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嗤う女騎士  作者: カスミカ
勇ましきものたち
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ガーデルマン造反計画(3)

 ラ・ヴィラ・プリュムの最上階は、静寂の帳に包まれていた。自分の心臓の鼓動とわずかな鼻息、床の赤絨毯を踏みしめる音すらも、はっきりと聞こえてくるほどだ。他のフロアと違って、最上階の大半の面積はペントハウスの客室に用いられており、その広さは百十平米にも及ぶ。バルコニーからのパリ市街の眺望は、間違いなくホテルのセールスポイントではあるが、そんな場所に銃火器を手にして乗り込むとなれば、野暮というほかなくなってしまうだろう。目的が要人の誘拐ともなれば、なおさらだ。


 先頭を歩くラウラとルッツァ、そして魔王アミルの背中を見ながら、一定の距離を保ちつつ廊下を進む。拳銃はドリヴァス大佐と名乗った凝魂人ゴーストのフリュギア士官に預けてしまっているため、ソロヴィヨフとオスカー、そして彼の護衛は非武装の丸腰である。これに関して、自ら愛用のライフルを持参してきたオスカーは少しごねたが、ただでさえフリュギアからの心証がよろしくないヘルヴェチアがこれ以上嫌われても仕方がないと悟ったのか、渋々自分たちの銃を部屋に残していったのだった。当のドリヴァスはといえば、その巨体で殿の位置からソロヴィヨフたちに監視の目を光らせていた。


「しかし、物好きな魔王様だな」


「……何がだ」


 声を潜めて、オスカーが感想を漏らした。


「わざわざこんなキナ臭い場所まで出張ってきて、一体何が目的なのやら。もはや自分一人の命じゃないだろうに」


「皇女殿下を直々にモスクワの手から救出したという名目が立つから……か?」


「そんなもの、あとから周りの人間にそう託けておけばどうとでもなる」


 言われてみれば、オスカーの意見ももっともだ。手紙で協力を仰いだのはあくまでラウラにであって、まさか魔王アミル本人が姿を現すなど、考えもしなかった。ラウラなりの誠意の見せ方とも思えたが、こちらとしては指示したラウラ当人が現場に訪れてくれただけでも十分なのだ。


「やりづらそうだな。自分の命を顧みない、マジの聖職者ってやつは」


「聖職者?」


「そうでなけりゃペテン師だ。自分のことをそうとはカケラも思ってないクチの、ね」


 魔王エレシュキガル二世ともあろうものが、あまりにも無謀すぎる。といったことを主張しているのは分かる。しかしながら、なぜこんなにもオスカーはここまで彼女のことを悪しざまに評するのか、ソロヴィヨフには理解しかねた。第一印象のせいで目が眩んでしまっているという点を差し引いたとしても、である。


「なにか、のっぴきならない理由があるがゆえに、権力を使って勇者を侍らせている。そんなふうに見えたがね、私には」


 ようするに、彼にはラウラやルッツァ少佐たちが、彼女に顎で使われているように見えているというのだ。だが、彼女が魔王として戴冠したのはたったの数ヶ月前である。国内における威勢の主導権は首相を始めとする内閣に握らせたままだというし、どちらかといえば、ラウラよりもアミルの方がお飾りの傀儡らしく見えるのではないだろうか。


「何にせよ、ずるい女だとは思わないか?」


 好色オスカーの主観に基づくアミル・カルカヴァン評は、酸っぱいリンゴをやたらと罵るかのような物言いで言葉が結ばれた。


 廊下を歩く途中、スーツ姿の男の二人と遭遇したが、彼らが胸元から銃を抜くよりも早く、ラウラの前に二人はもんどりうって倒れ込んだ。否、場違いなロリィタ・ワンピースの少女に警戒心を抱く間もなく、男たちは手足の腱を切断されていた。周囲の瞳がラウラの手にした刃の輝きを捉えたのは、ほんの一瞬。虚空から引き出された薄紅色の閃光が瞬いたのと同時に、二人の男は四肢の先端から深紅の噴水をまき上げた。赤絨毯に漆黒の血痕を刻み付け、なおもラウラは歩を進める。アミルもまた、悶える彼らに対して、一瞥をくれることもなかった。


