コンコルド七月暴動(2)
「私は、升天教がかつて魔物と呼び、そして原初の勇者によって革新をもたらされたフリュギアの民の長、その末裔であります。先の大ダルマチアにおける戦いを経て大敗を喫したことをきっかけに、我が一族は人質として、帝国において、およそ陽の当たらぬ場所にて、こうして命を繋いでおりました。
私は、私を慕う勇敢なる志士たちの手によって、実に数世紀ぶりに……原初の勇者と友好を結んだ魔王エレシュキガルの正当なる後継者として、皆々様の前に姿をあらわす事ができました。さりとて私は、帝国の人々に対し、怨恨などは抱いておりません。
それはいずれも互いを恐怖し、想像上の他者に怯えるがゆえに育まれてしまった、哀しい誤解と擦れ違いの結果にすぎないからです。理性あるもの、常に本能のもたらす幻影と背中を合わせて生きていくことは、いわば宿命であります。生存を促されるがゆえに這いよる憎悪や恐怖もまた、非難されるべきものではないと考えています。それは実に自然な事、人間という大地の霊長が持ちうる、イマジネーションの根幹に起因するものなのですから。
大陸では今なお、猿人にあらぬ者たちは自由ではありません。国家間の諍いによって、あるいは外見的な形質への偏見によって、あるいは今なお続く禍根によって生じた人種的差別が、未だにあらゆる国、あらゆる都市、あらゆる土地にて根付いています。ふたつの足で大地に立ち、ふたつの腕で道具を手に取る、白い肌の猿人。果たして人類の文明というものは、こうした猿人の能力だけで培われてきたものでしょうか。その答えはきっと、否でありましょう。そして、ここにお集まりの皆様方もまた、多様な形質を擁する隣人たちの持つ、人間としての能力と権利をお認めになったうえで、我々の声を受け取ってくださっているのだと、私は信じております。
しかしながら、翼のあるものは云います。きゃつらの弾丸は我らの居場所のみならず、この高き蒼穹までも奪い去る。鱗あるものは云います、きゃつらの欲望は我らの居場所のみならず、流麗なる水の流れまでも奪い去る。
御存知の方はおられる筈です、産業革命のもたらした益、それに伴う功罪。
確かに工業化は、食糧生産率を飛躍的に向上させ、史上でも類を見ない経済成長を各国で実現し、農村部から多くの農奴を解き放ち、世の奴隷制というものを一挙に形骸化させました。
現実はどうでしょう。資本の格差からなる厳然たる上下関係が是正されることはなく、奴隷の身分から解き放たれた非猿人への人種差別は、より一層の激化の兆しを見せています。そして新たに、公害という新たな喫緊の課題が立ち上りました。テムズ川をご覧あれ、ライン川をご覧あれ、そして我々のすぐ傍に横たわる、あのセーヌに満ちた汚泥の澱みを、今一度ご覧あれ。かつては水運で栄え、水精や水竜との交流で知られた大陸きっての水脈は、見る影もなく汚されつくし、腐臭を放ち濁りを溜め込むばかりの有様です。澱み、けがれ、流れることを忘れた川こそ、今のわれわれが抱く感情の写し鏡といえるでしょう。
親愛なる隣人の住まう土地に、一体だれが、どうして、触れれば死する毒水を、ああもやすやすと垂れ流せましょうか!
私は、このような大地への、そして森に、海に、空に住まう隣人たちへのいわれなき冒涜に対して強く抗議の意を示すとともに、また我らがフリュギアの自由の御旗に集う同胞たちにも、幸福への希求に際し、決して不正義を犯すべきではないということを、改めて主張させていただきます。我々の尊厳は、いかなる君主、いかなる組織によっても損なわれるべきではなく、また、我々自身の行いで汚されるべきでもありません。我々の悲願を、短絡的な憎悪や嫌悪の赴くままに、堕落させてはならないのです。
この彼は彼女より劣っている、その彼女は彼より優れている、ゆえにあの彼は生きるべきだし、ゆえにその彼女は死ぬべきだ。恥ずべきことながら、我々フリュギアの民にも、こうした恐怖に根差したおぞましい弾圧と粛清の歴史が、厳として存在しています。しかしながら、先ほども申し上げました通り、この血濡れた差別の歴史とは、理性ある人間が歴史を営むにあたっては、不可避の必要悪であるといえるでしょう。この暴風のような不条理に膝を屈してはならず、寛大なる理性をもってこれを糧とするほか、我々には許されてはおりません。
そして、恥ずべき過去が普遍的なものであるならば、誇るべき自由にして公平なる世界を築こうとする意志もまた、民族を問わず、普遍的であるはずなのです。
生命、信教、居住、職業、およそ考えられうるすべての自由とは、生きとし生ける万人に授けられていて然るべきものであり、この世に生まれ落ちた時より持ち合わせている、包括的権利なのであります。
改めて我々は、声を大にして主張したい! 望みを諦めてはなりません、求め続けなければなりません。人は隣人の全てを把握する事はできません、私は、そんなことは、不可能であると、確信しております。しかしながら、語りえぬものには、語りつづけなければなりません。
形あるものにいくら言葉を重ねても、目に見えるものにこちらの考えをいくらぶつけても、対話なくば、それは真に、言葉や考えとして結実したとは言えませんでしょう。
しかし、それゆえに、私たちは確たる理性をもって不可視の恐怖を抑さねばなりません。先人たちの智慧と勇気が、原初の蒙を啓いてきたのであれば、その子孫であるわれわれが、再び訪れた暗黒を、よもや切り開くことができないなどという道理はありません。
不当なる迫害を罰し、不条理を誅し、数千年より連なる大いなる誤謬を正す。万人が併せ持つ、神聖にして不可侵なる尊厳を再定義するために、ここに新たにわれわれは、すべて人々が、すべて隣人が、同じように生ある個人であることを、改めて認めねばならないのです」
理想なれど、先人たちが希求してやまなかった願望には違いない。これまでも、そしてこれからも。仮にお仕着せであろうとも、魔王の名を冠するアミルこそが、この平等を声高に叫ばねばならない。死にゆく専制主義に弔鐘を鳴らし、今こそ自由と希望の鐘を打ち鳴らすのだ。
願わくば、どうか彼女の耳にもこの声が届きますように。
そんな淡い希望を込めながら、マイクロホンに声を注いでいた。記憶のうちでは、あと二分も経たずに演説は終わる。身振り手振りを交えつつ、ほどよい緊張の中で、アミルはそう体感していた。
その時だった。
大気を引き裂く、忌まわしいあの衝撃が、再びアミルの胸郭に響いた。
腹腔を揺らすほどの振動を伴ったその爆発は、アミルの左手側からとどろいてきた。驚きから言葉を切って、反射的にアミルはそちらに目を向けた。聴衆たちもまた同じく、眼前のアミルから一様に目を反らしていた。
コンコルド広場から東の方角。
地上から噴き上がる黒煙が、陽光の傾きつつある晴天を穢しつつあった。
ゆっくりと、緩慢に、しかしながら着実に。




