事後処理(5)
「ガリアの……?」
テクラは貴族ではないとは聞いていたが、それなりに由緒のある家系の出なのかと、ソロヴィヨフは少々の驚愕を感じた。専制と共和制がミルフィーユのパイ生地がごとく交互に積層しているガリアの歴史上、非猿人種が政治の中枢に席を与えられた過去はない。貴族と平民という二極的な階級格差に加え、人種的な溝が存在しているというのは帝国に限ったことではなく、三度目の立憲共和制を迎える現在のガリア共和国もまた同じであった。
テクラの父であるトマシュ・クラカウ上院議員は、そうしたいきさつを持つガリアの慣習上において異例ともいえる有角人の国会議員であった。帝国のクリゾルト体制が宰相の罷免によって瓦解し、ザイリンゼル三世による強硬的親政が開始されてから、ガリア国内ではその懐古主義的貴族政治体制に反発する声が強まっていた。帝国とモスクワ間での開戦に際し、当時の内閣がとった静観という態度は国内外から痛烈な批判を受け、現在では新たに構築されつつあった三国同盟構想を支持する中道左派のガリア社会党が第二党として、着実に民声の支持を集めつつあった。
クラカウ議員はその創設メンバーの一人であり、有角人の屈強な体躯と、壮年期の老いを感じさせない甘い壮観なマスクで、大きな支持を集めていた。一人娘であるテクラが仮想敵たる帝国の修道院で奉仕の精神を学んでいるという要素も、先進的な世界市民主義を感じさせるエピソードとして効果的に機能し、新時代の国民国家を担うに相応しい漕ぎ手として、彼は注目を集めているのだった。
クラカウ議員や魔王エレシュキガル二世の颯爽な登場は、移り気なガリアの市民感情に大きな変化をもたらしつつあった。歴史的な非猿人種への憎悪はなりをひそめ、大陸西部に魔手を伸ばすモスクワへの敵愾心がその位置を占めようとしているのだ。
先進的な左派思想におだてられたガリアの国民国家は東方からの侵略者への反感を育まれ、そしていずれはブリタニアという覇権国への猜疑を産むだろう。専制主義のような強固なトップダウン型の意思決定機関を持ちえない共和制ガリアの見せる間隙にこそ、第四皇女ヴィルヘルミーナというカードを切る余裕が生まれるのだ。彼女の影響力の前では、クリゾルト派の亡命貴族などガリアの富裕層の庇護下にあるだけの、脆弱な寄生虫にすぎない。
「可能であればクラカウ議員を通してクリゾルト派を牽制し、モスクワによる帝国臨時政府の樹立までの時間を稼ぎます。もっとも、お話によると今のベルリンはほとんど行政能力を失っています、ヴィルヘルミーナ政権自体は問題なく発足が可能でしょう」
「……全部が都合よく行ったらの話だがな」
心的負担と疲労、二日酔いからなる体調不良がピークに達し、青から緑色に顔色を変貌させつつあるソロヴィヨフに、リヒャルトは今までと変わらぬ声色で気休めを口にした。
「今までギャンブルでなかった選択なんてものがありましたか?」
リヒャルトは立ち上がると、軍服の胸元からひとつの封筒を取り出して、ソロヴィヨフのデスクにそれを差し出した。封筒の中身には数日後の日付が刻まれたパリ行の列車乗車券と、ソロヴィヨフの顔写真が載せられたビザが入っていた。
「クリゾルト派の亡命貴族から影響力を削ぎ、かつモスクワ側主導のヴィルヘルミーナ政権に害がないことを示すには、殿下ご本人の威光を借りるほかありません」
「皇女じきじきにロビー活動をさせるのか?」
「この件に関しては、皇女殿下の身柄を保護している情報庁にも話が通っています……だいいち、この話はそもそも社会党の側からの提案なのですよ」
「いち野党のくせに、議会を差し置いて停戦の取り持ちでもしようってのか?」
「コネを駆使したスペシャルゲストとして、影響力のある人間を招聘したいのでしょう。きっかけは、エアハルトでのモスクワとブルクゼーレ間による会食だったそうですよ。参加者に社会党員の親を持つ士官がいたとのことで。元来は、パルスベルクの英雄を招いての厭戦プロパガンダをするつもりだったようです」
「……皇女殿下には感謝の言葉もないな」
「何を他人事のように仰います。殿下にもしものことがあれば、大尉殿にお鉢が回ってくるといいますのに」
「俺に何しろっていうんだ、演説の場で政治家たちに囲まれて一席ぶてとでも?」
「何せ大尉殿は、帝国に冷や水を浴びせかけた破城槌にして、囚われの寵姫を救い出した勇敢なる騎士! 麗しの皇女殿下ほどではなくとも、需要がないわけではありますまい? 多少の失望と、顰蹙は買うでしょうが」
顔色の良くない髭面のモスクワ人の顎先を見やって、くくくっとリヒャルトは笑った。
「……つきましては、大尉殿には殿下の護衛と、敵対勢力の排除をお任せしたいのです」
眼前の失礼なエルフのあまりにも円滑すぎる折衝手腕に、ソロヴィヨフは舌を巻いた。
「敵対勢力ってのは……クリゾルト派貴族の排除、の間違いじゃないか?」
「場合によっては、それもやむなしでしょう。死体が出た際の後始末は、我々が請け負います。実際に市街でドンパチは避けたいところですが……あくまでも、パリにおいて我々の側で動かせる戦力があるという事実こそが大切なのですよ。護衛の体制は、ある程度フレキシブルな方がいい。でしょう?」
ソロヴィヨフは無精髭を指先で撫でながら、苦々しげに言った。
