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嗤う女騎士  作者: カスミカ
蠢動する欲望
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カルチェラタンのピグマリオン

 リヒャルト・ジェルダン・フェルディナント・ヴァイルブルクは、童貞である。


 大陸に住まう民族の中でもとりわけ長命で、約四百年にも及ぶ長い長い人生を好色と享楽で彩るヘルヴェチア系エルフという人種でありながらも、リヒャルトは実に、【ヘルヴェチア的禁欲家】と呼ぶに相応しい男であった。


 若さに身を任せて娼館巡りをするわけでもなく、同じく淫蕩を求めるがままに下腹部を滾らせる女と数ヶ月ぶっ続けで交接に耽ったりもしないし、そもそもの話、懇意の女性すらいない。人格の筋金にタングステンワイヤが縦横無尽に入り組んだ、バキバキの童貞である。


 上の兄弟二人は模範的エルフとも言うべき放埓ぶりで、文字通り学生のみそらから下半身に忠実に生きていたが、リヒャルトだけはどうにも異性と睦まじく付き合うといった行為に愉しみを見出せずにいた。下の妹もまたリヒャルトのように、どこか情熱とは無縁の冷めた性格をしていたものだから、もしかすると胤か腹のどちらかが違うのではないか、というつまらない懸念すら感じることもあった。


 基本的に、誰かと一緒にいるのが嫌なのである。とりわけ異性なんてものは、身内以外では接したくもない。二人の兄が複数の女性と肉体関係を結び、何件もの異性間の訴訟問題を抱えているという醜聞への軽蔑は、異性嫌悪につながる理由の一つと言えた。だが、同性と過ごす時間に魅力を感じるかと言えば、そういうわけでもない。異性は好きではないし、そんな異性に欲情する同性すらも、好意の対象にはなり得ないのだ。


 創作活動だけは、嫌いではなかった。


 取り立てて芸術的な才能があるわけではないし、自分よりも優れた技術やセンスを持った人間は溢れるほどいる。しかしながら、リヒャルトにはそうした人々との市場価値的競争に興じることへの関心はなかった。画や彫刻で食っていけるほどの腕前はない。そうした自覚を有しながら、しかしリヒャルトは純白のカンバスに、純白の石膏塊に、理想のイデアを幻視しながら、それを描き、彫り出すことに使命感めいたものを感じていた。


 絵画にならば、彫刻にならば、理想と呼ぶべきものは君臨する。なまじ肉の体を得てしまうから、浅ましくも生命活動と代謝を維持するために、神から賜った清き魂は汚れてしまうのだ。


 リヒャルトは彫った。リヒャルトは描いた。彫った分だけイデアの御簾の奥に鎮座する『彼女』の素肌は滑らかさを増し、描いた分だけ髪のしなやかさが露になる。乳房の豊かさ、臍部の凹凸、臀部のまるみ。求めているものが女性だとわかってから、ようやくリヒャルトは自分が異性愛者だと気づいた。ただ、三次元の女性を好意の対象と思えないだけだったのだ。


 やがてパリはカルチェラタンの裏路地に狭い部屋を借り、彼はこれを自分のアトリエとした。


 とりあえず兵役経験があった方がよかろうと思って志願したヘルヴェチア士官学校を卒業してからの五十年、リヒャルトはこのうらぶれた学生街で創作に没頭した。


 正午過ぎに起きだしては表通りのパン屋で朝食を買い、口をもぐもぐさせながら最寄りの美大の講義に潜り込み、日が傾いてきたらアトリエへと戻って、イデアの君を護衛する門番たちと格闘する。週に三度は近所のレストランバーで調理師として働き、生活費を工面する。そうしたルーチンを延々と繰り返しているうちに、いつしか彼はムシュー・ピグマリオンと揶揄されるようになった。


 出逢った学生たちは口々に、「エルフってやつは時間だけはあるからいいよな」と語ったものだが、しかしリヒャルトは、典型的なエルフのように、自身の人種的特徴に胡坐をかいて、彼らの寿命を憐れんだりはしなかった。


