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嗤う女騎士  作者: カスミカ
セーヌの強欲ロビイスト
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パリ市諜報工作(6)

 七月十五日。


 地上に蔓延る人類のうち、約半数は男性である。そして、みずからの性器には異性を虜にする何がしかの魔性が備わっていると無根拠に信仰している者は、決して少なくない。何のことはない、山野を駆けずる獣と大した違いを持たぬ、筒状の生殖器官にすぎないというのに。射精、もしくは異性との交接の際、当事者間で生じる快感というのは、円滑な交配を果たすための生理的機能である。


 睦まじく乳繰り合うふたつの裸身の間で培われる、高度な精神活動の帰結によってもたらされる形而上からの祝福などでは、断じてない。原始的な本能に基づいて生命活動に表出した合理的な交配への動機付けであり、愛だ恋慕だなどという表現は、本質から目を背け続けた蒙昧が己を正当化させるためにあがいた結果の、単なる後付のレトリックでしかないのだ。


 エリーゼ・ガーデルマンが娼婦ココットとして客をとったとき、こうした冷めた思考が脳内に満ち満ちていた。


 胸元が大きく開いた深紅のドレスを纏い、その下にはユリの花弁を思わせる純白のキャミソール。においのどぎついパルファムを振りまいて、エリーゼは娼館メゾン・クローズの数日限りの一員となった。顧客の層が層だけに、ロココ調の宮廷の一室然とした内装には非常に金がかけられているらしく、場末の色街のそれとは一線を画していた。雇われている女たちも利発そうな者が多く、全員が公娼として公的な認可を受けた娼婦であった。彼女たちを統括するマダムもまた、オスカー・ヴァイルブルクの口利きと知ってか、柔和な笑みをもって迎え入れてくれた。容貌が初対面の同性に受けたのかはわからないが、だとすれば当然の結果だとエリーゼは思った。ヘレネに選ばれた自分の容姿が、醜いはずなど万に一つもないのだから。


 まあ、悪い気分ではない。異性に抱かれるのが、ここで生きるための生業でさえなければ。


 かねてよりの想定通り、娼館にはブリタニア軍人の姿が多くみられるようになっていた。パリ市の南東に位置するヴァンセンヌ旧城に駐屯している男たちは、毎夜の止まり木を求めて、こうして女の柔肌に抱かれに来るのである。襟の階級章を誇りこそすれ隠しもせず、堂々と彼らは、この砂糖菓子でふんわりとコーティングされた精液の排水溝へとやってくるのだ。


 毎夜のように、エリーゼは彼らに見初められた。口を吸われ、控えめとは言い難い大きさの乳房を愛撫された。脂肪よりも筋肉量に恵まれた彼女の肉付きは、しかしブリタニアの男たちには好評だった。着痩せする質の健康的な肢体に、メイクで飾られた佼々とした白面が備わっていることが、彼らの劣情を掻き立てたらしい。


 ああ、早く終わんないかな。うわ、ちっさ。あ、射たの? 気づかなかった。


 こいつ声ばっかでっかいだけで下手糞じゃん。うっさ。


 ところでこいつら、自分が犬みたいにへコヘコ腰振ってるの、カッコいいとでも思ってんのかな。射した後に無理して低い声でピロートークっぽいことほざいてるあたり、本気で自分の魅力で女を濡らしてるって勘違いしてんだろうな。一度真横で自分がヘコッてるとこ見てみればいいのに。笑えるよ、まじで。横に鏡あるから、あたしからは丸見えなんだよね。ちょっぴりでも頭使ってみれば想像できそうなもんじゃん。


 でもそんなことは露知らず。ウオーッ俺は強いんだ、強い俺は格好いいだろう、って。あーあ。バカみたい。そういう男に限って、女には想像力が欠如していて、散漫で、放埓で、子ヤギを少しマシにした程度の脳みそしか持ち合わせてないんだと思ってる。大昔に男にそう思わせた子ヤギ女には申し訳ないけど、彼女がかつてないバカとして生まれてくれたおかげで、こうして男が扱いやすい生き物になってくれたと思うと、多少はその女もあたしたちに貢献してくれたんじゃないかな、とも思うわけ。

 そんなことをだらだらと考えているうちに、ドーバーを渡って大陸にやってきた屈強な兵たちは避妊具の内部に精を解き放ち、ぐったりと弛緩して眠りに落ちてしまう。


 男に寝られたりすると、退屈である。ベッド横に忍ばせた語学書も、とっくに読み終えていた。手持無沙汰である。そんなときは、だいたい私物である赤いポーチに手を伸ばす。中には、包紙に包まれたハチミツのキャンディが忍ばせてあった。ヘレネが普段から愛食している、アリエージュ・メリフェラ国有製菓のキャンディであった。ガリア南西部に隣接する小国マイクロステイツサン・ミエルにおける主要輸出品のひとつである。大陸諸侯の胃袋を掴んだ製菓産業によって外資を荒稼ぎした過去から、サン・ミエルは今なお時代の荒波の中で、金満国家としての地位を確立し続けているのだ。


