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嗤う女騎士  作者: カスミカ
セーヌの強欲ロビイスト
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パリ市諜報工作(2)

 ソロヴィヨフ中隊の滞在先は、パリ市内の各宿泊施設である。作戦の性質上、一か所に全員が滞在するのは憚られた。リヒャルトの用意したビザがあるとはいえ、ただでさえ市民からのモスクワ人への反感が強い時期である。警戒を厳にするに越したことはないが、外国人が寄り集まることで少しでも怪しまれるのを防ぐことが望まれた。部下である士官たちやヘレネら修道騎士、そして護衛官との会議は、もっぱらホテルラウンジやカフェテラスといった場所で、市民や観光客に紛れる形で散発的に行われた。


 この采配は、ヴィルヘルミーナ皇女を擁するモスクワ情報庁の背広組の機密管理によるところが大きい。中隊員にはおろか、責任者であるソロヴィヨフにも護衛に関する情報はろくに与えられておらず、ガリアに入国してから一層その隠蔽体質は顕著になっていった。上層部との折衝役として活躍してくれたマニロフ中佐も、ルイバルキン懲罰歩兵部隊によるリーハイム虐殺の責を問われ、査問の渦中にあるのだというし、ソロヴィヨフにしては居心地の悪い旅行と相成ってしまっている。


 背広組の戦力として、有事の際には盾となれ。文民統制の縮図として理には適っているが、護衛対象の所在や、戦う相手を事前に知る必要はないという姿勢には、苦言の一つでも呈してやりたいところである。少数精鋭とはいえ、隊員の命を握る指揮官としては、やはり納得し難かった。


 どうにもキナ臭く感じるのは、本国の情報庁は皇女の護衛に関して、ソロヴィヨフの中隊よりも帝国諸民族解放委員会《UBA》、すなわちあのヘレネたちの属する組織に信を置いているように思えるからだ。組織と呼べるほどの規模も、モスクワ軍内での知名度もほとんどないというのに、よくもまあ清廉潔白であられる官僚連中は、あんな女たちと肩を並べてお仕事ができるものである。ヴィルヘルミーナと解放委員会の亡命帝国人を中心とした臨時政権の樹立や運営方針といった案も、ソロヴィヨフを介さずに行われていることから、除け者にされている感はやはり拭えなかった。

 確かに第四皇女のパリでのロビー活動、それを実現するためのガリア社会党との折衝は、あの連中がコネをいかんなく発揮したからこその実績である。着々とその地位をモスクワ軍内部で築きつつある女騎士は、しかし真に帝国の在り方を憂いているわけではもちろんない。


 売国奴という言葉は、あのヘレネのために誂えられたのではないかと思えるほど、その振る舞いは看過しかねるものばかりである。それがわからない情報庁ではないだろうが、いかに特殊部隊の指揮官とて、ソロヴィヨフは一介の士官にすぎない。前線においては広報部によって功績や武勲をごてごて盛り立てられたパルスベルクの英雄も、お偉い官僚連中に文句を言える立場にはいないのだ。


 ともあれ、今ではそれを示す野戦服や階級章なんてものは身に着けていない。善良ないち市民を演じるのは、嫌いではなかった。カフェテラスを出てからミシェルカと別れると、ソロヴィヨフは数日分の食料を購入して宿へと足を向けた。パリ北東、運河沿いの食肉加工場群の近隣に位置する安ホテルが、ソロヴィヨフが仮の住まいと定めた場所であった。


 運河と接続するセーヌ川は、深い緑色に染まったドブ溜まりである。花の都を悪臭で彩る、汚濁の堀である。幼いころのパリへの憧憬を川の腐臭で汚されて、宿への帰路をゆくソロヴィヨフは顔をしかめた。道すがら、戦傷者と思しき、後肢を失った馬人の浮浪者に百フラン紙幣を恵んでやった。


 自室に戻ったソロヴィヨフは、買い物袋をテーブルに置いた。やがて彼は、ヘルヴェチアから持ち込んだ書類鞄の中身をベッドの上に広げた。ガリアにまで持参したのは、モスクワの妹たちから送られてきた封筒の数々である。


 手紙の束を手にしてから、数秒の逡巡ののち、彼はそれを石組の暖炉の中に放った。アメニティのマッチを擦って点火すると、手紙の束に火種として投げ込んだ。いずれも質のよくない紙だったのだろう、燃え上がるのにそう時間はかからなかった。黄ばんだ紙面が炎に侵食されていき、黒々したチリとなって噴き上がる。


 もしかしたら、自分はこの異国の地で死ぬかもしれない。あるいは祖国の、あるいは一家の面汚しとして姿を消すかもしれない。そんな思いが、ソロヴィヨフをこの行動に駆り立てたのだった。銃後の家族との繋がりを示すものを持ち続けていれば、この先まともでいられそうになかったからだ。


