兵士達との語らい
そんなある夜、兵士達が火を囲んで、
国に残してきた妻子や家族の話しをしているのが
惣一朗の天幕まで聞こえてきた。
惣一朗はいつもの様に本陣の天幕の中で、
持ってきた志乃の髪をなでながら、一人想いにふけっていた。
(志乃はどうしているだろう・・・・・。可哀想な志乃・・・、
あんな別れ方をするべきではなかった・・・。
元気にしているだろうか・・・・・。)
志乃を想うと眠りさえも惣一朗から奪い、夢の中でも会う事が出来ず、
何より、別れ際のあの可哀想な志乃の姿が、
目に焼き付いて離れなかった・・・・・。
後悔だけが惣一朗の心を占め、
何故あんな別れ方しかできなかったのか、
自分の不甲斐なさを責め続けた。
・・・・・だが、あのまま志乃を抱きしめていたら、
自分の心は折れていただろう。
・・・・・あの日、諏訪に断ろうと決めた朝、
お義父さんに書斎に呼ばれて『高倉の為に行って欲しい』と
頭を下げられたのを思い返していた。
惣一朗はそれがどうしても理解できず、何度理由を聞いても重蔵はただ
『頼む』とだけ言い、黙って自分に頭を下げた。 ・・・・・あの重蔵が、だ。
諏訪の政治的立場はなんとなく理解はできるが、姻戚だからと言って、
それと高倉と、しかも自分と、何の関係があるというのか。
あの日、引き受けなければ良かったのだろうか・・・・・?
惣一朗は何度も自問自答を繰り返してみたが、
答えは何も得られなかった。
髪の毛を切ったことに、志乃は気が付いているかな・・・・・。
今日に限って、何故か今までの愛おしい日々が、
走馬灯のように頭を駆け巡り、
惣一朗は急に身も心も志乃の居ない淋しさで、
押し潰されそうになっていた。
寒さのせいか・・・・・、俺も弱くなったな・・・・・。
惣一朗は離れてみて今更ながら痛感していた。
自分は『高倉惣一朗』だ。
だが自分のものといえるのは何もない、
ただ『志乃』だけだったことに、自分でも呆れるほど、痛感した。
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「早く帰りてえよなぁ・・・・・」
「ああ、うちは子供が産まれたばかりで可愛い盛りなのに、
抱っこもしてやれねぇ」
「俺は病気のお袋が心配だよ」
「ここには酒も女もいねぇ、何もやる事もねぇ、
もうすぐ冬だってえのに、いつまでこうして居るんだか・・・・・」
故郷への想いは皆同じなのだ。
惣一朗は懐かしさと志乃の居ない寂しさとで、珍しく天幕を出て、
兵士達の方へと近づいた。
それに一人の兵士が気付き、惣一朗を呼んだ。
「あっ少尉!一緒にどうですか?
酒はありませんが、水で酒盛りをしていました」
「不謹慎だなお前たち。だがたまには俺もまぜてもらおうか」
「そうこなくちゃ!」
皆一斉に拍手し、惣一朗を大歓迎した。
若い兵士が興味津々とばかりに、自分の隣に惣一朗の席を招き、
さっそく惣一朗に話しかけてきた。
「少尉はいつも天幕で何をしているんですか?」
「馬鹿!報告書や仕事にきまっているだろう」
別の兵士に小突かれ、その若い兵士はしょぼくれて謝った。
「いや、仕事はしていないさ。俺も家族を思い出してぼんやりしていただけだよ」
「え?少尉もぼんやりする事なんてあるんですか?」
「はははっそりゃあするさ、人間だからな」
皆、惣一朗が急に笑い出したので、ギョっとした顔をして、
一斉に惣一朗に注目した。
「なんだ、どうした?俺の顔に何かついているのか?」
「いえ、少尉が笑うのを初めて見たので・・・・・」
「俺も・・・・・、驚きました」
皆がまじまじと惣一朗の顔を見るので、
気味がが悪くなり、惣一朗は冗談交じりに言った。
「おいおい、俺は機械じゃないぞ!」
だが、一人の兵士は真顔で
「いえ、本当は機械じゃないかって噂していました」
それを聞いて皆一斉に笑い出し、つられて惣一朗も笑った。
笑ったのは何か月ぶりだろう。
惣一朗は杉田家でそうだった様に、気付かぬうちに感情を殺し、
自分を制して保っていたようだ。
・・・・・何も求めず、期待せず、ただ己を鍛える事で
やり場のない憤りを発散させていた、あの頃の自分に・・・・・。
少年だった心より大人になった惣一朗は、
自分を少しは上手く制する事が出来る様になっていたが、
気付かぬうちに『志乃』という弱点を作ってしまっていた。
自分は一生一人で生きていけると思っていただけに、
今の己の不甲斐なさが恨めしくもあった。
情けないなと思いながら、志乃からの手紙を待つ自分。
正直、あの志乃が手紙をよこさないのは考えられない、
もしや何かあったのかと不安がよぎる・・・・・。
惣一朗がまた心を志乃へと馳せていると、若い兵士が尋ねてきた。
「少尉の家族はどちらに?嫁さんはいるんですか?」
「おい!失礼だぞ、少尉にむかって!」
「いいんだ、酒の席では無礼講だよ」
「さすが話が分かるぜ!俺らの大将は」
若い兵士は上機嫌になり、他の兵士も和やかな雰囲気になった。
生意気な兵士の言葉に、牛鍋屋での時を思い出した惣一朗は、
心の中でほくそ笑んだ。
「子供はまだだが、妻がいる。・・・とても美しい・・・。
心も姿も、本当に美しい人だ」
いきなり自慢話をされたはずなのだが、
いつも能面のような顔の惣一朗から発せられる、
妻を愛おしむ優しい語り口は、まるでその女性が
惣一朗の傍に寄り添っているかの様に見える程、
その言葉には心がこもっており、その場に居た兵士達の心にも響き渡ってきた。
「・・・・・そんなに綺麗な人なら、俺も見てみたいです・・・・・」
「俺も・・・・・。帰ったら少尉の家に行ってもいいですか?」
皆口々に会いたいと言い出し、これまた指南役の頃を思い出させた。
惣一朗は懐かしさから、また口元を緩めて、
兵士達がこれまで見た事も無い笑顔で「いいよ」と軽く答えた。
「俺の家は造り酒屋だから、本当の酒盛りが出来るぞ」
途端、兵士達は大興奮し、話題は酒の産地や酒類、
酒の肴にまで及び、話が弾んだ。
そこへ、十八隊団に行っていた岡部がふいに戻って来た。
岡部は一人ではなく、見るからに上等なマントを羽織った、
いかにも高官らしい将校を伴っていた。




