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岡部軍曹の提案



 惣一朗の二十二隊団は、熊の一件以来、陣営地を二度変えた。

 やはり山中付近は危険と判断し、もう少し山里近くに移動したのだ。


 だがその為、補給物資や食料を本部に取りに行くにも、

村人に見つからないよう、少人数での行動を余儀なくされ、

また取りこぼしや、輸送中に農民の略奪に遭うなどした為、

ままならない状態が続いていた。


「これではほとんど潜伏と同じゃないか。

岡部軍曹、二十二隊団はやはりこのまま、ここで待機しろと?」


「はい、先ほど本部に補給物資を取りに行った者が、

その様に申しておりました」


 ・・・・・すでに季節は十月中旬になり、山里とはいえ栃木は東京より寒く、

季節の移りが早い。


 このまま越冬なんて冗談じゃないと、

惣一朗は心の中で悪態をついていた。


「なぜだろう、やはり加波山事件が影響しているのか?

ここは埼玉と群馬の県境だ。

 どこかで暴動の気配でもあるのだろうか・・・・・」


「どうでしょうか・・・・・。本部に情報が入っていても、

我々に知らされるのは、決行の数日前ですから・・・・・。

その時は警察隊と合同だと思います」


 岡部は申し訳なさそうに、惣一朗に軍内部の仕組みを語った。

「いっそのこと村へ行って、首謀者を捕えた方が早いんじゃないか」

「見当がついていたら、本部から何かしら指示が出ると思います。

それにむやみに村に捜索に入れば、我々への警戒を強めるだけですし・・・・・」


「それもそうだな・・・・・、ところで、手紙は届いていませんか?」

「少尉宛のですか?残念ですが、今回も無かったようです」


「そうか・・・・・」

それだけ言うと、惣一朗は明らかに落胆した様に見えた。


 岡部は不思議だった。

 この冷静沈着な青年がずっと手紙を待っている。

 以前、誰からのかと尋ねたところ、彼の『妻』からだと答えたのだ。


 今も『無い』の一言で、これほど沈んだ様子にどうしたことか。

 そうかと思えば着任早々、あの細田を打ち負かし、次いで熊を倒し、

先日など鹿や猪まで狩って来て皆を驚かせた。

 そして皆を束ねるこの指導力。


 これほど勇敢で有能な青年が、『妻からの手紙』を

子供の様に待っている・・・・・。


 好奇心に駆られた岡部は、茂みの中で自分の隣で腹這いになって

村の様子を伺っている惣一朗に、失礼を承知でそれとなく聞いてみた。



「少尉。あの、失礼ですが少尉の奥様は、その…、年上の方なのですか?」

「ん?どうしてそんな事を?」

「あ、いえ、なんとなくそう思ったもので」


「四歳年下ですよ」

「え?四歳も年下…、お若いのですね」

「ええ、いつまで経っても、少女のような人です」


 いつもは何を聞いても「そうか」や、用件のみの会話で終わる

惣一朗が、妻の話には意外にも素直に話し始めた。


 岡部は少し惣一朗の「妻」にも興味が湧いたが、

それよりも惣一朗の事がもっと知りたいと思い、さらに聞いてみた。


「よろしければ奥様のお話しを、伺ってもよろしいですか?」

「岡部軍曹は独身ですか?」

 少し不思議そうな顔をした惣一朗が、岡部の顔を見て言った。


「はい、恥ずかしながら…、田舎に母と妹達がおりますが、

妻はまだおりません」


「そうですが。妻は私にとって全てです。

 だから早く帰って彼女を安心させてあげたい。

 私が居なくなってずっと泣いているだろうから・・・・・」


 ・・・・・岡部は正直、驚きを隠せなかった。

 この時代、男が自分の胸の内をこうも易々と

他人にさらすものではない。ましてやこの高倉惣一朗という青年は、

勇ましい上に立ち姿は凛々しく、男の自分ですら惚れ惚れする程である。


 そしてまったく笑わず、どんな時でも感情を表に出さない冷静さを持ち、

今や二十二隊団全員の憧れの存在になっていた。


 そんな男が『全て』と言い切るほどに惚れる女性とは

一体どのような相手なのか、一度会ってみたいものだと岡部は思い、

ふと、惣一朗の横顔を見ながら思い付いた事を口にした。


「我々は少数ですから、他の隊と合流させてもらえるといいのですが」


 惣一朗はその思い付きを聞くとすぐに陣営に戻り、

早々に本部宛に嘆願書を出した。


 すると数日後、本部から近くにいる

『十八隊団』と合流させる事を検討するとの知らせが届いた。


 だが、知らせを持ってきた本部の兵士が惣一朗に

そっと耳打ちして帰って行った。


 それは十八隊団の指揮官は誰かれ構わず、農民を斬り、

また自分の部下も気に入らなければ、即処罰にするという、

気性の荒い持ち主だと言うのだ。


 きっと本部も手を焼いていたところに惣一朗の嘆願書が届き、

ちょうど良く面倒事を押し付けられた形になったのだろう。


 きっと初日に会った細田の様な男か。

 そんな奴の下に着くのは、熊の相手をするより達が悪い・・・・・。


 願わくば、幕末の志士の残党でないことを祈るのみだが・・・・・、

惣一朗は舌打ちをした。

 

 農民とて食うに困り、飢えて仕方なく盗むしかないのだ。

自分たちが精魂込めて作った作物を政府に押収され、

かつ税まで徴収されながら、働き盛りの男を兵としても徴兵されていく。


 残されるのは老人や、女子供だけの家も少なくないはずだ。

それでどうやって新政府は、農民に田畑を耕してゆけと言うのだ。


 これで一揆が起こらない訳がない。不満が爆発して当然なのだ。

しかも同じ人間として飢えて死ぬなどあってはならぬ事だ。


 惣一朗は己の幼少期と農民たちの苦しみが重なり、

飢えの苦しみがどれほど辛いものか身をもって知っていた。 


 だから自分たちの食料は、出来るだけ自分たちで確保しようと狩をし、

補給で得た食料は、農民に少しでも分けてやっていた。


 そんな惣一朗の気持ちを知ってか、二十二隊団の兵士達もいつしか皆、

率先して食料を調達し、また惣一朗の隊からにぎり飯をもらい、

罰せられずに帰された村人たちにより、

惣一朗の隊の噂は、徐々に広まりつつあった。

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