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嗤う女騎士  作者: カスミカ
勇ましきものたち
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コンコルド七月暴動(1)

 アミル・カルカヴァンは、夢を見ていた。愛しのヴィルヘルミーナが死ぬ夢だ。


 初めてではなかった。夢枕の横に、ヴィルヘルミーナの骸が転がっていることなど、さほど珍しいことではない。ただ、見ていて気分の良いものでは決してない。


 男どもに純潔を穢された末に、首を折られて死んでいた。身の上を憂いた末か、リーツェンブルク宮の見慣れたバスタブの中、手首を切って果てていた。暴徒と化した民衆に囲まれ、あらん限りの罵倒をひとしきりぶつけられたあと、彼らが手に手に持った鋭利な刃物で肉を削がれ、徐々に徐々に激痛のもたらす絶叫がか細くなっていき、二日ののちにやがて死んだ。


 そんな夢ばかり。ついさっきも、華奢な彼女の肉体がダイナマイトの爆轟に揉みしだかれ、見るも無残な血と肉の襤褸切れになり下がった様を目の当たりにしていた。一瞬のうちに絶命できたのなら幸運だったろうが、不幸にもその襤褸はもぞもぞと蠢いて、少しでも全身を苛む苦痛から逃れようと、地虫のごとく這いずっていた。そんな、夢。夢。夢。


 アミルが目覚めたのは、プラザホテルの一室であった。先日の爆発事件からこちら、小休止を挟むことなく夜を徹して事後対応にあたっていたのである。失態だ。アミルが招いた大失態、である。一時の衝動に身を任せた結果、勇者ラウラと部下たるジュゼッピーナ・ルッツァは重傷を負った。爆発の現場から、ヴィルヘルミーナとその護衛と思しき死体が出なかった、という点だけが救いであった。この事実がなければ、なぜ自分たちがラ・ヴィラ・プリュムの現場に居合わせたのか、という事実に関して、あそこまで流暢に言い訳を繕えはしなかっただろう。とはいえパリ警察もフリュギアのトップを相手に居丈高に振舞うこともできるわけもなく、その対応は簡易な聴取だけにとどまり、アミルは解放されたのであった。


 党大会開始直前になってようやく仮眠にありつけたのだが、よい眠りに就けたとは言い難かった。ブラとショーツだけを身に着けた、フリュギア代表にあるまじき、だらしない下着姿。ベッドに横たわる寸前、着の身着のまま寝こけてジャケットやスカートの類に皺をつけるべきではないという、最低限の理性だけは保てていたらしい。室内の柱時計に目をやる。時刻は午前十二時半。あと二時間もすれば、コンコルド広場で観衆を前に演説をしなければならない。


 最新鋭の音響機器を用いて、人魔統一を謳うエレシュキガル二世の声が、パリ市民に響き渡る。皮肉なものだと、アミルは自嘲した。自分はこんなにも、ヴィルヘルミーナという個人にしか執着できない差別主義者だというのに。先日、アミルは初めてラウラが人を殺めるのを目撃した。黒いスーツの二人組は、聖剣デュランダルの一振りで四肢の腱を切り裂かれた。だが彼らの安否には、ヴィルヘルミーナのそれほどに興味を抱けなかった。境遇もろくに知らない彼らが不具者にもなりかねない傷を負わされた末に、先日の爆発による崩落に巻き込まれて死んだということにも、また同様である。魔王の施しを受けるべき非猿人種ではなく、彼らがマジョリティである猿人だったからだろうか?


 いいや、違う。問題は、もっと深いところにある。彼らが、『ヴィルヘルミーナ以外』の人間だったからだ。では、リーハイム事件の犠牲者がヘルヴェチア軍によって杜撰に葬られる際に浮かんだ情動は何か。彼らに哀悼の意を捧げるべきだと感じたアミルは、仁徳を有した指導者と称されるに相応しい人間ではないか。ラウラやルッツァならば、きっとこのようにアミルを正当化するに違いない。


 だが、あるいは歯に衣着せぬドリヴァスならば、恐らくはその時の心情すらも、ヴィルヘルミーナに近づくための手段にすぎないと断じるだろう。今のアミル本人すらも、それに近しい考えを持ち合わせていた。二千人の死者への哀悼と、ヴィルヘルミーナへの憂慮。魔王として優先すべきは前者であり、その大義名分を果たすために後者が存在して然るべきなのだ。だが、アミル個人としては、前者など単なる手段に過ぎない。ヴィルヘルミーナが無事ならば、顔も知らない二千人がどうなったって構わない。その二つが天秤にかけられたとしたら、きっと迷わずアミルはヴィルヘルミーナを選ぶだろう。


