初デートは大好きなオムライス店で
翌朝。自然と目が覚めた寧々は、身体を起こして伸びをする。カーテンを開けて日の光を浴びればまどろんだ目も段々冴えてくる。気持ちのいい朝だ。
今日はどこに行こうかなとトーストを齧っていると、スマホに通知音が鳴った。伊織からだ。
【おはよう。今日時間あるならどこか行かへん?】
どこかってどこだ。そう言いたくなったが、今日は出かける予定だったので、伊織の誘いに乗るのもいいかもしれない。
『いいよ。どこに行く?』
【寧々ちゃんおすすめの場所がええなあ】
おすすめの場所がいいときた。一昨日出会ったばかりの人と出かけるなら、無難に食事に行くのが正解だろう。
『じゃあ、オムライスがおいしいお店がいいな。案内するよ』
【ほんま? せやなあ、十一時頃待ち合わせにしよか】
細かいことを決めて、駅で待ち合わせすることになった。
男友達と遊ぶのは大学生の時以来だ。服装に悩むがきらきらしい恰好をしていたら、何か勘違いでもされたらこちらも変な気持ちになる。あくまで友達なのだから、そこまで気負わなくてもいいだろう。
いつも通り化粧をして、髪もシニヨンにしてまとめる。
五月とはいえ最近は暑くなってきているので、半袖でいいか。カーディガンを羽織って、ジーンズタイプのミモレスカートを履く。靴は動きやすいようにハイカットのスニーカー。
時間が近づいてきたので、急いでバッグに荷物を詰める。最後に鍵を閉めて「行ってきます」と出てきた。
待ち合わせの時間まで十分以上早く着いてしまったが、遅刻するよりかはいいだろう。
「寧々ちゃん」
名前を呼ばれ振り返ると、ラフな恰好をした伊織がいた。相変わらずの美男子っぷりである。
「早く来てくれたんやね、おおきに」
「遅刻したくないからね」
「そういうことにしとこか」
そんな風に言っているくせに、伊織だって待ち合わせより早く来ているではないか。そう言おうと思ったが、口のうまい伊織に言ったとてどうせ言いくるめられるに違いない。
寧々は「はいはい」とだけ返した。
寧々のおすすめであるオムライスのおいしいお店は、友人に教えてもらったところなのだ。肉厚のハンバーグが乗っていて、卵がふわとろでとてもおいしかった。
教えてもらってから何度か通っているので、頭の中に地図は入っている。
世間話をしながら目的のオムライス店に辿り着いた。ここは知る人ぞ知る名店なので、日曜日ということもあり混雑しているようだ。
寧々と伊織は大人しく列に並んで待つことにした。
伊織とは出会って二日しか経っていないのに、会話のテンポがスムーズで間が空いたりしないのがすごいと思う。
「清水さんって面白いよね。やっぱり関西の人なんだなって思うし」
「別に生まれが関西やからって面白いとは限らんよ。寧々ちゃんと話すのが楽しいから、話が尽きないんよ」
これまたうまい返しに寧々は言葉が詰まる。どう返したものかと悩んでいると、にこっと微笑まれてしまった。
「清水さん、笑うと可愛いね」
「ほんま? 嬉しいわあ。でも、寧々ちゃんの方がもっとかわええよ」
気恥ずかしい言葉を自然と言える伊織がすごいのだと思うことにした。
男友達に可愛いと言われるのは素直に嬉しいが、言っている本人がこれまた美男子だから信じられない気持ちもある。自分のことを名前しか教えてくれない人だから、気構えてしまうのかもしれない。
「ねえ、清水さんはどうして自分のことを話さないの?」
「知らない方がミステリアスでかっこええと思わん?」
「時と場合によると思う」
「ということは、寧々ちゃんは俺のこと知りたいって思ってくれはるの?」
「そうだけど」
せっかく知り合ったのだから、相手のことを知りたいと思うのは普通ではないだろうか。
「嬉しいわあ。じゃあ、俺とデートしてくれたら俺のこと一つ教えたる。これでええ?」
「デート? なんで?」
「なんでもなにも、寧々ちゃんのことが気になるからや。寧々ちゃんも俺のこと気になるんやろ? それやったら、デートした方が楽しいやん」
「……清水さんって、遊び人?」
「なんでそうなるねん。寧々ちゃんだけやで」
こんなにかっこいい人から自分だけなんて言われたら、女の子は誰だってくらくらするに違いない。誠実だけど、そうじゃなさそうな伊織の言葉をどこまで信じていいのだろう。
寧々は振られたばかりで男の言葉を信用できなくなっていた。
無言になってしまった寧々を見て、伊織は何か考える仕草をした。