「大尉殿は、物好きなことをされますのね」


 背後から突然浴びせかけられた女の声に、ソロヴィヨフは背筋を震わせた。


 振り向いた先に立っていたのは、辛気臭さと胡散臭さの同居する奇妙な女騎士、エリーゼ・ガーデルマンであった。純白のフリルブラウスにマキシ丈のベルトスカート、女性ものの深紅のポーチ。思えば、エリーゼの私服らしい私服のいでたちを見るのは初めてのことだった。


「もう夏なのに、暖をとられるおつもりですか?」


「勝手に入り込んで何の用だ」


 彼女と会話を交わすつもりはなく、ソロヴィヨフは端的にそう聞いた。


「フクク……そうカッカなさらないで。別に夜這いだとか、お金の無心だとかでお邪魔しに来たわけではありませんのよ」


 ニタニタと笑うエリーゼは、ソロヴィヨフの右手を見て言った。振り向きざまに彼は手をすでに伸ばしていて、腰元の自動拳銃のグリップにその指先が触れていた。


「すばらしい反応です、大尉殿……軍人の鑑です。私の最初の語りかけで、咄嗟に腰の銃に手をかけた。なかなかどうして、食えないひとですこと……」


 安宿の一室は、決して広くはない。戦うにしても、白兵戦の成績を低空飛行させたまま士官学校を卒業したソロヴィヨフが、格闘でエリーゼに敵うはずがない。仮に銃を手に取れたとしても、きっと狙いをつける前に叩き伏せられておしまいだ。


 暖炉の炎が、勢いを増した。


「あなたは今、必死こいて考えを巡らせている……フクク、おかわいそう。この距離で女の額に風穴を開けられるか、だとか。このドアとの距離で無事に部屋から出る事ができるか、だとか。果たしてこの女は丸腰なのか、だとか……」


「用件を言ってくれ。冷やかしなら、さっさと出ていってくれないか」


「……ここで行方をくらましてガリアにでも亡命したら、どの程度の措置で済むか……だとか。でしょうか? フクク……」


「何を、バカな」


「隠さなくてもよくってよ、大尉殿。辟易していらっしゃるのよね、お姉さまの振る舞いには」


 幾重にも施錠したこちらの警戒心を乱暴に撫でくりまわすような、上辺だけの同情と理解を示すエリーゼ。しかし、言い当てられた苦悩と願望が事実からさほどかけ離れていないだけに、ソロヴィヨフは目を丸くした。


 モスクワからの亡命。リーハイムでの事件から、この手段を考えたことがないわけではなかった。ヘレネの横暴に見て見ぬふりをし続けることは、もはや不可能であった。あの女は、きっとこの手の所業に手を染め続けるだろう。あろうことか、あのヘレネに恭順を示すリヒャルト・ヴァイルブルクなる存在まで現れてしまったのだから。


「フクク……勘違いしないでくださいまし。私、大尉殿を傷つけるつもりなんてありませんのよ。ヴァイルブルク少将やクラカウ卿のように、弱者を踏みにじって楽しむ性癖はございませんから。私、お手伝いができるかと思って、今日はこうしてお邪魔させていただきましたの」


「手伝い、だって?」


「ええ、そう。お手伝い」


 無遠慮に部屋の奥へと進み、エリーゼは手近なスツールに腰掛けた。


「パルスベルクからの長い長あい付き合いでしょう。仲良しの私たちなら、きっとお互いを幸せに導けると思いますのよ」


 ゆらめく赤と橙色の輝きにまかれて炭化しつつある手紙に目をやると、エリーゼは言った。


「二人の妹君が、お帰りを待っておられるのでしょう?」


 一瞬で、喉の奥がカラカラに乾ききる感覚を覚えた。砂漠と化した腹腔内がごろりと混ぜっかえり、ソロヴィヨフは眉間の皺を深めた。


「それを……何で知ってる?」


「知ってますわよ。アリサさんに、タマラさん。それにお母様の三人暮らし。羨ましいですわね、ご家族がお元気そうで……実際どうかは、存じ上げませんが」


「実際って、どういうことだ」


 燃やした手紙は、全部で十通前後。月に一度ほどエカテリンブルクから検閲を通して、軍事郵便で届けられたものである。それが、正規の手順を踏んで送られた手紙であるならば。


「春先からの八通ほどでしょうか。それ、私が代わりに書かせていただいておりましたの。それまでの手紙を参考に、試しに一通お渡ししたら、大尉殿ったら思いのほかお喜びでしたので」


「何……言ってんだ?」


「お気づきになられなかったところを見ると、妹君の解釈に間違いはなかったようですわね」


「手紙は、手紙はどこだ。妹からの手紙、本物の手紙をどこへやった」


「ありませんわよ、そんなもの」


 ぞわぞわと底冷えするような怖気が、ソロヴィヨフの足元から這い上がってくるようだった。任務の空隙を見つけては綴り続けてきた、銃後の家族に向けての近況報告。ソロヴィヨフの理性と両親を繋ぎとめてきた家族との手紙のやりとりは、この黒髪の女の手元でせき止められ、悪趣味な成りすましのお遊びに利用されていたということか。