 アミルにとって、エレシュキガル二世にとって、ヴィルヘルミーナ以外の万象一切は些事だ。先日の事件で、それを実感した。ラウラたちを脅迫し、無理やりホテルに自分を同伴させ、死んだ哀れな二人の男には何の感情も抱かない。きっとラウラやルッツァ、ドリヴァスが絶命したとしても、涙の一粒も流せば、それできっとおしまいだ。ヴィルヘルミーナと再び出逢うための駒。体裁を繕うためにいろいろと口にはするものの、結局のところ、誰にも嫌われたくないがためにそう振舞っているだけなのだ。長い宮廷での人質生活で身に着けた社交術といえば聞こえはいいが、しかしながら、それを安穏と受け入れられるほど、アミルは傲慢になり切れずにいた。


 卑劣な女帝に徹することのできない小心者。それがアミル・カルカヴァンという人間なのだ。


 ああ、質が悪い。我ながら、本当に性格が悪い。都合が良すぎる。ずるい、女。

 その告解すらも、きっと愛しのヴィルヘルミーナに向けての贖罪でしかないのだろう……


「アミル、入っても?」


「ごめんなさい、待って頂戴」


 部屋の外からのノックと問いかけに、アミルは簡潔に応じた。


 スーツへの着替えを済ませてから、ドレッサーの前で海原めいた頭髪の寝癖を直す。首元と手首に柑橘の香水を振りかける。ドア板越しに、アミルはラウラに言った。


「昨日の……その、ソロヴィヨフ大尉は、見つかって?」


「死体は出てない」


「……そう」


 ターコイズのネックレスを首に巻きながら、アミルはそっけなく言葉を返した。

「あなたが共ににテーブルを囲んだ仲だとは言っても……信用するべき相手ではなかった、そういうことですね」


「……アミルに、大きな怪我がなくてよかった」


 ヴィルヘルミーナの名をほんの少しちらつかされただけで、短慮な衝動に身を任せるまま、自分を慕う臣下たちの身を危険に晒し、街に潜むテロリストたちの謀りにみすみす嵌ってしまった。事実を列挙していくだけでおのずと浮き彫りになる先日の無能ぶりには、我ながら眩暈がするほどだった。ベッドに倒れ込んでから意識を失うまでさほどの時間を要さなかったのは、幸運と言えただろう。なまじ布団の中で長く過ごせば、無益な自責の念にかられて一睡もできなかっただろうから。血濡れのルッツァ少佐が、呪詛を吐くドリヴァス大佐が、いっそ自分に向けて直接の非難を投げかけてくれるであれば、気がどんなに楽になったことだろう。


「ただ、これはボクの予想でしかないんだけど……多分彼も、誰かに殺されかけたんだと思う……どうにも、不自然に思えて仕方ないんだ」


「……根拠は?」


「あの規模の爆発では、彼自身が命を落としかねない。もちろん、状況から推察しただけにすぎないけど……」


「ドリヴァス大佐は御冠だったわ。見つけ次第、あの男は八つ裂きにするって」


「もちろん、ヴィッテルスバッハ伯に通じている人間であるということは間違いないと思う。帝国大使館の書類によれば、ヘレネという貴族の外見的特徴は、偽ラインムート中尉のそれとまったく一致するようだったから」


「彼が、私やあなたを殺すことに命を擲つことすら厭わない、ある種の信奉者だという可能性もあるでしょう?」


 ちょうど、勇者として只人の幸福を擲ったラウラのように。言外にそのような棘を含ませながら、アミルは半ば投げやりに返答した。そこには、狂信を原動力に行動する人間の存在を勘案できなかった、否、しようとしなかった己への自嘲と自戒とが、多分に入り混じっていた。


 着替えを終え、ようやくドアの錠を外す。部屋の前にいたのは、黒いジャケット姿のラウラであった。頭髪はいつものように、細かなシニヨンで纏め上げられていた。ロリィタ・ワンピースを脱ぎ捨て、常在戦場の心構えを露にしながらも、魔王の横に立つ側近として、シックなフォーマルさを損なわないようないでたちであった。