そして、寧々の考えていることにおおよその検討がついたらしく、「俺の言うことなんて信用できへんよな、ごめんね」と謝られてしまった。
「清水さんが悪いんじゃないの! これは、あくまで私の問題だから……」
「そうかもしれんけど、傷つけるつもりはなったのはほんまやで」
傷ついた女は誰かのぬくもりが欲しいのかもしれない。その実隙だらけだから、こんな風に優しい言葉をかけられると簡単に心が揺らぐ。ただの友達だと割り切らなくては。
「ありがとう。その気持ちだけで十分だよ」
「……ほんまに? 俺の言いたいこと、ちゃんと伝わってる?」
「大丈夫、伝わってます」
「それならええんやけど……」
なんだか微妙な空気が流れてしまったが、タイミングよく店員から声をかけられて伊織が対応してくれた。にこやかに微笑む伊織に、美人の女性店員さんは微笑みを返した。美男美女のやり取りはこうも絵になるのか。
なぜかちくりと心が痛んだのは、きっと気のせいだから。
こぢんまりとした小さな店構えだが、味は絶品なので文句なしである。二人座りのテーブル席に案内されて、寧々と伊織は腰を下ろした。
メニュー表は一つしかなかったので、二人で見るほかない。友達とはいえ、知り合ったばかりの男性と顔を寄せるのはなんだか気恥ずかしい。
「寧々ちゃんはどれがおすすめなん?」
近いところから声をかけられて、寧々はぼうっとしていたことに気づき慌てて謝罪した。
「ごめん、考え事してた。私のおすすめはね、このお店人気ナンバーワンのハンバーグオムライスかな」
「へえ、これかあ。おいしそうやねえ。寧々ちゃんはこれにするん?」
「うん、ここにきたら絶対これ頼むの」
「じゃあ、俺もこれにしよかな」
「ほかにもあるけど、これでいいの?」
「寧々ちゃんのお墨付きやん。せやから、これでええんよ」
にっこりと微笑まれると、なにも言い返せない。寧々は小さく頷いた。
伊織が店員を呼ぶと、先ほどの美人店員さんがオーダーを取りに来た。伊織はハンバーグオムライスを二つと、アイスティーを二つ頼んだ。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
「はい、お願いします」
伊織が笑顔を浮かべると、店員さんも営業スマイルなのか、とても可愛らしい笑みを浮かべてキッチンへと戻って行った。
それから程なくして、アイスティーが届く。
「ほな、乾杯しよか」
「ええ? 大げさじゃない?」
「ええやんええやん、こういうんは楽しんだもん勝ちやで」
人好きのする笑顔はいつものことだけれど、今日は自然な表情が見られている……ような気がする。
それならば、伊織の言うとおり楽しんだ方がいいだろう。
「分かった。じゃあ、乾杯!」
「乾杯」
少し暑い今日はアイスティーが沁みる。冷えていておいしい。
入店前は少し気まずかったが、伊織の持ち前の明るさでそれはいつの間にか霧散していた。
「ハンバーグオムライス二つです」
「おおきに」
「ありがとうございます」
それぞれの目の前に湯気の立ったお皿が並べられる。何度来てもおいしいと分かるその見た目も素晴らしい。
「私写真撮るから、清水さん先に食べていいよ」
「ええよ、待っとる」
「遠慮しないで、あたたかいうちに食べて?」
寧々は急いでスマホを取り出し写真を撮った。
すると、スマホの向こうでピースをしている伊織が写った。
「なあなあ、俺も一緒に撮って?」
笑顔を浮かべる伊織に寧々は弱いらしい。はいチーズと言って、伊織とハンバーグオムライスの写真を撮った。
「こんな感じ」
「お、ええやん。後で送ってや。ほら、寧々ちゃんもピースして」
「え?」
「俺だけ写真撮るのもおかしいやろ? せやから、寧々ちゃんも撮ったる」
伊織は自身のスマホを取り出してシャッターを切ろうとしている。振り回されつつあるが、楽しいという気持ちの方が強いので寧々はピースをして微笑みを浮かべた。
スマホを貸してもらい写真を見ると、ここ数日の中で一番の笑顔をしていた。
「ん、ええやん。後で写真送るわ」
「ありがとう」
「ほな、いただきます」
「いただきます」
スプーンで卵とご飯を掬って食べる。とろとろの卵とケチャップ味のご飯の相性は抜群だ。舌触りもいい。
次はハンバーグを食べる。和牛肉のぜいたくな肉汁がこれでもかというほど滲み出て来る。本当においしくて顔がとろけそうだ。
「むっちゃおいしい! 寧々ちゃん、ここ最高やんな!」
「でしょー? ここは本当においしいから、清水さんにも教えたかったんだ」