 果たしてこの女が目を通していたのは、いち兵士に向けられたプライベートな手紙だけだっただろうか。そうとは思えなかった。エリーゼが、否、諸民族解放委員会《UBA》の連中が、こぞってソロヴィヨフ中隊の、ひいてはかつてのパタノフ大隊に宛てられた書類の数々にも手を加えていたことすら考えられた。


「……なんでだ、どうしてだ。なんでこんなことをする……あの女と同じなのか? ただ嫌がらせがしたいだけか?」


「万が一にも、大尉殿に職を辞されてもらっては困ってしまうからですわ。少なくともヘルヴェチア軍による支援と援護が受けられることがわかるまでは、何としても大尉殿にお姉さま……我々の隠れ蓑として、正しく機能してもらわねばなりませんでしたから」


「それが、理由か?」


「もちろん。打算で結びついているとはいえ、かつての我々は単なる捕虜集団にすぎませんでした。最悪、お偉方の機嫌を損ねて収容所送りにされる可能性すらありましたから。庇護者である大尉殿に、進軍中に気が変わって除隊されるのは、避けなければなりませんでした。そのために、やる気を奮い起こしていただく必要がありましたの」


 広報部による大仰にも程がある偏向的なプロパガンダにも、恐らくは関わっているのだろう。パルスベルクの英雄とは、この女たちによって捏ね上げられたソロヴィヨフの偶像だったのだ。


「現に大尉殿は、着々と任務を遂行されていきました。功績が次々に認められ、我々もまた、諸民族解放委員会《UBA》の創設を実現することができた。すべては、大尉殿のおかげですわ」


「こんな、こんなやり方ないだろうが、クソ野郎! 人をもてあそびやがって」


 便箋の上の万年筆とともに躍らされ続けてきたという事実に、憤りはいよいよ押し殺せないまでに膨れ上がっていた。ソロヴィヨフは、勢いのままにエリーゼの襟首を掴み上げた。


「じゃあ何か? 俺は、お前みたいなドブ女を妹だと思い込んで、必死こいて絵ハガキを贈り続けてきたってわけか?」


「フククク、フカカカ……家族想いのとっても真面目な軍人さん」


「あのクソアマの差し金かッ! ふざけんな、ふざけんなよこのアバズレども!」


「いいえ。すべては私が一人で考えたこと」


 エリーゼは、襟を掴むソロヴィヨフの右手首を鷲掴んだ。ぎりぎりと万力のように締め上げられ、ソロヴィヨフは呻きとともに襟を放してしまった。そしてエリーゼは、彼の腕を力任せにねじり上げる。骨と筋とが軋む感覚が、音と痛みを伴って伝わってくる。


「しかしそれももうおしまい。今の立場で私ができることは、もうありません」


 さして気に障ったような様子も見せず、エリーゼはソロヴィヨフを解放した。そして徐に顔を彼の鼻先に近づけると、何事も無かったかのように話の続きを口にした。

「私も大尉殿と同じことを考えておりますのよ。早い話が、と・ん・ず・ら」


 グレーの虹彩が、半月状に狭められた瞼からソロヴィヨフを見つめていた。


「このままモスクワ側にいたとして、有意義な結果を得ることができるのか。わたしなりに考えを巡らせた結果ですわ」


「裏切る、っていうのか? あの女を」


「ま。お人聞きの悪いことを仰らないで。私はいつでもお姉さまの武運長久を祈っておりますし、お姉さまもまた、私の平穏無事を祈っておられますでしょう。柔軟に物事を判断させていただいた結果、いったん袂を分かつことが最善だと感じたまでですわ」


「奴が他人の無事を祈るような女かよ」


「仮にお姉さまがそのような卑賎の徒であっても、しかし他に誰が私個人の無事を願ってくれるというのです? モスクワ軍? それとも情報庁? それとも皇女殿下が? ナンセンス!」


 くるりとエリーゼはそっぽを向き、暖炉で燃える赤々とした炎を見下ろした。


「どこの誰の爪先が一番甘くて美味しいか。誰の靴を舐めれば、一番長生きできるのか。そう考えれば、おのずと私が目指しているところがおわかりになられるでしょう」


「ブリタニア……か?」


「次点でガリア、ということになりますわね」


 エリーゼが語るのは、徹頭徹尾、戦後の身の振り方についてであった。イデオロギーや感傷など度外視した、きわめて冷徹で合理的な決定だった。ガリアに発つ前にリヒャルトが語った内容を、ソロヴィヨフは思い出す。


 ブリタニアによる飛竜騎兵団の編成。世界初の空軍戦力の実用化。歩兵による戦争を過去の遺物とする、新時代兵科の誕生。対モスクワで紐づいた同盟三国への技術供与。次なる衝突でモスクワに迫り来るのは、天空からの猛襲。キルレシオ十五対一の絶望的な蹂躙。この脅威の連帯によって築かれつつある戦術的不利を避けるべく、ソロヴィヨフたちは講和の策を求めてガリアへとやってきたはずだ。


 しかしこのエリーゼという女、はなからそんな都合のいい希望など求めていなかったのだと言わんばかりであった。


 最後に笑うのは、ブリタニアだ。


 エリーゼの表情は、そう確信しているようだった。



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