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嗤う女騎士  作者: カスミカ
セーヌの強欲ロビイスト
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パリ市諜報工作(1)

 七月八日。ガリア社会党党大会当日まで、二週間を切っていた。


 大陸の文化芸術の中心たるパリの天空を、飛竜騎兵の編隊が横切っていく。最後尾の騎兵が背に掲げる軍旗には、聖ジョージの赤十字が刻まれている。ブリタニア空軍第一航空騎兵団第一三航空飛行隊、その飛行班のうちの一班だ。


 花の都と謳われる壮麗な街並みを代表するシャンゼリゼ通り。その一角に軒を連ねるカフェテラスで、キール・ミシェルカ少尉を伴ったソロヴィヨフは、空を仰いでそれを眺めていた。


「大したもんだな。よその国のど真ん中で騎兵を行進させているものだろうに」


 その身だしなみは、長らく愛用を強いられてきた野戦服ではなく、市販のベストとジャケットにスラックスを合わせたごく普通のもの。市井の人々に溶け込むことを意識した、偵察を目的としたよそおいであった。年齢にしては野暮ったくはあるが、一般的な労働者然として目立たなければそれでよい。すこし西に通りを歩けば、錚々たる凱旋門、東に向かえばオベリスクの聳えるパリ中央の一等地。そんなハイソサエティきわまる空気に満ち満ちた環境を汚れきった敗残兵めいた格好でうろつけるほど、ソロヴィヨフの肝は据わっていない。


 数日後、その一等地たるコンコルド広場において、下院選挙を目前に控えたガリア社会党による党大会が実施される。広場の周囲には、肩からライフルを提げた憲兵や警察官の姿があちこちに見受けられた。彼らの部隊章入りの腕章を横目にするたび、ここが敵国の胃袋であることをソロヴィヨフたちは実感した。地上の銃口だけならまだしも、敵は上空からも鉄の猛禽を光らせているのだから、変装しているとはいえ神経はすり減っていくばかりである。


「技術力を顕示するねらいもあるのだろうが、さすがに露骨に見えてしまうな」


「そのぶんガリアの民意も、綺麗に二分されているように思えます。帝国やモスクワ憎しで受け入れたはいいものの、首都の空を我が物顔で飛び回られれば、気分がいいはずもありません」


 濃いブラウンのハンチング帽を目深に被ったミシェルカが言った。風貌からすると、食い扶持にあぶれて都会へ下働きに出された哀れな勤労児童のようにも見えるが、それはあくまで煙窟人特有の身体的特徴によるものにすぎない。彼は、歴としたモスクワ連合陸軍少尉である。


 トカチェンコ准尉の後釜としてソロヴィヨフが副官に選んだミシェルカは、やや想定外の事象の対処に感情を上ずらせるきらいがあるものの、士官としては総じて高い能力を持っていた。指揮官の補佐役としてであれば十全にそのポテンシャルを発揮できると踏んでの人選であり、中隊の選抜メンバーがヘルヴェチアへ向かった際には、既にデスクワークの補助を担ってもらっていた。今回のガリアでの任務にあたって、正式に副官として任命した次第である。


「三国同盟として肩を並べる以上、ブリタニアは帝国と隣接するガリアを守る必要がある。だからこそこうして空軍の存在を喧伝しているんでしょうが、いささかブリタニア側の勇み足の感は否めませんね。わざと見せつけてるみたいだ」


「まとまった空軍戦力なんていうのは、大陸内で他にないからな。きっと党大会当日にも、連中は出張ってくるだろう。国内外に自分たちの飛竜騎兵をアピールできる絶好のチャンスだ」


 飛竜騎兵という存在は、三国同盟内における相互の技術供与によって実現した産物である。ヘルヴェチアとしては魔王軍を仲介した顧客であるブリタニア以外にも制御器具の販売路を築きたいだろうし、ブリタニアもまた同盟軍の歩調を合わせるといった意味で飛行戦力の普及と拡充を望んでいるはずである。この両国の希望は、おそらく将来的にガリアを飛竜騎兵で武装させるところにあるとみて、まず間違いないだろう。通常の歩兵部隊に対して圧倒的に優位に振舞える航空兵力は、新たなビジネスの温床足りえるのだ。


 この状況で障害足りえるのは、金とコネだけはそれなりに持ち合わせているであろう亡命貴族《クリゾルト派》であろう。いかに同盟国から疎んじられる存在とはいえど、彼らを思考の埒外へ捨て置いておけるほど、ソロヴィヨフたちは無関心にはなれなかった。どこから縁戚の皇族を担ぎ上げて、モスクワが擁するヴィルヘルミーナの対抗馬とし囃し立てるかわかったものではない。臨時政府は二つと必要ないのである。


「亡命貴族に余計な力をつけられると困りますね。愛国心に燃える亡国の志士としての立ち位置に収まられると、我々の側で立ち上げる新政権の障害になる。仮にベルリンを押さえて皇女殿下を戴冠させようが、西側から貴族たちに市民を焚きつけられては敵いません」


