべき共通の存在である! 語りえぬものが矛を納めぬのであれば、こちらも戦うほかに途はない!
魔王軍は、我がブリタニアや諸君らガリアと肩を並べる同盟に参与していながら、モスクワの攻勢を継続的に牽制していかねばならぬ時期に、このようなテロを敢行した! これが魔王軍の、人類史を数世紀にもわたって暗雲に塗り込めた、憎むべき悪鬼どもの所業なのだ! 我々ブリタニアの兵は、あまねく民を束ねる女王陛下の名において、主より授けられし武器や戦友とともに、常に試練と戦ってきた!
そしてまた、この平和を願う志は、ガリアの諸君においても、同じものを持ち合わせていると、我々は信じている! 次なる試練がおのずと暗闇から現れ出で、獰悪にも牙をむくのであれば、諸氏一丸となってこれを乗り越えてみせようではないか!」
事実無根も甚だしい。すべてが発言者の推察であり、邪推も同然の内容であった。悪意を多分に孕んだ誹謗中傷であり、ただ無用な諍いと対立を生むだけの文言の数々である。だが思想的な二分がもたらされ、狂乱しつつあった民衆たちの敏感な感性には、外様たるブリタニアからの発言こそが、何より刺激的な鶴の一声となったらしい。
発言者が誰かということなど重要ではなく、発言の内容の真偽すらもまた同様である。
そして限界まで張り詰めた緊張の糸は、前触れもなくぷつりと切断された。
空に向けて放たれた、たった一発。ほんの一発の乾いた銃声によって。
のちに『コンコルド七月暴動』と称される大規模大衆暴動が、ここに勃発するのだった。
整合性よりも、演出の外連味だけを重視した強引な扇動だった。だが間違いなく、あのブリタニア騎手による演説が何より効果的だったことは、火を見るよりも明らかであった。
コンコルド広場の北に面するロワイアル通りの一角。広場の有様を監視しながら、質素な私服で大衆に紛れるリヒャルトはそう思った。では、最後の詰めである発砲は誰によるものか。件のブリタニア騎手……に化けたエリーゼ・ガーデルマンとの事前の打ち合わせにおいて、発砲などという行為は予定に入っていなかった。となると、あれはもしかすると……リヒャルトはかねがね抱えていた懸念からの胸騒ぎが、一層強まるのを感じた。
「撃ったのは……ヴィッテルスバッハ伯か……?」
独りごちるリヒャルトの発言を耳にしたマリニャック中尉が、怪訝な顔をした。
「では、女伯はあの中に?」
リヒャルトは首肯した。
今朝ごろ、ヘレネはふらりと外出したきり、行方を眩ませてしまっていた。
側近のエリーゼはブリタニア空軍への潜入に尽力していたし、テクラはガリア社会党との折衝で手が離せない。そんな中でホテルの一室から姿を消されたものだから、リヒャルトはこの数時間、肝を潰しっぱなしで過ごしていた。ヘレネ率いる修道騎士団、もとい諸民族解放委員会においてただ一人、外部との窓口としての役割を押し付けられたノーラ・ライネッケ修道騎士は、ヘレネの失踪に際して泡を食いながらリヒャルトらに応援を要請してきたのである。
「彼女ならやりかねない」
「しかしあまりに危険すぎます、女伯やその部下がそれを理解できていないとは思えませんが」
「そんなものは承知の上だろうよ。承知の上で、しかしそれをやらずにいられない。リーハイムでもそうだっただろう?」
トリガーを引くのは、自分みずからでなければ気が済まない。面白いものは、我先に楽しまないとおさまらない。それが、ヘレネ・フォン・ヴィッテルスバッハという人間なのだ。リーハイムの事件も、今回の暴動も。後方で手をこまねいているのは簡単だ、お膳立てはすべて済ませているのだから。だが、魔王の演説をぶち壊しにするという最上のエンターテインメントを特等席で拝見しない、などという選択肢は、きっとヘレネの辞書には存在しない。だから彼女は燃え盛るリーハイムでヨーデルを口ずさんだし、今もこうして銃口を通して、暴動の勃発を宣言したのであろう。すべては、社会通念や良識などというしがらみの埒外に存在する、独尊の境地からの要請によるもの。自分を究極の正義であることを信じて疑わない、ヘレネだからこそ選び取りうる、生の営み方である。
「わかるか? だから僕は、彼女を好いたのだ」
そんなヘレネにとって、人生の謳歌のもう一つのかたちが、自分をナメ腐った人間への復讐である。ゆえに、自分たちを党の躍進の材料に仕立てようとしたガリア社会党の重役たるトマシュ・クラカウを殺した。とりわけ、魔王アミルや勇者ラウラと同列に扱われることに関して、我慢ならなかったからだ。無論、当初からヴィルヘルミーナを通した交渉などするつもりはなかったが、パリ市内でのモルぺリア狩りから推察されたアミルとラウラのガリア入りに応じて、もといヘレネの癇癪玉の炸裂に順じて、計画にアドリブが加えられたのだ。