 リヒャルトは常々思っていた。寿命とは相対的なものだ、軽々にその時間的長短を比較して優劣をつけられるような概念ではない。仮に他人種の六十年がエルフの四百年に相当するとしても、すべてのエルフが他人種の一生に勝る濃密な六十年を過ごせるとは限らない。エルフの身体的成長のペースは人間のそれと酷似するが、代わりに老いることを知らない。


 他人種が高等教育を経て、心身ともに成人するまでが約二十年。実に人生の三分の一、エルフでいえばおよそ百三十年に相当する。多くの人々がその社会の中で幾度もの代替わりを経るであろう百三十年の間で、たった一個体のエルフが、どれだけ濃密な時間を経験し、精神的成熟を果たすことができるだろうか? 


 そも、何をもって成熟とするのだ? 何をもって、濃密とするのだ?


 濃密とは恐らく、経験した時間内が、成熟に至るための何がしかの進歩にあたる要素を孕んでいることだろう。限られた生命の残り火を人間は現象として視認することはできないが、しかし時間というものは平等に寿命をじわじわと刈り取っていくものだ。


 人間は、寿命という杯に時間を注がれながら生を受ける。器いっぱいに時間が張り詰めれば、その人間は天寿を全うして死に至る。エルフという民族は、偶然その器が他の生物に比べてやや大ぶりに用立てられただけにすぎない。注がれる時間という液体の濃淡や、器へ流れ込む勢いの強弱だけは平等だ。最初に与えられた器の大きさなど、取るに足らない要素にすぎない。器に満ちた液体の最終的な濃淡こそが、人間的成熟の度合いを定めるのだ。


 相も変わらず醜聞に追われて、三流絵入り新聞の記事を飾っている二人の兄を見やって、リヒャルトはそう思ったものだった。


 しかし、自分は価値ある濃密な時間を過ごせているかといえば、うかうかもしていられない。多くの芸術家は食い扶持のため、あるいはパトロンと共に美を追求するために作品をつくり、衆目にそれを晒すことを生業としている。


 それでは、自分が没頭しているこの行為はいったい何なのだ?


 食い扶持のため?

 

 違う。金銭的な価値を認めさせるために鑿や筆を握るわけではない。

 

 美の追求のため?

 

 近いが、普遍的に評価されるであろうものを目指しているわけでもない。

 

 他者の視点からすれば、くだらない自己陶酔のためにエルフとしての寿命をだらだらと差し出しているように見えるだろう。人は哀れなピグマリオンだとリヒャルトを笑い、兄弟たちは時間を無駄にする達人だと嘲った。実際その通りだと、リヒャルトもまた自嘲した。


 益体もなくただルーチンをこなすだけの五十年で、いったいどれだけの作家が美術界を席巻し、ムーブメントを塗り替えて、感性のパラダイムシフトを巻き起こしたというのだろう。居るということしかわかっていないイデアの君とやらを求めて自慰に耽るばかりの半世紀は、天才的な才覚を有する作家の五日にも、否、たった五分にも、否、五秒にも及ぶまい。


 ヘルヴェチアを出てから、漠然とした己の矮小さに打ちひしがれることが多くなった。いつしかカンバスや石膏に触れるより、調理場のコンロの前でフライパンを振っている時間の方が長くなった。料理もまた、嫌いではない。味覚と嗅覚への奉仕、そして健康維持という確たる目的を据えたうえで、自然なままの食材に科学的な調律を施し、秩序あるひとつの料理として仕上げる、創作活動の一種だ。人類の編み出した、きわめて優れた芸術文化のひとつだ。


 美味い料理を食べるのも好きだし、食べさせるのも好きだ。だが、いずれにせよそれは希求していた快感につながるものではない。趣味の範疇としての嗜好なのである。生活費を稼ぐために始めた調理師業は、ガリア暮らしが八十年目にさしかかかると、一等地に店を構えるレストランの料理長に至るまでになっていた。本業たるイデアの君の模索をさしおいて、なんたる体たらくか。これでは愚兄たちを笑うに笑えないではないか。


