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嗤う女騎士  作者: カスミカ
セーヌの強欲ロビイスト
51/68

パリ市諜報工作(5)

 翻って、七月十日。


 ただ、みんなで仲良く暮らすだけの、なんと難しいことか。


 ラウラ・フォン・ベルギエンは、色のない液体が充填された小瓶を手で弄びながら、アパートメントの窓からパリの景色を眺望していた。目下から延びる街並みは、そのまま南北にエリゼ宮とシャンゼリゼ通りに面する緑地公園へと接続されている。そこから道沿いに東へ視線を向ければ、コンコルド広場が広がっている。


 あそこに、魔王エレシュキガル二世を立たせる。


 大観衆の衆人環視の中で、彼女の口から改めて未来への展望を謡ってもらう。それが、パリにおける勇者ラウラ最大にして、誰にも代われぬ大任であった。


 ラウラは小瓶を傍らのテーブルの上に置いた。手書きのラベルには、モルぺリアと記されていた。帝国で流通していたという液体麻薬である。その非常に強い常習性から諸国家では使用から単純所持までが規制されているが、帝国国内では水面下での流通が黙認されており、社会保険省の大きな網の目を潜り抜けて、モルぺリアは国内外へ向け、動脈を駆ける血液のように流出していった。非合法組織の資金源として、不良将校の小遣い稼ぎとして、飢えた農民の生命線として。陸運、海運を問わずして、この薬物汚染は現在もなお進行している最中であった。世界有数の港湾たるマルセイユを有するガリアは、海外より渡来する麻薬の密輸ルートの要衝といってもいい。


 ラウラは振り返って、足元に目をやった。虚ろな瞳で天井を見上げる、痩身の男の顔がそこにあった。落ちくぼんだ眼孔、青褪めた生気のない肌、がさがさの黒い頭髪。典型的なモルぺリア中毒者の特徴である。その首から下は、狭い室内のリビングの中央近くで、大の字になって倒れ込んでいる。薄桃色の鋭利な刃によって、彼の頭部が胴から分かたれたのは、つい先ほどのことだ。


 銃さえ出さなければ、こちらとて【剣】を抜くことはなかったのに。ラウラは男の右手に握られたままになったリボルバーを一瞥した。彼が単なる常習者であるなら、ラウラとて命を奪うようなことはしなかった。彼がパリ市内でのモルぺリア流通の元締めの一人でさえなければ、きっと頸部をここまできれいにスライスされることもなかっただろう。


 皺だらけのカッターシャツに、シミまみれのズボンを履いたみすぼらしいその姿からは、生前の彼が貴族の姓を賜っていたとは到底思えない。貴族といえば聞こえはいいが、その実態はモスクワの侵攻によって領地を追われた亡命貴族である。先だって同志の集結を図っていた帝国元宰相クリゾルト公を頼って落ち延びたのだろうが、その先で哀れにも麻薬の依存症に心身を苛まれ、辛うじて自ら売人となることで食い繋いでいたらしい。臣下に見放され、異国の地でこうして惨めに骸を晒す羽目になろうとは、彼自身想像だにしていなかった末路だろうに。