 赤みがかった両開きの大きなドアの前。恐る恐る歩を進めると、先行していたルッツァがこちらを振り向き、ハンドサインで待機を命じた。その二メートル後ろには、銃身を切り詰めたショットガンを肩から提げたドリヴァスの姿。自分たちが未だ、彼らにとって信用ならざる監視対象であることを、ソロヴィヨフはあらためて実感した。


 ドアを見つめるアミルの横顔を見て、ソロヴィヨフはオスカーの言を思い出す。ずるい女。連想するまでもなく、ソロヴィヨフの脳裏には、それに該当する人間の屑が波濤を伴って浮かびあがる。ヘレネ・フォン・ヴィッテルスバッハ、そしてそれに連なる女たち。帝国に巣くう病害虫。腐敗の温床で暖をとる悪徳の胴元。あれと出逢ったのが運の尽きだった。あれを生かしさえしなければ、こんなことにはならなかった。何度も反芻してきた後悔の念は、いつもと同じように反省と懺悔の感情に切り替わる。こんなことを考えていても仕方がないというのに、こうした思考の空回りは、半ば癖にようになってしまっていた。


 いかんいかん、こういうのがよくないのだ。額や眉間に刻まれた皺がいっそう深くなってしまう。かぶりを振って、ソロヴィヨフは顔を上げた。


 次の瞬間、スイートルームから鼓膜をつんざく破裂音が響き渡り、コンマ数秒の時差を設けたのち、不可視の爆轟がフロアに佇むソロヴィヨフたちの四肢を横殴りに叩き飛ばした。




 ドアノブにラウラの手がかけられ、それが回った直後。ラウラはドアの開閉に際して、およそ生じることのない音を耳にした。鉄製の細いピンがしなったような、高い金属音だ。それから間もなくして、尋常ならざる爆発がスイートルーム内で発生した。室内からの爆圧によって吹き飛んだ二枚のドア板がルッツァとアミル……否、彼女を庇ったラウラを直撃した。ピンで信管を操作するダイナマイトが、ドア、もしくはドアノブの動作と連動していたのだ。


 そしてそれらは最初の爆発を布石として、連鎖的な誘爆を起こすよう配置されていた。廊下側で待機していたドリヴァスやソロヴィヨフたちも、無傷ではいられなかった。衝撃波が軽々と廊下の壁を突き破り、見えない手のひらで殴打されたかのように吹き飛ばされた。それと同時に、鏃のように鋭い壁材の礫が彼らに殺到した。


 幸運にも、ソロヴィヨフが致命傷を負うことはなかった。打ち身や切り傷で体のあちこちが痛むものの、動けないほどではない。しかし、したたかに壁に叩きつけられてから、一分近くはうずくまる以外の体制をとれなかった。大気を歪める破裂音によって、三半規管がぞわぞわと揺らめいていたからだ。


 周囲を満たしきっていた粉塵が晴れ、ソロヴィヨフは爆発後の惨状を見渡した。壁面、天井、床を問わずして、ホテル最上階フロアは、外部から巨大な顎によって食い破られたかのような虚空を晒していた。典雅な内装で飾られていたはずのスイートルームは跡形もなく消失し、むき出しの瓦礫と破損した建材の断面が曝け出されていた。


 眼球をずらすと、すぐ真横にルッツァが倒れ込んでいた。ドア板の破片が脇腹に深々と突き刺さり、周りの赤絨毯に大量の血液が染み込んでいた。細かに四肢が痙攣しているが、その命の灯がじきにたち消えつつあるのが、ソロヴィヨフにもわかった。


 半ば唖然としながら立ち上がる。五メートルほど離れた場所で、ソロヴィヨフと同じく、ようやく気が付いたアミルと目が合った。


「一体……何が、起きたのですか」


 彼女の体もまた、目立った傷を負っていない。しかしそれは、身を挺して爆風や瓦礫から彼女を守ったラウラの行為に起因していた。当のラウラは、アミルの傍らでうつ伏せに倒れ込んでいた。建材の破片が背面のそこここに痛々しく突き立って、純白のロリィタ・ワンピースは鮮血にまみれながら、ずたずたになっていた。血だるまと形容するほかない彼女は、しかし全身を苛む激痛を噛み殺しながら、ゆっくりとその身を起こし始めた。


