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嗤う女騎士  作者: カスミカ
セーヌの強欲ロビイスト
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あなたの人生が、愛と祝福に満たされていますように(1)

 その館にそびえる尖塔の一室にあるものといえば、傾きかけた本棚と文机、背もたれのない椅子くらいであった。漆喰の壁は朽ちかけて、板張りの床は老朽化と湿気で黒ずんでいた。下層へつながる螺旋階段に通じる扉には鉄格子が嵌められ、部屋から眺められる下界は、扉の正面の壁に開けられた、小さな鎧窓だけである。


 上を見上げれば天井はなく、梁がむき出しになっている。屋根を支えるために張り巡らされた材木のあちこちには、生糸の束のようなものが縛り付けられていた。束ごとに難く結びあげられ、その上から強引に鉄杭が打ち付けられている。束を辿っていくと、その先にあるベルベットのヴェールで飾られた頭部へと行き着く。束はすなわち、頭頂を生地ですっぽり覆ったその少女から延びる頭髪である。黄金色に輝く髪束は、産まれてから一度も鋏を入れられたことがない。キャミソールだけを纏う痩せた体躯に反し、髪だけは今なお長大に伸び続けており、紺色のヴェールと梁とを結ぶ幾重もの髪束はたわんでいる。


 ヴェールの少女は貴族の子である。帝国の南部に諸領を持つ伯爵家の二女として生を受けた。当主が急死を境に、彼女は伯爵夫人に伴われ、縁ある男爵の家へ身を寄せた。重く黒ずんだ彼女の居室は、その侯爵が所有する城館のはずれに位置する尖塔の頂上にあった。少女がここで暮らし始めて、かれこれ八年になる。八年間の毎日をここでだけで過ごし、同じ景色を眺め、同じパンとスープを食べ、同じベッドで横たわり、本棚に収められた同じ書籍だけを繰り返し読み続けていた。


 彼女は人前で素顔を晒してはならず、そして他者の貌を目の当たりにしてはならないと母から戒められていた。しかしヴェールは、常に被り続けねばならないというわけではない。日の出から日の入りまではかたく着用を命じられていたが、食事時や就寝時、そして読書時には外すことを許されていた。


 彼女は幸福であった。この暮らしに不自由を感じたことはない。物心ついた時からこうだったし、この部屋から溢れ出るくらいの願いや欲望を持ち合わせるほど、彼女はものを知っていなかった。窓の外には呪いと憎悪が満ち満ちている、外の世界は少女が生きるに値しない。人々は口々にそういったものだった。現に、本棚の書籍にも戦争や災害について、嫌というほど並べ立てられていた。


 だからこそ幸福でいられたし、この環境を賜った母や侯爵からの愛と祝福を心から感謝した。気分がいいときはロザリオを手に取って、部屋の東側に備え付けられた小さな十字のステンドグラスに祈りをささげた。


 ミサというのは日曜の朝に執り行うものだと本には書かれていたが、時計や日付といったものもまた本でしか見たことがなかったので、彼女の祈祷が本当に天上の神へと届いたかどうかはわからない。ただ、祈りが幸福のいち要素となっていたことは事実といえた。そもそも、幼い彼女は神というものがよくわかっていなかった。カテキズムの本に記された祈祷の作法を見よう見まねで再現しているだけであり、信心深さからくる行為ではなかった。しかし確かにその時の少女は恵まれていて、救われていたはずなのだ。


 格子越しに身の回りの世話をしてくれる侍女たちは素朴ながら総じて優しかったし、たまに扉越しに声をかけてくる警護の兵の男たちも親しげに声をかけてくれ、真偽どちらともつかないおかしな武勇伝を語りかけたものだった。


 衣食住に飢えたことはなく、彼女は常に満ち足りていた。たまには違う食べ物を口にしたいと言えば、変わった料理も出してもらえたが、すぐに同じ献立を少女は求めるようになる。月に一度の母からの手紙が侍女から手渡される日など、無償の愛の貴さに幸福の絶頂すら覚えたほどであった。とはいえ少女は手紙を催促することはしなかった。


『あなたの人生が、愛と祝福に満たされていますように』


 母からの文は、いつもきまってそう結ばれていた。母の母、そのまた母から連綿と伝えられてきた、親愛を表する一文であった。


 彼らは、彼女たちは、お母様や閣下が大好き。だからわたしにも優しくしてくれる。


 お母様と閣下は、わたしに優しくしてくれる。だからわたしはふたりが大好き。


 こんなにも愛と祝福に満ちた世界で、わたしはなんて幸せなのでしょう!



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