ヘレネが描いた絵図は、モスクワ軍と三国同盟軍の、帝国領を舞台とした全面戦争である。理由はもちろん、ヘレネの私怨のほかにない。自分を捕え、屈辱のなかで虜囚としたモスクワは憎いし、自分を見捨てた帝国やその貴族主義も憎い。傍観に徹していたかと思いきや、一転して横槍を入れにやってきた三国同盟はもっと憎い。そして何より、自分の喉元に剣を突きつけた勇者は、もっともっと憎いからだ。
だが、決定的な理由は、もっともっとシンプルなものであろう。
できそうだから、やった。それだけだ。それ以外の理由など、後付けの御託に他ならない。
そうしてヘレネは、誰もかれもを殺し合わせ、地に這わせるためにガリアへとやってきた。魔王軍とのブッキングという種をまいたのであろう社会党にケジメをつけさせ、その一方で魔王軍のロビー活動を台無しにする。恐慌状態に陥ったパリで民衆の対立をさらにあおり、あわよくばその中でトマシュを始末し、その遠因を魔王軍になすりつける。これがパリにおけるヘレネらの大きな指針であった。彼女たちが隠れ蓑に用いているソロヴィヨフ中隊に対しては、ヴィルヘルミーナを通してガリア側との穏便な対話に臨むなどという、それらしい虚偽を流してやった。無能と有能の狭間を行き交うあの大尉殿から、余計な茶々を入れられないようにするための配慮であった。無論、ヴィルヘルミーナは依然としてモスクワの占領下にあるポツダムのホテルで軟禁されたままであり、情報庁が交渉に絡んでいるなどといった情報も、すべてでっち上げである。モスクワ本国側には、対同盟戦争における膠着状態の解決に向けた情報工作活動といった名目で、ソロヴィヨフ特務中隊は潜入任務に就いていることになっている。
「しかしよくもまあ、ああも適当な出任せが次から次へと出るもんだ」
リヒャルトは、演台で高らかに歪な高説を謳うエリーゼの姿を見やった。
パリに臨んだリヒャルトにとって予想外だったのは、エリーゼ・ガーデルマンの独断行動である。てっきりヘレネの走狗に甘んじているだけのイエスマンかと思いきや、ブリタニアとのパイプ作りと称した亡命を願い出てきたのである。その真意や目的がいかなるものか図りかねたものの、ヘレネはもちろん、同じ彼女の側近の立場にあるテクラにも、ブリタニアへの接近は伏せているという彼女の言から、単なる謀反から思い立った策ではないのだろうと、リヒャルトは勘案した。
保身のためか、はたまた騎士団内における人間関係の相克に基づくものか。いずれにせよ、エリーゼという女の能力を、リヒャルトは高く評価していた。彼のあずかり知らぬ間にパリ市内にダイナマイトを手配し、オスカー・ヴァイルブルク参事官との渡りをもつけていたのだから。ブリタニアへはオスカーの伝手を使い、その上でソロヴィヨフ大尉とオスカー本人、そして可能であれば勇者ラウラすらも排除するという荒唐無稽な計画を、しかしエリーゼは、その八割方を完遂しつつあるのだから。度胸や狡知に恵まれている以上に、天運にも愛されているといっても過言ではないだろう。
仮にエリーゼが野心からテクラを、そしてヘレネをも危機に晒そうとするのであれば、彼女はヘレネの信奉者たるリヒャルトの明確な敵となって立ちはだかるに違いない。よしんばエリーゼによるヘレネへの敬慕が真実であったとしても、その寵愛を巡ってリヒャルトを敵対者として断じるであろうことは間違いない。味方とするには、いささかあのブルネットの女騎士は危険すぎる。だが確かに、あの女は有能なのだ。利害関係が一致する以上、殊更に警戒しすぎるのも愚策であろう。ゆえに、リヒャルトは彼女と不可侵の密約と情報共有を交わしたのだ。
結果として、党大会を火種とした暴動の扇動は成功した。ブリタニアについたエリーゼの配剤が吉と出たといってもいい。扇動活動は民衆に紛れて行う予定だったのだが、翼竜騎兵の立場から魔王を糾弾するというエリーゼの判断は、これ以上なく人々に影響を及ぼしたのだった。
「飛竜騎兵をたらしこんで飛竜を押さえたのは、ヴィッテルスバッハ伯がこうして鉄火場に自ら出てきたがることを知っていたからだろうな。空からなら、所在を把握するのは容易だ」
「我々はいかがいたしましょうか」
「ヴィッテルスバッハ伯の捜索と同時に、広場の四方の通りを固めて勇者と魔王を捕える」
「御意の通りに」
「女伯以外の生死は問わない。よろしく頼む」
リヒャルトがそう託けると、マリニャックは足早に彼の元から離れていった。彼の率いる部下たちに、指令を飛ばしに行ったのだ。
リヒャルトもまた、直属の部下たちを目立たぬよう呼び寄せると、荒れ狂う雷雲めいた様相を呈するコンコルド広場へと向かっていくのであった。