「アミル。怪我はない? どこか、痛んだりは」


「だめ、ラウラ。喋らないで、お願いだから」


 ラウラを気遣うアミルではあるが、その視線はソロヴィヨフへと注がれていた。この結果は一体どういうことか。この惨劇を招いたのは、いったい誰か。何が起こったのか。どういうつもりで、自分たちをこんなところへ連れ出したのか。非難とも糾弾ともとれるまなざしが、ソロヴィヨフを容赦なく射抜く。


 確かに、ここにラウラを招いたのはソロヴィヨフだ。だが、このような結果を意図していたわけでは決してない。ソロヴィヨフとて、何が起こったかなど理解できていないのである。


 懺悔を温厚な表情で聞いてくれた赤毛の少女が、血まみれで痛みに耐えている。そんな彼女を支えるもう一人の少女が、訴えかけるようにこちらを見つめてくる。違う、違う違う、俺じゃない、俺のせいじゃない、俺がこんなことするもんか。第一、こんなことして誰が得するっていうんだ。勇者が死んで、魔王が死んで、俺が死んで、一体だれが……


「エリーゼ・ガーデルマン……あの女……ダマしてたのか……俺たちを」


 至極簡単な方程式を解き終えて導き出された名前を、ソロヴィヨフは静かに呟いた。それではあの女は、何を目論んでこのような手の込んだ罠を仕掛けた?


 思い当たるものとしては、口封じ。そう考えれば合点はいく。自身の亡命の伝手がブリタニア側で用意できるや否や、エリーゼはこの部屋にダイナマイトを敷き詰めたのだ。用済みとなったオスカーと、自身のヘレネへの関与を知るソロヴィヨフとを消すために。仮に爆発で仕留め損なったとしても、ラウラたちに対する信頼を大きく失墜させる結果となる。どう転んでも笑うのはエリーゼだけだ。


「ぐうっ……ぐむむむっ……謀ったな、賊めえっ」


 天井から崩落してきたのであろう巨大な建材に押しつぶされ、ドリヴァスは呻いた。鎧の肉体を持つ彼に外傷らしい外傷はないだろうが、その語気から発される憤怒と憎悪の念は、並々ならぬものであった。


「ち、違う、俺は……そんなつもりじゃ」


「そこに直れいっ……小官が直接っ、その首叩き折ってくれるわあっ……」


 足元で呪詛を吐くドリヴァス、死にゆくルッツァと勇者ラウラ。オスカーとその警護官たちの遺骸も、どこかで瓦礫に埋もれてしまっているのだろう。


 ここで自分が取るべき目的は、なんだ。ソロヴィヨフは、ろくに回転しない脳で考え始めた。じっとしていれば、恐らく自分は瓦礫から這い出したドリヴァスに殺される。自分の無実を主張する? どうやって? 不可能だ。死に体の面々にそれを説いたところで無意味だ。そんな口先三寸で嚇怒に燃えるドリヴァスを説得できるはずがない。


 それならここで死ぬことを受け入れるのが最善か? ドリヴァスがいかに殺しに長けているかは存じ上げないが、楽に首を折ってくれるのであれば、それもまたやぶさかではなかろう。


 だが、嫌だ。嫌なのだ。


 痛いのは嫌だ。痛くなかろうが、やぶさかではなかろうが、嫌なものは嫌なのだ。


 せっかくレーゲンスブルクからあんな思いをしながら生き延びてきたのに、こんな汚名を被せられたまま死ぬなんて、絶対に嫌だ。死にたくない。死にたくない!


 彼の心臓も、彼の生きたいという原初の意志に充てられたかのように、ずきりと大きく高鳴った。熱い血流が四肢に活力を再び漲らせ、次なる行動を可能とした。


 ソロヴィヨフは、踵を返して逃げ出した。


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