 包みをはがして、ポコンと黄色い球体を口に放り込むと、エリーゼは舌でそれを転がした。甘い。激烈に甘い。舌先から喉元まで余すことなく、痺れるような甘味が広がる。奥歯に虫歯の一つでもあれば、瞬く間に顎の骨もろとも歯の神経を焼き溶かすであろう。それほどまでに甘いのだ。糖を含んだ唾液が胃に流れ込むと、即座に血糖値が引き上がるようであった。ヘビーユーザーのヘレネであれば二、三個まとめて噛み砕いて満悦するその菓子は、やはりエリーゼにはやや甘すぎた。フレーバーに使われている、芳醇なリンデンブロッサムの香りは嫌いではなかった。男好きするこのパルファムの香りを、少しでも和らげてくれるからだ。


「いいにおいがするよ、アネモネ。この香りは好きだ。いまつけてる香水とは違うね」


 七月十八日、勤務四日目の夜。その日三人目の客の男が、エリーゼの偽名を呼んだ。接吻に及んだ際、口の中の異なる芳香に気づいたらしい。男は、ヴィクター・エリバンク空軍大尉といった。赤みがかった巻き毛をオールバックにした、爽やかな風貌の男性だった。ワイシャツの上からでもわかる、贅肉の見当たらない引き締まった体躯は、いかにも誠実にして模範的な職業軍人といったものである。エリバンク本人の気性もまた、教養を感じさせる大らかなものであった。


「なんだそりゃ。キャンディか? 一つもらってもいいかい」


「おやめになった方が賢明ですわ、一粒で歯がみいんなダメになってしまいます」


「度胸試しの売り文句か何かか? 生憎、虫歯には縁がないんだ」


 ベッドの縁に腰掛け、互いに言葉を、そして時には指先の触れ合いを交わしながら睦みあう。エリーゼは営業用の愛想笑いを張り付けたまま、もうひとつのキャンディをポーチから取り出すと、エリバンクの手のひらに載せてやった。


「ぐわっ。なるほど、こりゃすごいな、喉が焼けちまいそうだ」


 包みを剥いて無防備にキャンディを口に含んだ男は、顔をしかめて唸った。彼はベッドの傍らのテーブルに置いてあった水差しを手に取ると、二つのグラスに水を注いだ。そのうちの一つをすぐさま飲み干し、続いてもう一つをエリーゼに差し出した。


「ま。ありがとうございます」


「きれいなブリタニア語だ。君、本当に帝国人か?」


「父方の祖父が、リヴァプールに縁深かったらしいとは聞き及んでおります。だから、というわけではないでしょうが……幼いころから、語学には堪能であれと教えられてきましたわ」


「熱心なご家族だ。そのぶんだと、いい学校を出たんじゃないのか」


「一時期は神に仕えておりましたの」


「尼さんだったのか?」


「ええ、まあ。恥ずかしながら、教戒に従って生きていた時期もありますわ」


「そりゃこれだけ器量が良けりゃあ、破戒僧にもならあな」


 そういって、エリバンクはエリーゼの頭髪をやさしく撫でつけた。その直後、彼は声を強張らせて、エリーゼの耳元で囁いた。


「本当は何をしにここへ潜り込んだ?」


「何を、と申されますと?」


「とぼけなさんな。君はきっと、食うためにこんな職を選ぶような人間じゃない。飢え死ぬまさにその瞬間までね」


「……ごめんなさい。何か、気に障ることでも」


「いいや、こちらこそ申し訳なかったな。髪をいじくられるのが、何より嫌なことだとみえる」


 洒脱な声色で謝罪を口にすると、エリバンクはエリーゼの傍からやや離れた位置に座りなおした。


「ほんの一瞬だ。俺が髪に触れようとしたその瞬間、えらい角度に眉が吊り上がるのが見えてね。男を怖がっている感じ、でもない。それで気づいた」


「へェ。閨での仕事はシロウトだ、と? フクク……」


「少なくとも、君の猫っ被りは完璧だよ。実際、俺の同僚連中は軒並み君の虜だ。お上手なことで」


「お褒めに与りまして、光栄ですわ」


「だが、如何せん君は完璧すぎた。政治にもスポーツにも語学にも精通する明晰な新参娼婦……ちょっと話がうますぎるな。どいつも口を揃えて、君のことを買えと勧めてきたよ。タマと財布の中身のほかに、一体あのボンクラどもから何を抜き取った?」


