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嗤う女騎士  作者: カスミカ
蠢動する欲望
34/68

事後処理(1)

 キール・ミシェルカ少尉がドアのノックでソロヴィヨフを叩き起こしたのは、午前五時前のことであった。ヘレネ達と呑んだ後、執務室兼寝室として借り上げている一室に戻ると、翌日は非番だからと高を括ってそのまま寝こけてしまったのだ。酒が抜けていないままの風体でドアを開けると、ソロヴィヨフの腰あたりの位置に、中隊いちの短躯のミシェルカ少尉の顔があった。小柄な煙窟人フローレン特有の童顔を蒼白に染め、彼は変声期をすっ飛ばした少年のままの声で報告を口にした。


「リーハイムの入管施設で、大規模な火災を伴う暴動が発生した模様です」


 目を白黒させるソロヴィヨフと同様に、ミシェルカも事件の全容を正確に把握できてはいないようだった。ソロヴィヨフは手早く制服に着替えると、他の士官を自分の部屋に集めるようミシェルカに指示した。人員が集まってくるまでの時間を利用して、ソロヴィヨフはヘレネたちが利用している大部屋へと足早に向かった。


「俺だ、ソロヴィヨフ大尉だ。誰かいないか、おい! ヘレネ・ヴィッテルスバッハ!」


 拳でドアを叩きつつ、真鍮のノブを幾度か回してみる。嫌な予感が足元からぞわぞわと這い上がってくる。あのバカ女ども、また何かしでかしたのか? 下半身から背筋にかけて、不可視の毒虫にたかられる錯覚に苛まれながら、ソロヴィヨフはヘレネの名を叫んだ。反応は返ってこない。


 仕方なく踵を返して自室に戻ると、ソロヴィヨフは部下たちに事件現場へ急行する旨を告げた。幸か不幸か、ソロヴィヨフには十中八九あの馬鹿どもの仕業だろうという確信めいた考えがあった。外部との連絡役にミシェルカ少尉を残して、ソロヴィヨフたちはエントランスへと向かった。にこやかなフロント係に見送られてホテルの外に出ると、車寄せに二頭の馬をつないだ豪奢な馬車が停まっていた。背広姿のエルフ男性は、おそらく服装で判断したのか、恭しくソロヴィヨフに声をかけた。


「連邦陸軍情報部ヴァイルブルク少将の命により参りました、マリニャック中尉です。モスクワ陸軍のソロヴィヨフ大尉ですね」


 と、品のあるバリトンでソロヴィヨフたちを大型キャリッジへといざなった。


「今朝未明の暴動についてのご報告と、改めてのご挨拶について、少将より申し付けられております。どうぞ、お乗りになってお待ちください」


 まずは現場に向かわなくていいのか、という言い分を諫められ、不承不承ながらソロヴィヨフたちは馬車に乗り込んだ。六人掛けの大きな客車内で揺られること十数分。ソロヴィヨフたちが連れていかれた先は、ヘルヴェチア行政を司るベルン・エルダマール連邦議事堂であった。


 マリニャック中尉の案内のもとで通されたのは、議事堂施設内の一室であった。会議室然としたオフィス内に、ソロヴィヨフはヘレネたち修道騎士団の面々を見つけた。バカ女たちが雁首揃えて何をしているかと思えば、のんべんだらりとスプーンでプディングをつついている。呆れてものも言えないとはこのことか。文句か罵倒かを口の中でもにゃもにゃさせていると、マリニャック中尉の上官らしい軍人が近づいてきた。


「やあ、先日はどうも」


 爽やかにそう挨拶を告げた彼の顔には見覚えがあった。先日ホテル内のカウンターバーで、バーテンとして勤めていた男である。フィールドグレーのジャケットを飾緒とエポレットが彩り、巧緻なアラベスク様の施された襟章が示す階級は、彼を少将の位にある男だと示していた。白絹の滑らかな手袋を外し、男は右手で握手を求めてきた。


「リヒャルト・ヴァイルブルク少将です。よろしく、大尉殿」


 狐につままれたような気分のままで、ソロヴィヨフはリヒャルトの手を握り返した。


 ヘレネと言えば、困惑するソロヴィヨフの顔を一瞥すると、「なんだ、いたのか」と感慨もなく、ぷいっと再びプディングを食う作業に戻ってしまった。促されるままに着席すると、彼の部下らしき将兵たちがトレイを抱えてやってきて、目の前に珈琲の注がれたカップとプディングが配膳された。