「それはどういった立場でのお言葉なんだ? あんたはいったい、誰の味方なんだ」
喉元でくすぶっていた質問を、ソロヴィヨフはようやく口にした。モスクワ側がヘルヴェチアに働きかけたのは、対ベルリン攻略に際する物的支援に関してだけである。後方勤務とはいえ一軍の少将が、なぜこんなにもモスクワのいち試験中隊などにここまで親身になるのか、そもそもどうしてこのような策を提案してくるのか、ひどく不可解なのである。
「同盟側に傾きすぎた天秤を、すこし均してやりたいと思ったまでです。あくまでこれは打算による行動ですよ、大尉殿。そういうことにしておいてください」
彼はヘレネに惚れている。一目惚れの初恋だと、ソロヴィヨフは耳打ちされた。それが単なる、彼女に対するジョークか世辞なのかは図りかねていたが、当時のドスの利かされたリヒャルトらしからぬ声のトーンは、その発言を一笑に付すには真剣すぎるきらいがあった。堅気の者では決して発することのできない、他者への明確な牽制の一言。しかし目の前のリヒャルトは依然として爽やかな笑みをたたえており、ソロヴィヨフに真意を見せようとはしない。
「厄介なのはブリタニアか。皇女というカードを切られた奴らがこのまま同盟の維持に努めるか、それともクリゾルト派もろともガリアを切り捨てるかは、わからないところがある」
閑話休題と言わんばかりに、ソロヴィヨフは伏し目がちにそう言った。
「無理やり同盟の足並みを整えさせて、モスクワに殴りかかってくる可能性だってある。何の準備も済んでいない脇腹を、空から穴だらけにされてしまう」
「その通り。せっかく理屈や手回しをこねまわして編んだ作戦が、飛竜兵団の投入ひとつによって覆されかねないのです。戦略が戦術ごときにひっくり返されるなんて、冗談にしたって笑えない。ですから、こちらもこちらで嫌がらせを講じようと思いまして」
言って、リヒャルトは傍らの鞄から一枚の資料を取り出した。ヘルヴェチアを中心とした、旧い紙地図であった。全盛を誇った広大な帝国領が目立つ中、多国間にまたがる腫瘍めいた統治者不明の領土が、紙面に浮かんだシミのように朱色で点々と描かれていた。
「三百年前に作成された閣竜の版図が示されています。恐らくは、大陸でもっとも閣竜会議内での契約に正確な領地図ではないかと思います」
「作戦に閣竜の協力を取り付けるのか? そんなことが、可能なのか」
「協力だなんて大層な真似、門前払いを食らうでしょう。何せかけまくも畏き、旧き竜神の末裔たちであらせられますから。地上に蔓延るノミ同士の戦争に肩入れするなど、それこそ零落して会議名簿からも除名されたような老いぼれか甲斐性なしくらいのものです」
閣竜とは、複数の個体群によって社会を構築する人類とは一線を画す上位存在である。群体ではなく個体としての頑強さに優れた彼らの自尊心を絆すことのできる手段など、およそ人類は持ち合わせることは叶わなかったし、これからもきっとそうだろう。この前提を踏まえるならば、長命ゆえに猿人よりも閣竜との縁が比較的近いヘルヴェチアのエルフとて、おいそれと彼らに協力を持ち掛けることなどできはしない。
「しかしいかに閣竜とて、こちらの意図が決して通じないわけではありません。ケンカを売られた、くらいの意思疎通は可能でしょう。例えば、遠縁とはいえ同種の竜の首を、ねぐらに放り込まれでもすれば」
「竜の首……?」
「これからいくらでも用立てられると思いますよ。一個小隊の命と引き換えに手に入るであろう、飛竜の死骸からいくらでもね。それを閣竜の縄張りに片っ端から置いていく。同胞意識に個人差はあるとはいえ、一頭でも釣れれば十分です。ブリタニアへのいい牽制になる」
そもそも人間ごときが竜の背に跨るなど何事だって話ですがね。人道というあぜ道を外れて水田で水遊びに励むかのような物言いのリヒャルトには、迷いや躊躇いといったものはまるでなさそうだった。大型の閣竜にとってみれば人類など塵芥も同じであり、大都市と呼ばれるものでさえ、彼らにしたら砂糖菓子の集まりにも等しい。
早い話が、閣竜たちに向けた反ブリタニアのためのロビー活動である。
「あくまで最終手段ですよ。ブリタニアが本当に目障りになってきた場合のね」
仮にガリアの都市で閣竜が癇癪玉を爆発させれば、その爆風の余波で失われる人命は、先日のリーハイムの虐殺など比較にならない数にのぼるだろう。そうなった場合、大陸社会における閣竜を交えたパワーバランスは、再び混沌とした中世期に逆行するはずである。人々の国家がそうであるように、閣竜にもまた集団的自衛の概念を有した者もいる。最悪の場合、人類は徒党を組んだ閣竜を相手に立ち回りを演じなければならなくなる。ひとつの時代を徹しての大戦争になるであろうことは、想像に難くない。
「そうならないために、大尉殿にはガリアで色々頑張ってもらわなければならないのですよ」
そう言ってリヒャルトは一礼し、テクラを伴ってドアへと足を向けた。
「ひとつ教えてくれ。閣竜を脅しに使うってうのは、どこのどいつのアイデアだ」
「あるいは、閣竜を利用するだけが、その方のアイデアではないのかもしれませんよ」
問いを背に投げかけられたリヒャルトは、そう応えて退室していった。




