パリ市諜報工作(4)
七月十三日。
新聞の一面には、パリ近郊で発生したマフィア同士による抗争が大きく報じられていた。曰く、ビエーブルの家具工場での銃撃事件。曰く、シャヴィルの宿泊施設のボイラー室内での刺殺事件。曰く、ボビニーの閑静な住宅街での連続死傷事件。いずれの地名も、ヘレネにとって馴染みのあるものだった。それぞれモルぺリア売買に関する取引相手のギャングやマフィアが根城にしていた事務所や麻薬工場が位置する街であり、今回のパリ行脚の合間を縫って視察(という名のみかじめ料や在庫の徴収)を行おうとした矢先に、これらの事件が立て続けに発生し始めた。
「思った以上に物騒な掃き溜めだな、パリってのは」
ハチミツとメープルシロップと白砂糖をたっぷり注いだ粘性の強いココアラテ、その上に熱したマシュマロを浮かべた糖分の塊をストローでぞるぞる啜りながら、ヘレネはぼやいた。
セーヌ川に面するメギッスリー通りのとあるカフェテラス。
ここで午前のティータイムを過ごすのが、ヘレネのパリでの日課となっていた。ラフなブラウスの首元にふっくらしたパープルのリボンタイを飾り、下半身は綿のロングスカート。日光を反射して白く輝くブロンドヘアは後頭部でシニヨンにして、顔は完全にすっぴんのまま。市井の庶民のスタイルを再現したとはヘレネ本人の談ではあるものの、しかしその天性の美貌から、目立たずに潜伏することはほぼほぼ不可能であった。道行く男たちの視線をどうしても一身に浴びてしまう都合上、日中はこうしていっそ開き直ってカフェ巡りでもしていてもらうほかないというのが、騎士団やリヒャルトたちの総意であった。そもそも、ヘレネという女が人目を憚る隠遁生活を快く受け入れるはずがないのだ。
「下院選挙を前に、警察が治安維持の名目で点数を稼いでいるのでしょう。取り締まりの強化がそのままシノギに影響して、結果的に組織同士の衝突になったのではないでしょうか」
口内に広がって歯列に絡みつく激烈な甘味に口元をゆがめながら、ヘレネの正面の卓に着くリヒャルトは応じた。ヘレネと同じものをオーダーした五分前の自分を呪いつつ、未だたっぷりとカップの中に残るココアラテを目にし、彼は大きなため息をついた。
気分こそ逢引きではあるが、周囲のテーブルからはヘレネの部下たちが目を光らせている。兄のように下手に彼女の肌に手を伸ばそうものなら、即座に鉛玉で頭部を蜂の巣にされるだろう。しかしそれでも、リヒャルトはこれ以上ないくらいに上機嫌だった。この忌々しい甘味の坩堝が目の前になければさらによいのだが。リヒャルトは、口直しのためにオーダーした珈琲を口に含んだ。あまりうまくない。ただ、歯の神経を責め苛む味はわずかに和らいだ。
「ガリアの警察は、そこまで勤勉なのか? しょっぱい給料で真面目なもんだ」
「少し前からパリにもブリタニア軍が駐屯していますからね。他国の軍人に向ける警戒が、勢い余って市内に巣くう半グレたちへの締め付けになっているようにも見えます」
「……本当にそれだけだと思うか?」
「と、仰いますと?」
「本当にガリアのオマワリさんたちが優秀だから、あたしらの取り分がモリモリ減りつつある、そんなはずはねえんだよ。警官だって麻薬で美味い汁を啜ってる、それがお偉方の鶴の一声できれいになるわけがねえ。ましてや今をときめく第二党は、リベラリスト率いる社会党だ。移民だ難民だの犯罪の取り締まりをやらされてる警察が、そいつらの権利を守れだ何だと横からわめかれて、シラフでやってられると思うか?」
「それを好んで志したモノ好きが警察官、のはずなのですがね」
「サツとは別に、どっかの誰かがヤクの流通について嗅ぎまわってやがる。そう考えるのが普通じゃねえのか? 潰されてるのはほとんどが帝国系カルテルのヤサだ。それに加えて、例の亡命貴族の連中も身ぐるみ剥がれて殺られてる」
ヘレネは被害に遭った麻薬工場のリストの記載された手帳を取り出し、卓の上に置いた。新聞や記者本人への聞き込みを中心に、ここ数日でノーラ達に調べさせたものだ。リヒャルトはそれに目を通して、口を開いた。
「帝国領からのモルぺリアの流通が狙われている……と、お考えなので?」
「いくらなんでも露骨すぎんだろ。上がってる死体だってほとんどが帝国の息がかかった元貴族か、ゴロツキだ。恐らくはクリゾルト派の片棒担いだはいいものの、路頭に迷って手持ちのヤクで糊口を凌ごうとした矢先に摘発されたってんならわかるがな。こっちは芋蔓式に有無を言わさず首ちょんぱだ」
「……確かに、ヘルヴェチアを介した密輸の体制が完璧だったとは言い難いでしょうが。この時期に取り締まり……もとい、抗争が激化するとも考えづらいですね」