「どうぞ、召し上がってください。この時間から用意できるものとなると、これくらいしか無くて申し訳ないのですが……」


「は、はあ。どうも」


 恐る恐る一口いただく。部下たちの怪訝な視線をひしひし感じながらスプーンで口に運んだたプディングは、これ以上なく美味かった。珈琲にも口をつけると、こちらも素人の自分が付け焼刃の知識や技術で淹れたものとは、比較にならないほどに美味い。その様子を目の当たりにして、上官に毒見をさせた若い士官たちは、ようやく出された甘味をぱくつきだした。


「さて、どこからお話ししたものでしょうか」


 ソロヴィヨフのデザートグラスの減り方の頃合いを見計らい、リヒャルトは口火を切った。かれが目配りすると、マリニャック中尉はソロヴィヨフの前に書類の束を差し出した。見出しの文には、【リーハイム暴動事件第一次調査報告書】とあった。


「これは……?」


「昨夜から今朝がたにかけて発生した、入管施設における大規模な暴動、それに関する調査結果です。鎮火後すぐに用意させましたので、数字の面では多少の誤差があるでしょうが。同盟側の心証を良くするためには、少しはやる気を見せねばなりませんでしょう?」


 不穏なリヒャルトの言を聞き流しながら、ソロヴィヨフは書類の文面に目を走らせた。


 リーハイム検閲局。難民用宿舎。モスクワ陸軍懲罰歩兵。放火。炎上。略奪。暴動。死傷者・行方不明者合わせ二〇〇〇人超。穏やかならぬ文言と、機械的に綴られた非道な所業の数々に、ソロヴィヨフは胃液とともにプディングと珈琲の混合がこみ上がってくるのを感じた。


「略奪に関与していたと思われる集団の十数名を、わが軍が捕縛しております。一様に彼らはモスクワの懲罰歩兵を名乗っており、数日前に下された指示に従って宿舎に火を点けたのだと証言しています。夜盗まがいの山賊にしては装備が整いすぎていますし、かと言って正規軍とするにはあまりに軍紀に不実すぎる……」


「我々は情報庁の意向によって設立された試験中隊だ。所属する軍こそ同じであるものの、私を含めた士官には、関係どころか面識ひとつありはしない」


「この懲罰歩兵をヘルヴェチアへ動かしたのが、ドミトリ・マニロフ中佐だとしてもですか」


「中佐が?」


「大尉殿。聞くところによれば、あなたはパルスベルク陥落の立役者らしいではありませんか。辣腕マニロフの右腕として八面六臂の活躍を見せ、難攻不落の鉄壁を見事に内側から打ち破って見せた、とか」


「なにかの……間違いでは? マニロフ中佐が、このような扇動を行うとは思えない」


「ですが現に、拘束した兵の幾人かは同じ名前を口にしているのですよ。パタノフ大隊所属の、マニロフ中佐の名前をね。いかに大尉殿の試験中隊が独自権限を持っていたとして、しかしあなたとマニロフ中佐の関係の深さを払拭するには、いささか頼りないとは思いませんか?」


 グラスポットを手にしたマリニャック中尉が、ソロヴィヨフのカップに二杯目の珈琲を注いだ。漆黒の水面から湧き上がる白い湯気が、無精髭の目立ち始めたソロヴィヨフの顎先を怪しく撫でつけていく。


 ソロヴィヨフが知る中では、あの禿頭の上官は、このような過激な凶行に及ぶような人格の持ち主ではない。どちらかといえばノンポリで、軍内での派閥争いにも慣れた様子はない。戦争そのものにも辟易気味で、ともすればくたびれた中小企業の中間管理職にも見える壮年の男である。旧知の仲と呼べるほど関係が長いわけではないが、殊更に非猿人種の虐殺に嬉々として加担するような面があるとも思えないのだ。


 ソロヴィヨフと同じく、パルスベルク攻略の功績が認められている彼が、そんなイデオロギー的にも綱渡りな強硬策をとるとも思えない。今なお根強い反拝火思想を味方とするにも、このような暴挙は、無計画きわまる短絡的な戦争犯罪としか思えない。そこまで至って、ソロヴィヨフはふと思考の歩みを留めた。


