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嗤う女騎士  作者: カスミカ
勇ましきものたち
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ガーデルマン造反計画(4)

 老舗グランドホテル、ラ・ヴィラ・プリュム周囲の通りは、蜂の巣を突いたような有様であった。夜更けに起こった大音響と爆風で、周囲の建造物のガラスは軒並み砕け散っていた。事故だ、ガス爆発だ、いいやテロに決まってる、違う違う隕石が落ちてきたんだ。民衆はそんな風評を口々に騒ぎたて、野次馬となって大きな傷口をばっくりと晒すホテルを取り囲んだ。


 街路に躍り出た人々の波に紛れて行方を眩ますのは、そう難しいことではなかった。息せき切って辿り着いたパリ市内の路地裏で、ソロヴィヨフは座り込んだ。時刻は午後十一時を回っていた。冬場だったら死んでたなと、時節柄に彼は感謝した。かろうじて街路の街灯が照らす夜闇の中で、あらためてソロヴィヨフは頭を抱えた。何やってんだ俺は。


 体を少し動かすだけで、背骨が軋むのを感じた。


 これから、どうする。どうすればいい。頼るべき寄る辺が、一瞬にして吹き飛ばされた。


 あの場で死ぬのは嫌だった。生きたい。死ぬのはごめんだ。だが、どうする。どうすればいい。今自分は、何をするべきなんだ。シンプルな問いで自分を鼓舞するかのように、ソロヴィヨフは考えを巡らせた。


 もしかすると、自分を殺し損ねたことを知ったエリーゼが直接息の根を止めにやってくるかもしれない。目的が口封じだと仮定するなら、その可能性も十二分にありうる。真正面から戦ったところで勝ち目は薄い、逃げることが先決か。持ち合わせなら、少なくない額が財布にある。可能な限り列車で逃げおおせるか。頼みの綱のオスカーが爆死したことで亡命の口添えという希望は潰えたが、生き延びないことには始まらないのだ。


 だが、その先どうする? きっと戦争は続く、その先に平穏は果たして存在するのか? そもそもなぜ自分は、ラウラとの接触を望んだのだ? あんなクソ女の甘言に乗ってまで、どうして自分は勇者のチカラを借りようとした? 決まってる、戦争をやめにしたかったからだ。殺したり殺されたり、死んだり死なせたりするのが嫌になったからだ。


 魔王エレシュキガル二世には、アミル・カルカヴァンには、生きてもらわねばならない。次代に和平をもたらすには、あの魔王が必要なのだ。恐らく、アミルはこれからも和平のための演説を続けるだろう、そもそも明日がその直近の党大会当日である。むろん、ブルクゼーレやフリュギアは全霊をもってアミルを守るはずだ。


 しかしヘレネは、あの女は、普通の人間が思いもよらない悪辣さで、世に戦乱の胤をまき続け、殺しを煽り、戦いを焚きつけて回るはずだ。世が荒れれば荒れただけ、手を叩いて喜ぶヘレネにとって、あの勇者と魔王は天敵だ。特に一度辛酸を嘗めさせられた勇者ラウラに関しては、何が何でも排除にかかるだろう。しかしあの爆発で、あの傷で、彼女が生き永らえられるかどうかは、ソロヴィヨフにはわからなかった。できることなら、生きていてほしい。むざむざ死地へと誘っておいて、なんと白々しい願望か。しかしながら今のソロヴィヨフには、不埒にもそうした破廉恥な祈りを捧げるほかはないのだ。この自己中心的な贖罪願望を抱えながら、とにかく今は行動するしかないのである。


 あの爆発に遭いながら、歪な誤解をされながら、未だ五体は満足のまま。


 ソロヴィヨフは奥歯を噛み締め、したたかに地面を蹴って走り出した。


 キール・ミシェルカ少尉が宿泊している安宿に辿り着いたのは、日付が変わる三十分前であった。粉塵にまみれたジャケットは脱ぎ捨ててあったとはいえ、ソロヴィヨフの風貌は不自然に傷だらけである。消灯時間を過ぎていながらも、図々しくやってきた怪しい無精髭の男を、夜勤のフロント係は訝しげに見やった。眠い眼をしばつかせて宿帳をめくってしばらくすると、彼はようやくソロヴィヨフがミシェルカの関係者であることを認め、部屋の番号を告げた。


 フロント係同伴で部屋へと来訪した上官を目の当たりにし、ミシェルカは困惑気味に言った。


「一体どうされました、大尉……何が、あったんです」


 フロント係を持ち場へ帰してやると、ミシェルカはソロヴィヨフをリビングへと通した。痛む体に鞭を打ち、ソロヴィヨフはソファに体を預けた。


「夜遅くに、申し訳ない。君くらいしか、頼れなくて」


「まさか、さっきの事故……いや、事件と関係が?」


 察しの良いミシェルカは、即座に先ほど起こった異変と、上官の風貌との関連性を見つけたらしい。満身創痍のソロヴィヨフに一杯の水を運んでやると、自身もまた正面のソファに腰を下ろした。ソロヴィヨフは、一気に杯の中の水をあおった。