 男の名は、ブロックシャイト伯ハンス。帝国西部の小都市群を治める貴族であった。


 パリにおいてラウラが斬り捨ててきたのは、いずれもそうした黒い境遇の持ち主たちである。


「ここも、あまり彼女に相応しい街には思えないよ」


 しずかに入室してきたジュゼッピーナ・ルッツァ少佐に気づいたのか、ラウラはそう言った。


「すこし考えればわかることだ。こんな薬で生計を立てていれば、どうなるかなんて」


「そのすこしを考えられる能力があれば、彼もこんな商売には手を染めてはいますまい。誰もが望んで、自分からやくざな暮らしに身を窶すはずもありません」


 リビングの絨毯に広がった夥しい量の血痕を避けながら、ルッツァは応じた。


「もっとも評判を聞く限り、こいつの場合は金に目が眩んだだけのようですが」


「自分が生きていく以上のお金を、名誉を、なんで欲しがるんだ? なんで他人の人生を食い物にしようとする? なんで自分の破滅に他人を巻き込もうとするんだ」


 ルッツァはそれに答えなかった。気高く、潔癖なまでに己の勇者としての宿命に忠実なこの少女に、果たして只人である自分がどう応ずるべきか、迷っていたからだ。


「生きているべきでない人間が、多すぎる」


 無感情に、ラウラはそう吐き捨てた。


「花の都も、一皮剥けばこんなものだ。ギャングやマフィアの子飼いで溢れている。誰もかれも、ボクたちの言うことに聞く耳を持ったりしない」


 和を以て貴しと為す。小学校で配布される倫理や道徳の冊子には、いずれもそう記されているだろう。しかし、この社会を営む上でごく普遍的に尊ばれる通念に対して誠実でいられるほど、人々は利口ではないらしい。故郷を出て数年で、ラウラはそれを嫌というほどに学んでいた。そもそも人類が賢しければ、格差と差別の蔓延る中世期の延長めいたこの時代は、早々に終わりを迎えているはずだ。唾棄すべき戦乱の胤は、未だに大陸のそこここで、芽吹きの時を待っているのであろう。


 刈らねばならぬ。ひとつ残らず。そんな新芽は、次代にはひとつたりとも求められていない。


 ラウラ・フォン・ベルギエンは、ただ純粋に万人の太平を夢見る少女であった。半陰陽の身の上は、彼女の有する勇者という肩書と血統の神秘性をさらに強めるのと同時に、みずからをどこか常人とは逸脱している存在だと断定させていた。


 帝国から魔王アミル・カルカヴァンを救い出してからというものの、背負い込んだ使命に対する責任感は、日増しに強まっているようであった。ややもすれば、この自分の魂は、肉と骨と血の一滴に至るまでは、すべて叡智の教義を振るいしかつての勇者を再演するべくして産み落とされたのではなかろうか。連日の殺人的な過密スケジュールを過不足なく完遂することができたのは、そう思えばこそであろう。


 ヘルヴェチアで起こったリーハイム虐殺から数週間、ラウラをはじめとする派遣フリュギア軍、ならびにブルクゼーレ義勇軍士官の面々は、文字通り寝る暇を惜しんで事態の鎮静化と真相究明に向け、粉骨砕身していた。ガリア社会党党大会へのアミルの参加と合わせて、不眠不休の対応を迫られていたのである。難民支援に関しては引き続き継続の意を表明し、モスクワに対しては徹底的な糾弾を行った。リーハイム現地でも義勇軍の志願兵たちが根気強くヘルヴェチア側と交渉を行い、先日ようやく現場検証へとありつくことができた。


 それと同時に、ラウラは業務の合間に陸軍少将リヒャルト・ヴァイルブルクの庇護下にあると思しき事件首謀者の行方を追っていた。故ラインムート中尉を名乗った、悪質きわまるテロリスト。その凶悪な気性とは不釣り合いなほどに美しい黄金の頭髪をたなびかせる、あの悪女。他人をおちょくることが人生における至上の目的とでも言わんばかりの下卑た上目遣いは、実に不愉快なものであった。吐き気がする、虫唾が走る。


 いくらその笑みに媚びを売るような趣を織り交ぜようが、あの女への憎悪が薄まることは決してない。地の果てまでも追い詰めて、必ずその所業を贖わせてやる。無辜なる二千の民を焼き払ったその罪業、生半な償いで繕いきれるはずはない。あの女こそが、現代に生を受けた勇者たる自分が討つべき魔物だ。真に魔物と呼ぶべきは、あの女の方なのだ。


 リーハイムでの事件を受け、ラウラは即座に首謀者たる女の身柄の引き渡しを要求した。再三の呼びかけにも関わらず結果は伴わなかったが、先日行われたフリュギア主導の現場検証では、ある手がかりが発見された。収容されたモスクワ兵の所持品から、粉末のモルぺリアが押収されたのである。外袋に記載されている用法は、帝国語で記されていた。


 とりわけ軍紀の低迷著しい懲罰歩兵という集団であれば、構成員がこれを持ち合わせていても不思議ではない。彼らが帝国を戦地として戦っていたのであれば、なおさらだ。しかし押収された粉末の品質は、検証に参加したルッツァ少佐の思考に疑問符を投げかけた。純度が高すぎるのだ。グラムあたりの末端価格でいえば、一般の労働者の半年ぶんの収入をゆうに越える額とみられ、そこらで流通している、混ぜ物によって嵩増しされた麻薬とは異なる、砂金も同様の価値を有した逸品といえた。