 無計画。短絡的。暴挙。いるではないか。この三つの悪徳に相応しいゲスが、目の前に。


 ソロヴィヨフは書面から目を外すと、テーブルの向かい側で三皿目のプディングを貪る金髪の女を見やった。


「お前が、やったのか?」


「うん」


 きょとんとした表情でスプーンを咥えたまま、ヘレネは首を縦に振った。


「……なんで?」


「大尉殿はさあ。路傍の石を蹴っ飛ばすのに、いちいち理由を考えるタイプの阿呆なのか?」


 ヘレネはいとも簡単に関与を認めると、再びプディングを食べ始めた。


 ソロヴィヨフは手足の末端が冷え切っていくのを感じた。無意識に熱を求めて珈琲の注がれたカップに指を触れるが、おぞましいほどの寒気は、なおも体の芯を目指して蝕んでいく。隣に並んだ部下の士官たちもソロヴィヨフ以上の悪寒に見舞われており、揃って顔を薄紫色に染めていた。


「何を考えてんだ、お前……何がしたいんだ?」


 かける言葉が思い浮かばず、ソロヴィヨフはそんな要領を得ない質問しか口にできなかった。


「《魔法野郎》と同じようなこと聞くんだな。あたしは今までと同じことやっただけだろ? 半年近く付き合ってて、まだあたしの好みを理解できてないのか」


「ヘルヴェチアに何をしに来たのか、忘れたのか? 支援を求めに行った先でわざわざ騒動を起こす馬鹿がどこにいる、ましてや難民を手にかけるだなんて、正気かお前は」


 なんとか論理的な反論を紡ぎだして口にするが、筋道立てた異論が通じる相手ではないことに、ソロヴィヨフは発言してから思い出した。


「だが周りを見ろ。少将閣下はこんなにもあたしに良くしてくれているじゃないか。はらわたが煮えくり返ってるのは、魔王軍の連中くらいのもんだろ?」


 難民受け入れの計画は、ヘルヴェチアとフリュギアが共同で行っているとソロヴィヨフも聞いていた。そうなると、ヘレネは非猿人種もとい魔王憎しでここまでの凶行に及んだというのだろうか。しかし虐殺の首謀者たるこの女を、なぜヘルヴェチアは許容していられるのか。共同作戦という都合上、即刻ヘレネをフリュギア側に引き渡してもいいものだが、なぜこいつは依然として野放しになっているのか。


「こんな虐殺に何の意味があるのかを聞いてるんだッ! 答えろバカ女!」


「いちいちガタガタうるせぇんだよクソ野郎が!」


 売り言葉に買い言葉、意図せず声を荒げてしまったソロヴィヨフに対して、ヘレネもまた眼前のモスクワ人相手に怒鳴り散らした。カラになったプディングの器が放り投げられ、壁面に衝突して砕け散った。


「あたしがやったのは害虫駆除だ、家の柱にシロアリが群がってたから殺した、ただそんだけだ! 外様のテメェごときにウダウダ横槍入れられる筋合いはねェんだよ!」


「ならお前ひとりでやればいい、モスクワを巻き込んでまでやることか!」


「手の届く範囲にそれがあったから使っただけだ、それの何が悪い! 飛び出た釘の真横に金槌が転がってたら使うだろうがよ。懲罰歩兵なんぞ、どうせ生きてたって地雷原の肥やしになるしかねえ連中だ、あたしに使われて本望だったに違いなかろうよ。資源の有効活用だろうが。クズどもの頭数の十倍の数の魔物をそれで駆除できたんだ、使い道のない二種類の家畜を効率的に処分してやったってのに、感謝されこそすれ文句垂れられるイワレはねえ!」


「か、感謝、だと?」


 とめどなく溢れる詭弁を戦斧のように振り回し、ヘレネはソロヴィヨフの指摘をいともたやすく斬り刻んだ。言葉を切り結ぶわけでもなく、ただ力任せに叩き切っているだけであるが。


「失礼。僕から三つほど述べさせていただきたい。暴動の教唆に何の意味があるのか、という問いに関してですが」


 芝居がかった声色でリヒャルトが割り込んだ。


「ひとつは同盟の主たるブリタニアとガリアへの牽制。難民支援の致命的な失敗は、同盟軍のドクトリンに瑕疵を与えられる。戦後の帝国領の支配に関する対立相手であるモスクワを模倣して解放戦争を謳う今の同盟軍は、人道的な失点を厭います。大義名分に疵がつけば、戦争どころではなくなりますので。その一方でこの二国は、フリュギアの魔王が標榜していた難民救済には消極的で、派兵をはじめとする実効的手段を何らとっていませんでした。表立って我々に難民受け入れを押し付けてくるくらいにはね。昨夜の作戦は、それを浮き彫りにするための行為だったといえるでしょう。現に現場での犠牲者には、ブリタニア人やガリア人は一人もおりませんでした」