「……いいえ。まだ、何も」


「外様ってことは、案外簡単に認めるんだな」


「別に、隠していたわけではありませんもの。ただ、野暮な詮索はしないのがここのハウスルール。違っていて?」


「物は言いようだな」


「ですが、それくらい疑り深い方が、対等な商談はしやすいというものです」


「商談だと?」


 エリーゼは薄手のガウンを羽織って立ち上がると、ベッド横の姿見に手をやって横にずらした。姿見の背後には、クローゼットがあった。両開きの扉をあけ放ち、エリーゼはその中から手提げの金庫を取り出した。


「生憎、寄進や寄付に関しちゃ間に合ってるんだ。上から手取りをどれだけ差っ引かれてるか語ってみせようか?」


「その手取りが倍になるかもしれないとしたら、どういたします?」


 膝上に金庫を置くと、エリーゼは施錠を外した。上蓋を開けてから、彼女はそれをエリバンクのもとへと差し出した。緩衝材の詰まったベルベットが張られた金庫の内部に鎮座していたのは、紅い結晶片の数々だった。大きさは拳大のものから砂粒ほどまで。それぞれの欠片の中央からぼんやりと放たれる赤い燐光が、二人の表情を照らした。


「これは、なんだ……? 鉱石……ルビーか何かか」


「先日ヘルヴェチアで起こった、リーハイム暴動についてはご存じですか?」


「当然だ」


「その現場で押収されたものですわ」


「火事場泥棒が娼婦に鞍替えか」


「暴動の現場を目の当たりにした一人とだけ、申し上げておきます」


「難民……というわけじゃあなさそうだな。ここへの伝手があるなら、ヘルヴェチアなんぞを経由して亡命する必要はない……」


「ご想像にお任せいたしますわ、今のところは……」


 にやりと微笑んで、エリーゼは言葉をつづけた。


「勇者ラウラにゆかりの人物が、これを用いて人の技ならざる魔術を行使した。一説によれば、リーハイムの大規模な火災は、この石の持つ魔力によるものとも」


「信じろというのか? そんな与太話を……」


「大尉は、なぜヴォーパル鋼が飛竜を御することができるか、技術的なメカニズムを理解したうえで竜に跨っておいでなのですか?」


「それとこれとは話が別だろう」


「わからないものをすべて与太やオカルトと断じるのは早計だと申し上げているのです。こちらに関しては、ガリア地質学会からの知見も得ています。前例のない未知なる鉱物、ゆえに組成傾向に基づく想定以上の明確な回答は差し控えさせていただきたく……と」


 二種の書類を、エリーゼはエリバンクの傍でひらつかせた。ひとつはガリア地質学会からの、お手上げを示す書面。もう一つはヘルヴェチア国境警備隊発行の押収リスト。エリバンクはそれらを取り上げると、紙面に目を走らせた。やがて、エリバンクは書類を記した両派が示した共通の可能性に関する一文へと読み至った。


 ヴォーパル鋼の性質に酷似した、限りなく百パーセントに近しい単一元素鉱物の結晶。


 そんなものが、ありうるのか? 地学に縁のない軍人であるエリバンクとて、紙面に記されている内容が、尋常ならざる事実を示しているのはわかった。ただでさえ加工に困難を極めたヴォーパル鋼にようやく実用化の目途が立ち始めたかと思えば、今度はその利点をまるまる有した鉱物結晶が発見されただと? それも、曰く付きのリーハイムで?


「お偉い学者連中の墨付きか。これがそっちの手土産ってわけだ」


「お話が早くて助かりますわ」


 しばらく書類を睨みつけ、何事か思索を巡らせたかと思うと、やがてエリバンクはエリーゼに視線を向けた。


「それで……そっちは何が欲しいんだ? タダでこんなもの譲ってくれるほど、修道院暮らしに染まってるわけじゃあないだろ?」


 再び、エリーゼは余所行きの愛想笑いを浮かべた。かかった魚は、どうやら大きいらしい。未だ揺籃期にあるとはいえ、そもそもがエリート士官の寄せ集めたる空軍である。人材の厳選を怠っているということはないだろう。その中でエリバンクは人並み以上の警戒心、思考力、そして野心。どれも想定に見合うレベルのものを持ち合わせていると、エリーゼは判断した。


 現時点で持ち得ることのできる最優のコマ。それをようやく手にしたことで、エリーゼは本心からのにやつきを抑えるのに、少々骨を折った。娼婦の仮面を取り去るには、まだ早い。


 下心というものは、表に出した瞬間に傷んで腐ってしまうのだから……


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