次兄オスカーの人任せな気質を謗りつつ、リヒャルトもまた考えを巡らせた。
「現場のヤクはすべて焼却されています。横からシノギを掠めとる目的でもなさそうです」
顎に手を当てるリヒャルトの背後から、ノーラが口を出した。パルスベルク城塞陥落の際に用いたのと同じ手段で、警察署と新聞社に潜入して情報を仕入れてきた張本人である。
「被害者が複数の組織に跨っているのは事実のようですが、いずれも現場に残った弾痕はわずか、被害者が抵抗のために発砲したものだと推察されています。武装した構成員による大規模な出入りというわけでもありません。またすべて同様の手口で頸部を切断されており、遺体を隠蔽することもまたなく、実行犯はただ淡々と売人を殺して、モルぺリアだけを焼却して回っている。マフィア同士の抗争というには、いささか疑問が残ります」
「現場には現金や金品が手つかずの状態で残されていたそうなので、突発的な物取りの線も消えますわね」
ノーラの説明に、傍らのニーナとハイダが補足を付け加えた。
「弱小の二次組織のカチコミにしては、違和感が勝ち過ぎる、というわけです」
「情報が漏れるとしたら、かねてよりアポイントをとっていた社会党の政治家からでしょうが、犯人は頭のおかしい自警団気取りです。そんな奴に我々とコネがあるなんて漏らせば、そいつの首の方が危うくなる。自殺行為です。そもそも、なぜ今の時期にモルぺリアを狙うのか」
リヒャルトが唸り、持論をまとめながら口にし始めた。
「修道騎士団の主力がルプブルクを離れてから、市場に出回るモルぺリアは以前より増加しているはずです。開戦に伴って、帝国からの密輸出をヘルヴェチア経由で一本化したことが仇になったのでしょう。ルートさえ割れれば、売人を探っていくことは難しくはない。となるとやはり、他国からの輸入物でシマを荒らされることに不満を持った地元組織による犯行というのが有力では」
「仮に流入の経路を太くしたことが問題だとして、窓口のオスカー参事官はいったい何をしていたのでしょう……私たちはどこで、そこまでの恨みを買ったと?」
「私たちを狙った犯行と断定するのは早計じゃないの。売人連中のヤサへの視察は、抜き打ちみたいなものだったじゃない」
ウェーブがかったブルーグレーの三つ編みの毛先を無意識に指先で弄ぶハイダの疑問に、ニーナがきっぱりと言い放った。
「恨みを買ったとなると、例の魔物どもを置いて他にないでしょうが……」
「はっ! 逆恨みもいいとこだわ、薄汚い劣等どもが図々しいのよ」
ハイダとニーナのやり取りを耳にして、ヘレネが眉をぴくりと動かした。
「……もしかすると、漏らしたのはモスクワか?」
「どういう意味でしょう」
「……まさか、マニロフ中佐……でしょうか」
ノーラの苦々しげな呟きに、ヘレネは肯定の意で頷いた。
「前々からあのハゲを買収するために、少なからず袖の下をくれてやってた。その中には、それなりの量を揃えたモルぺリアもあった。末端価格で言やあ、一等地にでかい庭と使用人付きの家が建つような代物だ」
息を呑むリヒャルトが周囲を見回すと、神妙な面持ちで目を伏せるノーラ達の顔が目に入った。それはいずれも、ヘレネの告白が真実であることを物語っていた。
それから二の句を継がず、ヘレネは優美な顔つきで押し黙った。
やがて彼女は噴火を思わせる勢いで、眼前のテーブルを蹴り飛ばした。木製のテーブルは街路目がけて弾け飛び、陶器のカップがタイルに落ちて砕け散った。
「クソハゲがッ! 懲罰歩兵を動かせとは言ったが、よりにもよって捨て駒の激励にモルぺリアを流す阿呆がどこにいンだあの野郎ッ! ものの価値ってのがわかんねぇのか! 百姓上がりのボンクラが! 小麦粉と砂金の区別もつかねェのかッ! ダボが! クソッ!」
聞き馴染みのない帝国語で、口汚くこの場にいない誰かを罵るヘレネの大声に、周囲の視線が一斉に集まった。自らの卓でそれを眺めながらカップを傾ける者、さりげなく席を立ってそこからそそくさと離れる者、新聞紙の文面に目を落としながら、さりげなく様子を伺う者。絶世の麗人が突如として憤激するその光景は、只人にとって目を奪われずにはいられないものであった。
「そのあたりにしてはいかがかな、マドモアゼル」
三十代ほどの紳士風の男が、苛立ちの頂点にあるヘレネに声をかけた。女連れでありながら、先ほどからヘレネの美貌にちらちらと視線をとられがちだった男だ。カフェの平穏を乱す不埒な輩に注意を喚起する誠実な面を連れの女にアピールしたいのか、それとも単についさっき芽生えた下心に忠実になっただけなのか。