 戦時においては、比較的純度の高い麻薬が流通することが多い。本来の鎮痛目的で使用されるほか、非合法なものの場合、濫用した兵が故郷に戻ってからもなお、これを欲するように仕向けるためだ。依存症に陥った兵は戦地で服用したものと同じ薬を求めるが、しかし市井で出回っているのはどれも不純物を多分に含んだ劣悪な品ばかり。だが、既に恒常性を欠いた心身の渇望を満たすためには、これに手を出すほかはない。まして帝国領ともなれば、兵のみならず、日々の貧困から逃れるべくモルぺリアに手を出す市民は少なくない。


 では、懲罰歩兵の面々が持っていたこの粉末は、いったいどこからやってきたのだろうか。彼らの少ない賃金で購入できるものではないし、徴収や略奪によって得たものとは、どうにも考えにくい。そもそも、今回の対帝国戦争おいて彼らが担ったのは、もっぱら地雷原の突破やゲリラ狩り程度のもの。市街制圧に投入された記録などないというのだ。となればこの粉末は、何らかの報酬や見返りとして与えられたものなのではなかろうか。そして、これを受け取るための条件こそが、リーハイムでの惨事だったのではないだろうか。


 魔王軍、ひいてはフリュギアの活動を快く思わない勢力による悪質な妨害活動。非猿人種への過激な排斥行為の一端。心当たりならごまんとあった。しかしあえて粉末モルぺリアという存在を勘案して考えると、候補くらいは絞れてくる。


 飛竜騎兵の実用化で相互に紐づいている三国連盟の面々は、シロと考えていいだろう。ガリアやブリタニアに、秘密裏にモスクワ軍の末端を動かすためのコネがあるのなら、わざわざ他国と肩を組んで対モスクワのための協調を図る必要もあるまい。フリュギアへの生理的嫌悪を、現実的な脅威たるモスクワへの対策に優越させるとは考えられない。


 怪しいのはヘルヴェチアである。こちらもフリュギアとは飛竜騎兵技術で結びついた関係ではあるが、リーハイム事件を一任されたリヒャルト・ヴァイルブルク少将による露骨なフリュギア軍の締め出しは、果たして人種的な差異からなる差別意識だけが理由なのだろうか。アミルと会談し、支援政策に乗り気だった外交官のオーギュスト氏が先日から行方を眩ませていることにも、きな臭さを感じてならない。


 そして当のモスクワ軍はといえば、目下現状を調査中とのことで、現場となったヘルヴェチアにおける民声や、国際世論に対しても、仔細なコメントを差し控えるような対応を見せている。恐らく、事件の主犯はモスクワに属していると思しきブロンド女で間違いない。そして、事件そのものはあの女か、ヘルヴェチアに近しいモスクワ側の人間が独断で起こしたものだろう。


 そも、リーハイムで難民を虐殺したところで、モスクワに何のメリットがあるというのか。戦争行為というよりも、テロリズムと呼ぶべき事案であろう。確かに魔王軍は手痛い打撃を被った。難民支援の致命的失敗を繕うために重役たちは各国を飛び回り、世論を再び好意的な方向へ揺り戻すことに必死である。アミルのガリア入りも、それが大きな理由であった。しかしながら、魔王軍側の事後対応の手際は、そう悪いものではなかったのだろう。結果的には、人々に広く同情的な感傷を植え付けることに繋がりつつあった。これらの事実を鑑みると、先の事件は長期的な展望に基づいて行われた虐殺ではなく、場当たり的にして短絡的な戦争犯罪としてみなすのが自然であろう。


 そこまで推察を巡らせたラウラは、ブルクゼーレ義勇軍、フリュギア軍の両軍から精鋭を選抜し、独自の特捜集団を編成した。ルッツァ少佐も、この構成員の一人である。規模は小さいが、アミルの護衛を含んだ包括的な活動を主とする対テロ部隊は、フリュギア本国やブルクゼーレ軍司令部からも二つ返事で支持と了承を得られ、結成された。こうしたいきさつがあって、ラウラたちはアミルとともにパリへと足を踏み入れたのだ。


 彼らはアミルの護衛を最優先としながら、ガリア国内で秘密裏にブロンド女へ通じるであろう、モルぺリアの売人を探り始めた。マフィア、ギャングを始めとする非合法集団に当たりを付け、流通に用いられる密輸ルートを遡っていった。クリゾルト派と称される亡命貴族たちには、その捜査の中で行き着いたのだ。あのブロンド女もまた、果たしてそのクリゾルト派に属する亡命貴族なのか。その関連性を、ラウラたちは血眼になって探している。