 しかしながら、イデアの君を目指す道程が袋小路に差し掛かっているのも、また事実であった。こうして懊悩の迷宮を彷徨っている間にも、寿命という器に溜まりゆく時間の濃度は、刻々と薄まってきているというのに。


 そして、エルフとしての人生の三分の一が終わりに差し掛かるころ。片手間に携わっていたシェフとしての座を後進に明け渡すと、リヒャルトはついにカルチェラタンのアトリエを引き払った。故郷のヘルヴェチアへと舞い戻ると、ふたりの兄は喜び半分、それ見たことかといった面持ちでリヒャルトを迎えた。彼らにそこまでの悪意はないにせよ、リヒャルトの内心が屈辱の念で荒廃の一途を辿っていたことは間違いなかった。百二十年のうちの大半を芸術の都パリで過ごした。にもかかわらず、自分はいったい何を見つけ、何を得たのだろう。寿命の器を満たしつつある液体を、ただただいたずらに薄めただけではあるまいか。


 お笑い草だ。エルフとして性的に不能も同然というだけでも救いようがないのに、ついぞ追い求めていたイデアの君には出逢えずじまい。今まで暗に蔑んできた愚兄たちは、少なくとも女に困ることはなかった。一夜の快楽に飽きることのない、彼らの人生は、ひょっとしたら満ち足りた、濃密なものに他ならないのかもしれない。少なくとも、虚しさとは無縁に見えた。


 真に空虚なのは、この自分の無為なる百二十年だったのかもしれない。


 兄たちの事業を手伝う中で国防軍への再就職を果たし、手慰みにホテルやレストラン経営にも現を抜かす。鑿と絵筆を握らなくなって久しい。たった数十年だが、このブランクはいったい何によって埋められようか。


 数十年。大半のエルフにとっては取るに足らない一瞬だが、大半の人間にとっては、乳飲み子が職を得て一人前になるに十分な年月だ。この貴重な時間のぶん、寿命の器の中身はまたしても薄まってしまった。これを生命への冒涜と呼ばず何とするか。


 オレの人生は、一体なんなんだ?


 たったの三分の一。されども三分の一の、二度と訪れぬ青春時代である。


 これが多くのエルフのいう真なる精神的成熟のために必要な儀礼なのであれば、エルフなる民族を生み出した神というのは、いったいどれだけ残酷なのだろうか。このオレ(リヒャルト)をエルフとして地上に遣わした神というのは、いったいどれだけ性根が腐っているのだろうか。


 時間は刻まれる。時計がなくとも、刻々とリヒャルトの人生は死という終着を目指して裁断されていく。ただ目には見えないだけ、他人種とは尺度が違うだけ。時間なる概念を定義したのは人間だが、時間が流れるように設計したのはおそらく神だ。

 いやだいやだ、死にたくない、死んでたまるか。


 こんなにも無味無臭な、こんなにもおぞましい毒に杯を満たされて死ぬだなんて。


 あんまりだ。ひどすぎる。ふざけるな。畜生、畜生、畜生め。


 神が培った秩序のうえで、リヒャルトは死の恐怖に喘ぎ、足掻き、おののいてきた。


 すべては、秩序の埒外で佇むイデアの君と出逢うために。


 既存の秩序を灰燼に帰さんとする壮絶な美の奔流に、この身を捧げるために。


 そしてついに、その日は訪れたのだ。


 二千人の難民を焼く火柱を目の当たりにして、呵々大笑するイデアの君。


 その姿はリヒャルトが石膏とカンバスの奥に垣間見た理想の異性と相違なく、否、それ以上に鮮烈で、そして、地上の何よりも美しかった。世に氾濫する胡乱な有象無象の洗いざらいを、焼いて砕いて漂白するほどの激情。


 杯に満ちる毒のことごとくを煮沸せしめる、凄烈にして高慢なる魂こそが、真にリヒャルトが希求してやまなかったものなのだ。


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