「おおきに。また今度来ような」
「もちろん!」
二人でおいしいハンバーグオムライスに舌鼓を打つ。最悪な週末は楽しい思い出で記憶を上書きすればいいのだ。
混雑しているので、食べ終わって少し休憩してから出ることにした。
「俺が払ってくるから、寧々ちゃん先にお店出ててええよ」
「分かった。自分の分は出すからちょっと待ってて」
財布からお金を取り出そうとすると、伊織から「俺が食事代出すから、寧々ちゃんは奢られといて」なんて言われてしまった。奢られるために来たわけではないし、友達なのだからお金のことはきちんとしておくべきた。
寧々がそう言うと、伊織は何度か瞬いた。
そして、「君はそういう子やったね」と言って、寧々の差し出したお金を受け取ってくれた。
「おおきに。ほな、レジ行ってくるわ」
「お願いします」
会計を任せて寧々は先に店を出た。
店前から伊織の様子を伺うと、なにやら店員さんと話をしている様子が見えた。
しかも、よくよく見れば相手はあの美人店員さんではないか。なにを話しているのか気になったが、きっとオムライスがおいしかったですよとかそんな世間話をしているのだと思うことにした。
しかし、期待は外れてしまった。
なぜならば、美人店員さんは伊織になにかを渡したからだ。女の勘があれは連絡先を渡しているのだと言っている。
なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして、寧々はくるりと踵をひるがえしてそっと離れた。店から少し離れた場所で待つことにした。
それから少し経って、伊織は出てきた。
「待たせてごめん、さあ、行こか」
何事もなかったかのように振る舞う伊織になんだかムカムカしてきた寧々は、つい「あの店員さんからなにかもらったんじゃないの?」と言ってしまった。
伊織は「見られてたか、ごめん」と言って苦笑を浮かべた。
「誤解しないでほしいから正直に言うわ。確かに連絡先を渡されたよ。でも、ちゃんと断って受け取ってないから安心して?」
「え? どうして……」
「どうしてって、寧々ちゃんとデートしとるのに、ほかの女の子にうつつを抜かすわけないやん」
思わぬ言葉を聞いて、寧々は固まる。男というのは綺麗な女の人に靡くものだと思っていたからだ。たとえ伊織が寧々のことを「可愛い」と言っても、それは伊織の口がうまいからそう言っているだけだとろくに相手にしていなかった。
それがそうではないのかもしれないと思い知らされて、寧々は身体がほてっていくのが嫌でも分かってしまった。
「……なんて言って断ったの」
「気になる? それやったら教えてあげる。俺、あの子とデートしとるんよ、堪忍ね。それは受け取れないから許したってやーってな」
「それって、さっき言ってたやつ……?」
──俺とデートしてくれたら俺のこと一つ教えたる。これでええ?──
──デート? なんで?──
──なんでもなにも、寧々ちゃんのことが気になるからや。寧々ちゃんも俺のこと気になるんやろ? それやったら、デートした方が楽しいやん──
それは、オムライスの行列に並んでいる時のことだった。寧々は本気にしていなかったが、どうやら伊織は本心からそう言っていたのだと気づき、寧々は戸惑う。
「どうして、そんな」
「気になるから。それじゃあ、あかん?」
顔を覗き込まれて気になるだなんて言われたら、赤くなっているだろう顔を隠すことはできないではないか。どうしてくれるのだ。
「あ、寧々ちゃん顔真っ赤。ふふ、やっぱりかわええ」
失恋したばかりでこんな魅力的な人に気になるだなんて言われたら、本気にしてしまうではないか。
本当に、どうしてくれるのだ。
「今日でデート一回目やね。寧々ちゃんは俺のなにを知りたいん?」
そういえば、デート一回につき伊織のことを教えてくれると言っていた。どぎまぎする心を宥めようにも難しいから、いっそのこと伊織のことだけを考えてしまえばいいのだ。
「清水さんはいくつなの?」
「三十一やで」
「私より三つ上なんだ。お仕事はなにしてるの?」
「それはまた今度やね」
本当に一つしか教えてくれないらしい。約束をきっちり守るのは好印象だが、どうにもやり方がずるい。
「分かった」
「分かってくれたん? 次のデート楽しみやわあ」
「その代わり、次はなにか奢ってもらうから」
「ええよ、楽しみにしとって?」
微笑むその顔はやはり美男子そのものだ。ああ、本当にずるい男につかまってしまったかもしれない。




