小説作家水川累の息抜き
皿洗いも終わり、テーブルもきれいに拭いた。
本当に休憩中らしい伊織にスランプについて聞いてみた。
「ねえ、スランプってどんななのか聞いてもいい?」
「ええよ。明日締切なんやけど、最後がどうしても納得いかなくて悩んでるんよ」
「ええ、明日締切なの!? ……その、ありきたりなことしか言えないけど、頑張って」
「おおきに。待ってくれている人もおるし、締切は間に合わせる。納得いくまでやってみるわ」
「うん。伊織さんならできるよ。家事とか私にできることならなんでもするから、遠慮なく言ってね」
「ほんま? なんでもしてくれるん?」
「私にできることならやるよ」
寧々が水川累のファンモードになっていることを察した伊織は、「そうやなあ」と間を置いた。そして、寧々の手を引っ張ってソファーへと腰を下ろす。
「膝枕してほしいんやけど、ええかな?」
伊織の方から甘えてくるのは珍しい。いつもは寧々を甘えさせる側なのに。
「うん、いいよ。横になって?」
「おおきに。三十分ほど寝かせてもらうわ」
「分かった。おやすみ」
「おやすみ……」
顔をよく見ると目の下にはクマがあり、寧々にはその疲れを気づかれないようにしていたことが分かり、胸が苦しくなる。隠してほしいわけじゃないから余計に辛い。
きっと、伊織なりの配慮なのだろう。それが嬉しいと思えないのは、恋人という特別な関係なのにごまかそうとする姿勢が見えるからだ。
伊織に我慢しないでと言ったところで、今こうして隠されているのだから届かないかもしれやい。それでも、伊織のそばにいて支えることができる権利がある寧々は、全力でサポートしたいと強く思った。
伊織の頭を優しく撫でる。むずがる仕草は可愛らしい。少しずつでいい、寧々を頼るということを覚えた伊織に配慮などがなくなって、全力で甘えてくれたらいいのだ。
そうやって支え合って、思いやりのある素敵な恋人同士になりたい。
「お疲れ様、今はゆっくり休んでね」
そっと伊織の頬に唇を落とした。
まったりとした時間が流れていると、なんだか寧々まで眠たくなってきた。ふわあとあくびが出て、ついうとうとしてしまう。今は眠っちゃだめなのに……。
「……、寧々」
「んん?」
「寧々、起きてや」
ぼんやりした頭で目の前の伊織を見ると、先ほどとは違いスッキリとしていた。どうやらきちんと眠ることができたらしい。
しかし、伊織に起こされたということは、寧々は眠ってしまっていたようだ。
「お仕事なのに眠ってすみません!」
「気にせんでええよ、おかげでよく眠れたし」
「でも……!」
「……そんなに気になるなら、もう一回キスして? ほっぺじゃなくて、ここに」
ここと言って寧々の唇に人差し指をちょんちょんとつついてきた。もう一回キスしてということは、まさか、起きていたということなのだろうか。
「……起きてた?」
「寝込みを襲うのはあかんよなあ?」
「そ、それは」
「せやから、寧々、キスして?」
背の高い伊織は、わざわざかがんでキスをせがむ。閉じられた目はまつげが影を差した。綺麗な顔だなあとのんきなことを考えていると「見過ぎ」と言われ、唇を奪われた。
唇を優しく食まれ、ちゅっちゅと音を鳴らしキスをされる。気持ちよくてふわふわしてきた。
「ん……。寧々、これ以上はあかん、シたくなってまう」
「……そうだね。でも、キス、気持ちいい」
「こら、そんなかわええこと言うたらあかん。歯止め効かなくなるやろ」
「うん、ごめん」
「お楽しみは取っておくから、執筆頑張ってくるわ」
「……それって、そういうこと?」
「ふふ、好きに受け取って?」
もう一度触れるだけのキスをして、伊織は寧々の頭を優しく撫でた。
「俺は続きやってくるから、寧々は家事をお願いするわ」
「はい、任されました」
「ん、ほな頑張ろか」
別室で執筆をする伊織を見送り、寧々は家事を再開する。
たまっている洗濯物を洗い、部屋は窓を開けて掃除機をかける。空気の入れ替えをすれば気持ちよくなるだろう。
浴槽も綺麗に洗い、ピカピカにする。伊織が浴槽に浸かりたいと言ったらすぐにお湯を入れられるようにしておいた。
冷蔵庫の中は調味料などは入っているが、食材がないので寂しい。どうするか考えるが、どちらにせよ家事を任されたのだから、買い物に行って食材を足すことにした。
「伊織さん、近所のスーパーに行ってくるね」
「助かるわ、頼むで」
家主の許可を得て、鍵を預かる。バッグを掴み寧々は家を出た。