「おはよう、アミル」


「出迎えありがとう、ラウラ。寝坊するところだった」


「……うん」


 物欲しそうな表情をするラウラに、アミルはややわざとらしく、気遣う言葉を投げた。


「傷の具合は?」


「心配しないで。動けなくなるほどじゃない。ボクはまだ、戦える」


 上ずり気味の声で応じるラウラに、アミルは笑顔を向けた。


「頼りにしてる。ラウラ」


 そう言って、アミルはラウラの頬にキスをした。こうした経験に免疫がなかったのか、ラウラは色白の顔をわずかな桃色に染めて、しずかにうつむいた。


「貴女がいるから、私はこうして戦えるの。貴女とは違ったやり方でね」


「そんな、ボクは、ボクはそういうつもりじゃ」


「さあ勇者様、参りましょう。皆が、私たちを待っていますよ」


「そういうの……やめてよ」


 誘うように、惑わすように。年上の女性が、精通すら遥か遠い少年の淡い憧憬をいたずら任せにからかうかのように。アミルはつとめて颯爽に、ラウラに右手を差し伸べた。その手をラウラが恐る恐る掴みとると、アミルは背筋を伸ばして歩き出した。


 彼女たちを待ち望む、パリのあらゆる人々のもとへと。


 すでにコンコルド広場には、ガリア社会党の議員や党支持者の面々、民主主義と自由主義に鞍替えした元王党派の貴族筋のお歴々が集っているのだろう。演台や機材の陰には、音響メガホンと真空管アンプの技師たちが控えているのだろう。党大会の開催、そしてアミルの来訪に携わった関係者は、軍事、警察従事者を含めると、さらにその頭数は膨れ上がるはずである。社会党としても、アミルとしても、これだけの人手と労力を導入した上で大会の日付をずらすことなど、およそ不可能なのであった。仮に参加者の安全を考えた末に延期や中止を宣言したとして、脆弱な臆病者といった誹りは免れ得まい。


 なればこそ、そのリスクを甘んじて併呑しようではないか。そうするほかにないのであれば、その道を選ぶしかあるまい。


 そもそも、これはフリュギアが望んだことだ。そして、じきに国民の代弁者となりうる、ガリア社会党が提案したことだ。また、これは勇者ラウラ本人こそが望んだことなのだから。兵を、警官を、聖剣を抱く勇者を、敵対者を討つための剣として扱うことに、なんの遠慮が要るというのか……そう権高な為政者を自然に気取れれば、どれほど楽であっただろうか。


 歩みを進める道筋の中で、アミルは思う。


 自分はラウラの幼い好意を利用している。彼が、否、彼女が振るう聖剣の権能をアテにして。数時間前までは失血死寸前だったラウラは、聖剣のいかなる作用によるものか、少々の睡眠をとることで、既にその驚異的な自然治癒力によって、万全ではないにせよ、生死の境から脱していた。聖剣の持つ閣竜顔負けの異能ゆえか、彼女の様子は、一命を取り留めたにしては健康が過ぎるように見えた。


 ラウラという少女を懐刀として扱うことに、アミルの罪悪感の両天秤は、つねづね大きく揺れ動いていた。


 便利きわまる。いやしかし、彼女はまだほんの子供だ。


 だが、魔王の血を引く自分を求めたのは、彼女の方だ。そして、彼らなのだ。あの日、あの夜、リーツェンブルクで自分を求めたのは勇者であり、フリュギアの民ではないか。何を憚る必要がある……


『エレシュキガル二世』として時代の先駆者づらをしながらも、『アミル・カルカヴァン』は、犯した罪と、そしてこれから犯す罪への免罪を欲していた。それは果たして、どこの誰からの赦しによって為されるものか。神か、それとも先代の魔王か。それとも……


 親愛なるヴィルヘルミーナ殿下の御身へと至る里程は、未だなお長く、遠いのだろうか……




 のちの公式発表では、七千人以上の聴衆が、アミルのこの演説を耳にしたとされた。


 コンコルド広場を覆う人、人、人。七割の猿人に、三割のそれ以外。手足の数やその形質、老若男女や国籍、そして職業を問わず、パリの中心に集ったあらゆる人々が、機械式スピーカーから発されるアミルの声に耳を傾けていた。


 各々が賛同や批判を胸中に浮かべる中で、しかしアミルはゆっくりと、落ち着き払った調子で言葉を紡ぎだした。明朗で砕けた言い回しにつとめ、流暢なガリア語を巧みに操り、カンニングペーパーに頼ることなく、人々に語った。猛々しくそそり立つオベリスクを背景に演台に立ち、一万四千を越える瞳が輝く中、ずきんずきんと心臓が肺腑の隙間で飛び跳ねる。演説や要人との対談で、こうならない日など一日だってなかった。


 一皮むけば、自分など内気な小娘にすぎない。人生経験も未熟なら、他人にこんな理想論を説いて聞かせられるほど、高尚な人間ではない。こんなことは、自己評価の高さに自信のある政治屋だけがやればいい。しかし、アミルはそこへ立っている。立つべくして、自らの意志で演台に立ち、人類が実現すべき綺麗事を説いているのだ。


 ほかならぬ魔王として、誰でもないエレシュキガル二世として。



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