「ベルギエン卿、これは」


 ルッツァが声をあげた。質素なキャビネットの上に無造作に置かれたものを手に、彼女はラウラの元へと歩み寄った。六つ折にされたパラフィン紙である。窓際のテーブルの上で紙を広げると、一目では砂糖菓子にでも見間違えそうな、茶色がかった粉末が現れた。


「色味からして、かなり純度の高いモルぺリアかと」


「……そうらしい。帝国は、貴族ぐるみでモルぺリアに飼い慣らされていたわけだ」


「モスクワの部隊をリーハイムに差し向けたのが帝国の人間だという推察、俄然真実味を帯びてきましたな。捕えるとなると、やはり難しいと言わざるを得ませんが」


 戦況の悪化を鑑み、ブロックシャイト伯のように帝国から亡命を図る貴族は少なくない。散り散りになった彼らを捕え、身柄を洗って回るには人手が足りなすぎる。はるか遠いモスクワの東部にでも逃げられてしまえばおしまいだ。


「今は、クリゾルト派の亡命貴族の動きを牽制するだけでいいと思う。アミルの身の安全が最優先だ。捜査だけに気をとられるわけにはいかない」


 それがラウラにとって苦渋の決断であることは言うまでもない。仮にテロの首謀者たるブロンド女が、国際世論に影響を及ぼしたリーハイムの一件で気を良くして、亡命先で隠居でも決め込んでくれれば、少なくとも党大会はつつがなく開催されるだろう。楽観的がすぎる考えではあるが、テロリストやそれに準じたゲリラ的なフットワークに逐一対応することは不可能だし、今すぐあのブロンド女の襟首に手をかけられるほどの機動力や捜査ノウハウなど、今の魔王軍は持ち合わせていない。それこそ、人海戦術に基づいた非現実的なローラー作戦を採用するしかなくなってしまう。ガリアというアウェイな土地においては後手に回るほかに策はなく、それならばなおさら、パリ中心部の警戒を一層強めるに越したことはないといえよう。


 そう納得して割り切るべきだと、頭ではわかっていた。しかしながら、ラウラのある種厭世的な瞳の憂いは、分厚い黒雲に覆われたように澱んでいた。パリで斬り捨てた売人や亡命貴族は、ブロックシャイト伯を含めておよそ八人。大義のためであれ、殺人は厭って然るべきものだと、今なおラウラは考えていた。だが胸中に口を開けた喪失の大穴が、暗闇から呻き声の不協和音を発するたびに、その貴ばれるべき道徳心は、次第に麻痺していくようだった。


 ラウラは勇者である。勇者であれと定められてきた者である。


 売人狩り、ならびにクリゾルト狩りは、言うなれば見せしめだ。ラウラたちのバックにいるガリア社会党も、半ばこれを黙認しているようだった。大陸に新たなる秩序を芽吹かせるためには、汚染された土壌を改善していかねばならない。勇者を取り巻く人々は、こうした社会正義に基づく超法規的措置めいた死刑執行、それによる犯罪抑止は、社会党に出入りする警察官僚すらも支持するところであった。


 諸悪を誅し、公平にして平安なる世界を培うために戦うことを任ぜられた者。それが勇者。


 そう、目指すべきは平安。すべて人類は遍く公平に生き、厳正に裁かれ、平等に亡びるべきなのだ。しかしながら、正当さを示す天秤は、あまりに諸悪の側へと傾きすぎているのではないか。生きているべきでない人間が、多すぎる。無辜なる神のしもべたちが、次々と悪徳に犯されて死んでいく。可笑しい。茶番劇にもなり得ない。道理が通らないではないか。


 なぜこの世界には、あんなにも人間の形をした屑どもが蔓延っている?


 なぜアミルのような人間が、自由と尊厳を謗られなければならない?


 そして……なぜエルチェは、あの惨劇の舞台で死なねばならなかった?


 未だに死体すら見つかっていない。もしかすれば、あのヘルヴェチア軍によるお粗末な埋葬作業に巻き込まれ、他の遺体や土砂とともに撹拌されてしまっているのかもしれない。彼女が一体何をした? どんな罪を犯したというのだ。なんの権利があって、あそこまで人々を蔑ろにできるというのだ。


 許しがたい。万死に値する。


 たとえアミルが許そうとも、車裂きにしても飽き足らない。


 いつか必ずその罪を償わせてやる。


 愛と祝福の満ちた世界に、あの女は不要なのだから。



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