 ミシェルカが分析を口にするのと同時に、カフェのウェイトレスがソロヴィヨフたちのテーブルに珈琲を配膳しにやってきた。各々カップを口に運んでから、ソロヴィヨフが言った。


「皇女殿下のスピーチか何かで心変わりする程度の阿呆であってほしいもんだな」


 ソロヴィヨフの中隊が乗り込んだ列車の最後部、専用に誂えられた客車で、ヴィルヘルミーナ皇女はパリ入りを果たしたのだと彼らは聞いていた。リーツェンブルク宮殿以来の縁ではあるが、生憎と顔を合わせる機会はなかった。護衛対象とはいえ相手は要人中の要人、モスクワ本国の情報庁から派遣された警護官が張り付いているという都合上、致し方ないのではあるが。


 社会党のトマシュ・クラカウ上院議員との繋がりを経由し、なんとかヴィルヘルミーナ皇女殿下を党幹部と直接面会させる。下院選を前にした彼らを通してガリアの民意を親モスクワへと少しでも向けさせ、講和への糸口を探る。可能であれば党大会の演説の場を借りて、ヴィルヘルミーナ政権の樹立を彼女自身の口から語らせる。それが今回の作戦の目的である。


 なんとも無理やり感の漂う突飛な策ではあるが、ヘルヴェチア陸軍情報部リヒャルト・ヴァイルブルク少将閣下の後押しもあってか、ここで尻込みをするわけにもいかない。だがこのガリア議会第二党による党大会の場、これを利用しようと考える勢力がクリゾルト派以外にも存在しうることを、ソロヴィヨフたちは考えていた。


「ガリアでは外様もいいところの貴族たちはともかく……魔王軍がどう動くかは、今のところわかりませんね。先のリーハイム事件をネタにこちらを強請ってくる可能性もありますが」


 その名を聞いただけで、ソロヴィヨフはじっとりと嫌な汗が噴き上がるのを感じた。例のヘレネ伯が気まぐれに巻き起こした、二千人の大虐殺。リヒャルトがその責をヘルヴェチア軍の怠慢という体で被るといったかたちでウヤムヤにしてはいるが、あの突発的な暴動がモスクワ主導で行われた事実を、魔王軍ははっきりと認識しているはずである。表向きにはモスクワ軍の暴虐と同盟軍の不祥事として公表されるとのことだが、果たしていかなる感情をもって大陸市民にこれが受け入れられるかは、未だ不透明な部分が多かった。


 リーハイム虐殺の勃発によって、魔王軍は多くの選択肢を喪ったと、先日のリヒャルトは語った。さりとて魔王軍もだんまりを決め込んだわけでもなく、ヘルヴェチア側への追求は未だに続いているという。諸外国や知識層からのバッシングや批判は多かれど、同盟国たるガリア、ブリタニアに対しても、引き続き人道的支援活動への協調を呼び掛けている。どれだけ批判が集まろうが、困窮者に対する大陸各地での炊き出しや住居提供などの生活支援を、彼らが滞らせることはなかったのだ。ガリア国内においても、左翼系の新聞に目を通せばその傾向は見てとれるし、パリ市内でもフリュギア軍やブルクゼーレ義勇軍の炊事用荷馬車や野外調理車が現れては、人々にパンやスープを定期的に無償で提供している。党大会当日にも大規模な炊き出しが計画されているというし、人心を動かすには、まず胃袋を満たすべきだということを、よく心得ているのであろう。


 その想定外の粘り強さからか、リヒャルトの語った論はいささか的外れになりつつあった。


「マニロフ中佐の指揮下から一時的に外れたことが、プラスになったように思えますね。今ではリーハイム虐殺の重要参考人、中佐の取り巻きを続けていたら、こうもスムーズにパリ入りすることはできなかったはずです」


 よしんばマニロフ中佐が身分を隠してソロヴィヨフ隊に同行していたとしても、魔王軍や同盟軍側の監視網をいたずらに刺激するだけに他ならなかったはず。もしかすると、皇女の身すら危険にさらされる可能性もあった。そう、ミシェルカは冷ややかな論を述べた。


「党大会の場で皇女殿下を害するような真似はしないはずだ。それに、強請るといっても彼らにとっては正当な訴えに他ならないだろう」


 あまりに魔王軍に阿った物言いが自分の口から飛びだし、ソロヴィヨフは暫し唖然とした。


 エアフルトでの会食で出逢った、ロリィタワンピースの少女。燃え盛る赤毛の勇者ラウラ。そして、彼女が同志として慕う魔王エレシュキガル二世ことアミル・カルカヴァン。あの年若い少女たちは、ただ善意から人種差別と闘う決断をしたはずなのだ。仮に打算があったとして、しかし誰がそれを糾弾することができるだろうか。彼らがヘルヴェチアで行った難民支援が間違った行いだとは、ソロヴィヨフはどうしても思えなかった。いかにモスクワに益がある行為であろうが、いかに魔王軍と歴史的な軋轢があろうが、彼らを頼ってやってきた難民を焼き払ってよい理由など、大陸のどこを探してもないはずなのだ。