なんにせよ不愉快なので、ヘレネは躊躇いなく拳銃を抜き放ち、男の足元目がけて引き金を引いた。男の革靴の先端に風穴が穿たれ、鮮血がタイルに滲むとともに、彼は悲痛な呻きを絞り出して倒れ込んだ。
一発の銃声に、周囲の客はざわめきながらヘレネたちから距離をとった。椅子を蹴倒し、隣人を押しのけ、我先にと人々は後ずさっていく。男の連れの女は、ぽろぽろ涙を流しながら、地虫のように転がるかつての紳士を見下ろしていた。
「見せもんじゃねェぞ鼻糞ども」
軒先からの騒がしい物音を聞きつけたのか、ウェイトレスが店内から駆けつけてきた。ヘレネの癇癪玉の破裂が起こした惨状を見て口元を覆うが、彼女が恐慌の叫びを上げるよりも早く、すかさずそこへリヒャルトが割って入った。口元に人差し指をかざして、小声で言った。
「見てもらえばわかると思うが、いくつかカップを割ってしまった。すまないが、後で片付けを頼みたい。いや、驚かせてしまって本当に申し訳ない」
怯えるウェイトレスの肩を軽くたたくと、リヒャルトは長財布を取り出し、彼女のエプロンドレスのポケットに無理やり紙幣の束をねじ込んだ。
「浮いた金で店を辞めたまえ、ここの珈琲はまずい。もっといい店で働くように」
それでは。颯爽と何事も無かったかのように、リヒャルトはウェイトレスに背中を向けた。
蹴倒されたうちのひとつの椅子を立たせ、リヒャルトはヘレネの横に座った。未だ地べたで呻く紳士を無視しながら、ヘレネとの会話を再開する。
「では、リーハイムの一件からモルぺリアの流通が露呈したのだと?」
「漏れるとしたら多分そこだ、あたしたちの手が届く二割の量をあのハゲにくれてやった覚えがある。わかるか、二割だぞ? モスクワの軍人が、なんでここまで上等なブツを大量に持ち合わせてんだってな。混ぜ物で薄まった程度のヤクなら話のネタにもなんねぇだろうが、ハゲに包んでやったのはそんなチンケなもんじゃねえ」
「かねてより亡命を望んでいたとは聞き及んでおりましたが」
「換金を前提に、餞別代わりにくれてやった。それを、職場での賄賂に使っちまったらしい」
「そこから懲罰歩兵中隊の末端の兵へと行きわたり、リーハイムの現場でそれが露呈した……」
ノーラの呟きに応じ、リヒャルトが推察の結論を口にする。
「……魔王軍が再三にわたって現場検証を要求してきたのは、それが理由だったのか?」
モスクワ側のモルぺリア流出。これはモスクワが帝国の麻薬組織、すなわちヘレネたち修道騎士団と繋がっている事実がつまびらかになってしまったことに他ならない。そして、この一件を執拗に追及し続けるに足る動機を有する存在といえば、ひとつしかない。
「勇者の野郎だ」
「そう、なるでしょうね」
ぎりりと奥歯を噛み締め、ヘレネは再び憤りの感情を見せた。
「どこまであたしの邪魔しやがれば気が済むんだ、あの魔王さまとイカれた自称勇者は」
「戴冠以降、エレシュキガル二世は各国でのロビー活動に非常に精力的です。我々とは別口で党大会への参加の手筈を整えているという可能性は、十分に考えられます」
「しかし社会党へは何度も探りを入れましたが、エレシュキガル二世本人が来訪するといった情報は得られていません。クラカウ議員とのやりとりでも、そういった話はありませんでした」
「もしくは、互いに対してあえて話を伏せていたか」
ノーラの発言に、リヒャルトが持論で応えた。
「エレシュキガル二世とヴィルヘルミーナ第四皇女、この二名をコンコルド広場に呼び寄せることで、社会党が両派の鎹として機能することを望んだのかもしれません。第一党や国民に向けたこれ以上ないサプライズ・パフォーマンスになりますし、国内で居座っているブリタニアへのアピールとしても申し分ない」
「党大会の場がドンパチの現場になっても構わねぇってか?」
「それに関しても、あちらもブリタニアの威を利用する腹積もりなのでしょう。翼竜騎兵の庇護にあやかりながら、与党を差し置いてフリュギアと帝国、ひいてはモスクワの重鎮を招いて大々的に党大会を開催する。向こうにとっては、垂涎ものの展開といえます」
「そんなら、当日どうにかなるのは織り込み済みか。やってくれるな、政治屋どもめ」
舌打ちして、ヘレネは忌々しげに吐き捨てた。
「売人殺しは当日のスピーチのネタ作りも兼ねてるわけか。となれば、あの勇者野郎は金魚の糞みてえに魔王にくっついて回って、パリの大掃除に励んでると」
ヘレネは脚線美を組み替えながら、形のよい潤んだ唇を動かした。
「上等じゃねえか、身の程知らずのチンカスどもがよ」