「それなら、なぜモスクワの部隊を使った?」


「モスクワからもまた、非猿人種の権利保護に関してさしたる関心がないという本音を大々的に引きずり出されたかたちになります。これが、目的のふたつめ」


「待て、待てよ。それじゃあモスクワは得しないだろ、どういうことだ、何を言ってるんだ」


「そして最後にみっつめ。モスクワが得をするかどうかは僕には判断しかねますが、損をする勢力はすぐに浮かびますでしょう?」


 難民支援の失敗。同盟軍の大義名分の失墜。モスクワ軍による非猿人種の虐殺。並べ立てられた理由のそれぞれを結びつけて得られる結論とは、畢竟単なる嫌がらせに連なって終始するものとしか考えられなかった。


「魔王軍を、どこにも頼れない状態にするため……?」


「正解です。あのエレシュキガル二世の派手な演出で、魔王軍は大義とともに大きな縛りを自ら背負い込みました。それはきっと国内外を問うことはない。人魔統一というスローガンを鑑みれば、より一層その呪縛は強まったといえるでしょう。現状袂を同じくしている同盟内ですら雲行きが怪しくなっているうえ、ただでさえ南下政策で圧力をかけてくるモスクワが虐殺を是とするのであれば、フリュギアの国民は義憤で爆発寸前でしょうね。もっとも、その悲喜こもごもは魔王様と勇者様の掲げたお題目によって縛られてしまっているので、拳を振り下ろす先はどこにも見つからないでしょうが」


 リヒャルトは言葉を終え、半歩身を引いた。


「じゃあ、何か? 本当にお前ら、あの魔王と勇者に嫌がらせがしたいがために……二〇〇〇人を焼き殺したのか?」


「敵に嫌がらせするための職業に就いてるクセに何言ってんだ?」


 軍人らしからぬ震えが混じった声を絞り出すソロヴィヨフに、ヘレネは憮然として言った。冷や汗を額から滲ませるモスクワ士官に、リヒャルトは努めて穏便に声をかけた。


「大尉殿? ご気分がすぐれませんか」


「あんたもあんただ! なんでこんな、こんなクソ女相手に、そんなに冷静でいられるんだ! ヘルヴェチアの兵隊だって死んでるんだろう! それがなんで、どうしてこんなやつを菓子でもてなしてやれるんだ!」


 椅子からいきり立ったソロヴィヨフの憤りに、しかしリヒャルトは物怖じひとつしない。


「あ、あんたもひょっとして、あの参事官みたいに、変な弱味を握られてるのか? 女房にも秘密にしてる不倫だとか、クスリの密輸だとか……こ、殺し、だとか」


「大尉殿。発言するなら、なるべく頭で内容をまとめてから口に出した方がよいかと」


 にこやかにソロヴィヨフの顔を見上げるリヒャルトの表情からは、快不快の兆しすら読み取ることができない。ヘレネ以上に分厚い鉄面皮は、押し隠した真意の芳香すら漏出しない。


「兄たちと違って、僕にはつまびらかにされて困る醜聞などありません。これはあくまで、合理的に判断したうえでの協力だと理解していただきたい。大尉殿も、元来はヘルヴェチアとの取引を求めてここまでいらしたのでしょう? ご心配なさらずとも、向こう何年かは戦争が続けられる程度の支援はさせていただきますよ。外務省の長兄とも、この考えは共有しておりますので」


 リヒャルトの蒼い瞳が、底なしの湖面のようにゆらめいた。凪のように静粛な水を思わせる彼の目つきは、無用な争いを厭う平和主義者のそれとは異なっているように見えた。無為に失われていく犠牲に対する慈悲と罪悪感など、生憎と持ち合わせてはいないらしい。


 戦争だけは続けさせてやる、それ以外など知ったことか。ヘルヴェチアが武器商人だと称される所以を、ソロヴィヨフは身をもって実感した。


「あんたは何も知らないからそんなことが言えるんだ、あんたはなんにもワカっちゃいない」


 助けを求めるようなソロヴィヨフの警句めいた言葉の直後、リヒャルトは彼の襟首に手をかけ、強引に顔を引き寄せた。耳元で囁くリヒャルトの声色は、先ほどの詩人めいた穏やかなものではなかった。


「他人様の初恋にうだうだ口出しすんじゃねェよ、クソガキ」


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