 魔王軍は、勇者と魔王は、正しいことをしようとした。


 ひとりのクズ女にそそのかされたモスクワ軍が、それを全部台無しにした。


 それが、事実だ。


「……すまない。オフレコで頼めるか」


「いえ。小官も大尉殿のお考えを、おかしいとは思えませんから」


「無理に賛同してくれなくてもいい。俺個人がそう思ってるだけだ」


 煙窟人のミシェルカが、大陸で蔓延する人種間差別の撤廃を標榜する魔王軍をどう感じているか、マジョリティである猿人のソロヴィヨフがわかるはずもない。それでも可能な限り、モスクワに籍を置く彼の主張や思想は尊重してやりたかった。


「少尉は、魔王軍をどう見る?」


「少なくとも小官は、モスクワで産まれてモスクワで育った人間です。魔王軍だなんて聖書でしか聞いたことありませんし、シンパシーなんてもってのほかです。理想論だけで何とかなるほど、世の中単純ではないでしょう。先日の一件に関しては……災難だったとは思いますが」


 何にせよ口先だけでなく、行動で思想を示す手際の良さは大したものだと、ミシェルカは加えた。


「モスクワにも猿人至上主義がないわけじゃない。それでも彼らは理想論者にしか見えないか」


「もちろんです」


 ミシェルカはきっぱりとそう言い放った。


「小官は……私は、煙窟人である以前に、モスクワ軍人ですから。あの勇者と魔王に特別な印象は持っていません。差別撤廃などというのは不可能でしょう、どうせ彼らの中でも古参が幅を利かせているのでしょうから。どこまでいっても、格差というのは生じてしまうものです」


「……そうだな」


「思想だけで考えるなら、私はどちらに着く気もありません。猿人至上主義にも、魔王軍の啓蒙主義にも。知ったことではないのです。戦うなら、祖国のために戦いたい。それだけです」


「それには同感だ。給料分は働いているところを見せなきゃな」


「どうせ与えてくれるのであれば、その両方の思想に泥を塗っても許してくれる、そんな自由が欲しいものですね。どこかにそういう神様でもいれば、喜んで帰依するところですが」


「神が人間に対してそこまでお優しければ、そもそも人種の格差なんか設けるはずはない、か」


「しかし魔王軍は声をあげ、リーハイムは焼かれました。そういうことです」


 何卒、小官の愚考のこともオフレコでお願いしたく存じます。ミシェルカは、その童顔に笑みを浮かべてそう付け加えた。


「神も魔王も、勇者様も、すべては坊主の客寄せ文句」


 ふいに、ソロヴィヨフはトカチェンコ准尉と語った言葉を口にした。自分を甘やかしてくれるお助け神など、地上のどこを探してもいるはずはない。モスクワにも、帝国にも、ヘルヴェチアにもガリアにも。あのときはそのまま会話を終えたのだが、ソロヴィヨフの喉元には、もっと気の利いた言葉を原亜エルフ(オーク)のトカチェンコにかけてやれたのではないかという澱みがへばりついたままになっていた。こうした考えそのものが猿人の有する驕りだという懸念すらあったが、後送されていく彼と再び会話の場を設けたかったという気持ちだけは確かにあった。


 何にも与さずにいられる自由を認めてくれる神。トカチェンコがそれを聞いたなら、果たしてこれを肯定しただろうか。後送された彼の身元は、照会の手続ひとつで知ることができる。だが、あの日から抱き続けている、マジョリティたる猿人に生まれついたことへの後ろめたさのようなものが後ろ髪を引いているようで、ソロヴィヨフはかつての副官に、労いの手紙ひとつ出せずにいた。


 リーハイム虐殺を招いたのは、他ならぬ自分だ。


 ヘレネがやった、あの女が悪い。あの女にいいように使われるマニロフ中佐が悪い。そんな責任転嫁で自責から逃れられるほど、ソロヴィヨフは単純な思考の持ち主ではない。小心でありながら、豪胆にして傲慢きわまるあんな女とかかずらってしまったのが運の尽きであった。すべての後悔と悔悟の念は、見えない糸で繋がっている。レーゲンスブルクでの独断専行、ジルキン中尉の殺害、そしてリーハイムの大惨劇。そのいずれもが、ソロヴィヨフの良心をじりじりと焼き焦がしているのだ。


 この罪をいつ贖うつもりだ。いつまで無関係な脇役でいるつもりだ、と。


 この自縄自縛の拘束から解き放たれるためには、やはり今の血濡れた名誉を擲つほかにない。そうしたくてたまらない。こんな武勲に何の価値があるというのだ。軍を辞める、その希望だけが、かろうじて今のソロヴィヨフの両足を支えているのである。肌身離さず持ち歩いている辞表の存在がなければ、罪の意識で力なく頽れているに違いない。


 今は、違う。辞表のほかに、ソロヴィヨフの胸元には、もう一通の手紙が仕舞われていた。


「ただ、どこかには居てほしいもんだよな。そうじゃないと、救いがない」


 裁いてほしい。そして願わくば救ってほしい。


 神でも魔王でも勇者でも構わない。


 幾度となく行われた懺悔と祈りの堂々巡りの果て、ソロヴィヨフはそう本音を漏らした。


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