スーパーに着き、鮮魚とお肉、野菜に果物を次々カゴに入れる。バランスのよい献立を考えなければ。ほかに必要そうな食材をカゴに入れたはいいが、けっこう重たくなってきたので買いすぎか悩む。
でも、寧々が今日買い物しておけば伊織は数日買い物に来なくて済むと考えると、やはり買っておいた方がいいという結論に至った。
伊織は仕事中だから、糖分はあった方がいいかもしれない。チョコレートとガムをカゴに入れ満足する。
お会計をすると一万円近くいってしまった。やはり買いすぎたかと思うが、これも伊織の生活をサポートするためなのだと思い直し、マンションまで帰る。
預かった鍵でエントランスを抜け、家まで帰ると伊織はまだ仕事中のようだった。「ただいま」と声をかけたら「おかえり」と返ってきたので、寧々は部屋をノックして開けてもらった。
「寧々、おかえり。どうしたん?」
「ただいま。伊織さん仕事してるから甘いものがいいかなと思ってチョコ買ってきたよ。はい、どうぞ」
「わざわざ俺のために? おおきに」
個包装になっている大袋タイプのチョコレートを伊織に渡した。ついでにガムもそっとつけておく。
「今から夜ご飯を作るから少し遅くなるけど、それでもいいかな?」
「遅くなるんは全然かまへんけど、寧々ずっと動きっぱなしやない? 休んでからでええよ」
伊織の言う通り、確かに寧々は家事をしていたので動きっぱなしだ。疲れがないと言えば嘘になる。これもきちんと依頼された仕事なのだから、おいそれと休むわけにはいかないのだ。
「水川累先生のご依頼だし、きちんと仕事を果たしたいの」
「そうはいっても、疲れとるんやろ? 寧々に仕事として依頼したけど、無理して欲しいわけやない。俺のことを想うなら、分かって欲しい」
こちらを労ってくれる伊織の優しさが心に沁みた。休んではいけないと思っていた固定概念がいとも簡単に崩れていく。支え合うと言っていたのに、これでは先が思いやられる。寧々は反省した。
「ありがとう、伊織さん。休んでから夜ご飯作るよ」
「うん、それでお願いします」
寧々は食材を冷蔵庫にしまってから、ソファーに横になった。ふかふかしており気持ちいい。三十分ほど休憩してから頑張ろう。
休憩も終わり、時刻は七時を回っていた。これから本格的なご飯を作るとなると、一時間はかかる。お昼ご飯を食べたのは一時過ぎだから、そろそろ伊織もお腹が空いてくる時間だろう。
冷やし中華の麺を買ってきておいてよかった。これならすぐに作れる。
まず、お鍋に水を入れて沸騰するまで待つ。その間にきゅうりとトマト、ハムを短冊切りにしておく。錦糸卵はないから、薄焼き卵にして代わりにしよう。
お鍋が沸騰したので、麺を入れてくっつかないよう混ぜながら茹でる。規定通り茹でたら水で締める。ほどよく冷たくなったら水を切りお皿に盛り付ける。
付属のタレをまんべんなくかけて、切っておいたきゅうり達をきれいに飾れば冷やし中華のできあがり。
わかめスープもささっと作り、テーブルに二人分の冷やし中華とスープを並べて完成だ。
「伊織さん、夜ご飯できたよー」
伊織を呼んで二人でテーブルを囲う。
「いただきます」
「いただきます」
冷やし中華は夏にこそ食べるものだと思う。季節は九月だが、残暑が残るから夏でいいのだ。
シャキシャキのきゅうりと新鮮なトマトは臭みがなくて食べやすい。錦糸卵の代わりに作った薄焼き卵もタレと絡んでおいしい。麺もほどよい硬さで茹でたのでコシがあり食べ応えがある。
「やっぱり冷やし中華はおいしいなあ。このスープもおいしい」
「よかった。時間も押してたし、そんなに時間がかからないものにしたんだ」
「そうなんやね。ほんまにおいしいよ、おおきに」
伊織は普段自炊する人だから、作り手の手間を理解してくれるのが本当にありがたい。相手のことを思いやれる伊織の優しさが好きだ。
夜ご飯も食べ終わり、お昼の時と同じように二人で後片付けをする。すぐに片付けると後で嫌にならないからちょうどいい。
こうして一緒に肩を並べて家事をしていると、同棲しているような感じがして面映い。隣を見上げれば伊織が穏やかな表情をして皿の水気を拭いているのだから、なんだか面白くも見える。
「なんや?」
「ううん、なんでもない」
「ええ? 気になるやん」
「……笑わない?」
「笑わへん」
「……その、なんだか同棲してるみたいだなーって思っただけだよ」
寧々の言葉を聞いて、伊織は瞬いた。
そして、皿を置きがしりと腕を掴んでくる。
「それや」




