ヴァイルブルク・スキャンダル(5)
穏やかな田園の風景が、客車の窓に現れては通り過ぎていく。
ヘルヴェチア国境を越えてから小一時間。ベルン・エルダマールから発車した列車は、ガリアの首都たるパリを目指していた。辞意をかたく胸に定めたソロヴィヨフであったが、その反面で文化と芸術の中心である花の都へと足を踏み入れることに、わずかながらの感慨を覚えていた。仮眠をとろうにも興味は尽きず、ときおり窓の外へと視線を走らせてしまう。
二人掛けの客席は向かい合うように配置されていて、進行方向から右側の窓際に座るソロヴィヨフの目の前にはリヒャルト・ヴァイルブルク少将、その左横には護衛のヘルヴェチア士官が座っていた。
「そんなにパリは楽しみですか、大尉」
少将は青痣だらけの顔で朗らかに言った。わずかに昂った感情を、このエルフの男は表情から掬い取ってみせたというのか。目のやり場に困りながら、ソロヴィヨフは彼の言葉に応じた。酔った暴漢と取っ組み合いの喧嘩でもしたのだろうか。
「これでも作家志望だったのでね」
「それはすばらしい。楽しい遠征になるといいですね」
あんたの方が楽しそうに見えるぞ、とは言わなかった。先日彼が口にしていた、ヘレネに一目惚れをしたという証言は、あながち嘘ではないらしかった。驚くほどヘレネに従順で、その振る舞いはソロヴィヨフの隣でガリア語の教本に目を落とすエリーゼの心酔ぶりにも匹敵するほどであった。憧れの女騎士とのガリア行脚ということで、実にリヒャルトは上機嫌である。
「列車の座席は女伯とご一緒したかったのですが、生憎と断られてしまいました。直々に護衛を仕れるチャンスかと思ったのですが」
言動の通り、リヒャルトという男はあまりにも女の趣味が悪い。とはいえ他のエルフ同様に幼げながらも端正な顔立ちを誇っており、その立ち振る舞いにも粛然としたものがある。天から一物も二物も与えられながら、どうしてあんな女に惹かれてしまうのか。勿体ないとは思わないのか。足元にどれだけ孤独な独身男性がひしめいているか、考えたことがあるのか。
お門違いな憤りで眉間に皺を寄せるソロヴィヨフは、窓ガラスに映る薄汚い無精髭を無秩序に生やかした、くたびれた男の顔を見やった。やがて無益な美醜の比較をやめ、ふたたび彼は車窓の景色を眺めだした。
ヘレネはといえば、ソロヴィヨフたちの背後の席で配下の騎士らに囲まれるように据わっている。今朝がたの彼女は、ひどく腫らした顔を引っ提げながら、ソロヴィヨフの前に現れた。リヒャルトと同じく顔のそこここがガーゼや湿布で覆われ、新雪を思わせる白皙の相貌には青痣が浮かび、紅色の丹唇は痛々しげに裂けている。終始むっすりとした目つきで睨みつけられ、近づこうとするとすぐさまテクラの後ろに隠れられてしまう。
エリーゼに問いただしても「不逞な輩に絡まれたらしく」と答えを濁すばかりで、その真相は未だにわからないままである。日ごろの行いを知るソロヴィヨフとしては天罰覿面としか思えなかったが、迂闊にそんなことを口にしても得することは何もないので、「お大事に」とだけ口にするだけに至った。
リヒャルトなどは「おいたわしや女伯」「そんなヴィッテルスバッハ伯もじつにじつにお美しゅうございます」と、取り巻きの騎士すらも引くほどの耽溺ぶりを見せているものの、ソロヴィヨフと同じく避けられているのは確からしかった。