 数秒とも数時間とも感じられる沈黙の中でソロヴィヨフは逡巡を続け、ついに彼はミシェルカに事実を打ち明けることにした。元より部下たる彼を頼るには、それくらいの誠意を見せねばならないと思ったからだ。


 事の顛末を静かに聞いていたミシェルカは、しかし単身で亡命を企てたソロヴィヨフを罵るようなことはしなかった。温厚な気性であることを差し引いても、この場で殴り倒されるくらいのことは覚悟していたぶん、ソロヴィヨフは一層居た堪れない気持ちになった。


「事前に打ち明けてくだされば、喜んでご相談に乗りましたのに」


 予想していた反応とはだいぶ違い、ソロヴィヨフは面食らった。


「元はといえば……俺があの女に誑かされたせいだ。俺のせいで、君らにこんな汚れ仕事をさせることになっちまった。モスクワに戻ったところで、どんな目に遭うかもわからない。せめて、命だけでもなんとかならないかと思って」


「それで、あのオスカー・ヴァイルブルクと……ガーデルマンに、ハメられたと」


「情けない話だ。救いようが、ない。すまない、本当にすまなかった」


 がっくりとうなだれて、ソロヴィヨフはミシェルカに謝罪を述べた。そして、この場にいない他の士官たちにも。


「……ヴァイルブルク参事官との連帯はともかく、確かにあのガーデルマンの誘いに乗ってしまったのは……失礼ながら、いささか軽率だったのではないかと存じ上げます」


「そう言ってもらえると、気が楽になる」


 正直に自分の愚かさを口に出してもらうという行為が、こんなにも救われることだなんて思ってもみなかった。ソロヴィヨフは、自嘲を口元に表した。


「ただ、わざわざここへ来てくださったということは、保身とは別の目的があるからこそ、なのでしょう?」


「どうかな。身代わりに殺されてくれとでも、言いだすかもしれんぜ」


「存外、水臭い人だ」


 ソロヴィヨフがひねり出した悪趣味なジョークには、ミシェルカは徹底して聞こえないふりをした。


「大尉がご自身をどう評価しているかは存じませんが、少なくとも我々にとっては、あなたはやはりパルスベルクの英雄に他なりません。仮にあの女どもに担ぎ上げられたものであったとしても、現に我々はあの城塞を打ち破り、死中において勝ちをもぎ取ったではありませんか」


 同情でも、憐憫でもない。ミシェルカの誠実な光を宿す両の瞳は、打ちひしがれた上官に向けた気休めなどでは断じてなかった。


「確かに、捕えたヴィッテルスバッハ伯を処断したり、あるいはモスクワ本国へ移送しておけば、リーハイムの事件は起こらなかった。しかしその場合、十中八九我々はレーゲンスブルクを放棄するほかなくなり、帝国軍の増援によって圧し潰されていた。お分かりですか? 望む望まざるに関わらず、大尉が我々にとっての救世主であることは、覆しようがない」


「……そうか」


「もっとも、今はそう呼ばれることすらお辛いでしょうが……」


 ソロヴィヨフは、何も応じなかった。


「大尉が、あの魔王エレシュキガルの一助になるのが我々にとっての得策だと仰るのであれば、小官からは異論などありません。どうか、何を恥じることなくご命令を下さいますれば」


 思想面の拘りや傾きに頓着のないミシェルカには、実利的なメリットをもたらしてくれるものこそが、また最も信じるに値するものらしかった。レーゲンスブルクでの立ち往生を解決してくれたのは、顔も知らない神や天使の類ではなかったし、そして煙窟人たる自分の人生の面倒をみてくれるのは、きっと耳触りの良い人魔統一とやらを謳う魔王などではない。


 ならばこそ、今の自分が付き従うべきものはいったい何か。民族意識などには理解が薄く、人並みの国家的帰属精神だけを持ち合わせたミシェルカにとって、信じるに足るものとは、現実に勝利の美酒に酔わせてくれた戦友にして英雄、ただそれだけであった。


 彼に着けば、勝たせてもらえる。その実績こそが信頼なのだ。その事実の背後で何人の無辜の民が死んでいたところで、ミシェルカは生きてはるばるパリの地を踏みしめることができているではないか。不幸な誰かの死を悼むあまり気を病んでしまえるほど、ミシェルカは信心深い男ではなかったし、大多数の人間もまたそうであろう。


「アミル・カルカヴァンを、死なせるわけにはいかないんだ」


 ここにきて、初めてソロヴィヨフの口から覇気ある言葉が吐き出された。


「ヘレネは勇者ラウラに私怨を抱えてる、きっと魔王に対しても同じだ。悦び勇んで二人を殺そうとするだろう。何としても、それだけは避けたい」


「……それが、我々にとっての勝利に繋がるのであれば、喜んで」


「すまない……恩に着る」


「なに。勝てば官軍です、勝ってたっぷり魔王とやらに恩を売りつけてやりましょう」


 先行きは未だ昏いまま。しかし、ミシェルカは闇を照らすカンテラのように、明るく笑ってみせた。


 副官として、これほど彼が頼もしいと感じたことはなかった。


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