京都旅行二日目
次の日の朝。カーテンの隙間からこぼれる朝日で目が覚めた寧々は、身体を起こそうとするが何かに阻まれて起きれなかった。何かと思い下を見ると、男性らしくもしなやかな腕が寧々に巻き付いていた。伊織である。
どうして同じベッドで寝ているのか考えて、寧々は昨晩のことを思い出し真っ赤になった。やっと重なった気持ちは心だけではなく身体まで満たされたのだ。
幸せすぎて悶えていると、伊織が身じろぎし始めた。
「んう……」
鼻から抜けるような低音の声に、昨晩の情事を思い出してぞくぞくする。
ちらりと伊織を見ると、どうやら彼も起きたようで「おはよう、寧々」と見たことがないくらいとろけた甘い表情で、朝のあいさつをしてくれた。
「お、おはよう」
「今何時?」
「まだ六時だよ」
「ほな、二度寝しよ。八時頃に起きて、一緒に朝食食べよう……」
伊織はぐいと寧々を抱き寄せて、腕の中に閉じ込める。服越しにあたたかい人の体温を感じ、まどろみが夢の中へと誘う。
寧々はゆるゆると瞼を閉じて、再び夢の世界へと飛び立つ。
心地よく眠っているのに、名前を呼ばれ寧々は「なあに?」と答えた。
すると、大好きな人の声で「もう起きる時間やで」と返ってきた。この声は伊織だ。どうして朝から伊織に起こされるのだろう。
「寧々、そろそろ起きんと朝食逃すで」
「それはだめ!」
寧々はぱちりと目が覚めた。ご飯を食べ損ねるのは嫌だという想いが強くて夢の世界から現実へと引き戻された。
「おはよう、寧々」
「清水さん……? なんで私のベッドに……」
「なんや、昨晩はあんなに伊織って言うてくれたのに、いけずやなあ。寧々はもう忘れたん?」
「え?」
寧々は伊織に言われた言葉を頭の中で反芻する。
昨晩、ようやく好きな人と男女交際に至った。その後はお誂え向きの展開を迎えたのだ。
そして、寧々は自分に置かれた状況をやっと理解した。
「わああああ!」
そんな寧々の様子を見て、伊織は楽しそうにくすくす笑った。二人の朝はこうして賑やかに始まったのだ。
「もう、普通に起こしてくれたらいいのに」
「悪いと思っても、かわええ反応する寧々が見たくて、つい」
「それ、絶対悪いと思ってないやつだよね」
「ははは」
「ほら!」
ビュッフェスタイルの朝食で、朝から豪華に食事をする寧々は少々ふてくされていた。それを面白おかしく見ているのは伊織だ。
寧々はやはり面白くなくて、朝食に専念することにした。まずは、取ってきた卵焼きを食べる。
「あ、この卵焼きおいしい」
「ほんまや、おいしいなあ」
伊織もおなじものを取ってきたようで、寧々同様にぱくりと口に含んだ。おいしいものをこうして共有できるのは嬉しい。
朝から怒ってばかりだと、楽しいものも半減する。寧々は楽しい時間の方が好きだ。
だから、それもおしまいにしよう。
「おみそ汁もあたたまるね」
寧々は伊織に笑いかけた。それでもう怒っていないことを察した伊織は柔らかな笑みを返す。
「夏に熱いものもなかなか乙やね」
「うん、そう思う」
先日岩澤と食べたうどんとラーメンを思い出す。夏は熱いものを避けがちだが、敢えて食べることによってうまみを感じるものなのだ。
京都二日目も観光することになった。昨日は移動時間があまりなかったこともあったので、今日は行きたいところを徹底的に攻める。
寧々は久しぶりに金閣寺に行きたかったこともあり、そこからスタートした。コースとしては、妙心寺、仁和寺、龍安寺、金閣寺の順で回る予定だ。
電車で移動し花園駅で降りる。歩いて五分ほどで妙心寺に着いた。
妙心寺は雲龍図で有名なお寺だ。八方睨みという、どの角度から見てもこちらと目が合う龍を見られる天井は、迫力があってすごいのだ。
見張りの意味や修行者を見届けるという意味が込められているのだそうだ。
次は仁和寺へと向かう。
仁和寺は世界遺産に登録されており、日本の文化が世界に発信されていることがすごいと寧々は思う。
仁和寺といえば有名なのが五重の塔だろう。そびえ立つ建物は、ここにあるのだと主張しているようで緊張感が漂う。
御室桜が名勝の仁和寺は、桜の歌が詠まれるほど美しいのだそうだ。今は夏なので桜の花は散っているが、いつか咲き誇る御室桜を見てみたい。
それからしばらく歩いて龍安寺に着いた。
龍安寺といえば、十五個の石が並ぶ石庭が有名だ。どこから見ても一つだけ見ることのできない庭として知られているが、特定の場所で見ると全ての石を見ることができるのだ。
寧々と伊織は特定の場所をネットで検索し、そこでは十五石全ての石を見ることができたので満足する。
そして、最後は待ちに待った金閣寺だ。
通称金閣寺と呼ばれ、正式名称は鹿苑寺。黄金で包まれたその佇まいは美しさに圧倒される。冬になると白銀の世界に覆われた金閣寺は、それはそれは美しいのだそうだ。
絵馬があったので、二人は今日の記念に書き残すことにした。
寧々と伊織は無病息災を心から願い、いつの日か再び訪れることができるよう、そう願いを込めて書き連ねた。
移動ばかりの行程はさすがに疲れる。
観光名所だけあって、お団子屋さんや小売店などがあったおかげで食べ歩きをしたせいか、そこそこお腹は満たされていた。
時刻もとうに昼を過ぎており、二時を回っていたし朝食をしっかり食べておいてよかった。
今日は夕方の新幹線で帰るので、昨日は食べられなかった駅弁を買うことにした。
京都駅に戻ってきた二人は、昨日宿泊したホテルからスーツケースを受け取って、駅構内でお土産を見繕う。
旅代は伊織持ちだがお土産代は寧々持ちなので、昨日からごちそうになりっぱなしの寧々はようやく財布を使えることにウキウキした。
仕事をしている社会人なので、何から何までごちそうになるのはやはり気が引けた。寧々は京都ならではのお土産をたくさん購入することにしたのだ。
「まずは生八ツ橋ね」
「定番やね」
「伊織さんは何味がいい?」
「俺はノーマルがええかな」
「ノーマルね。あとは、季節限定の夏みかんがおいしそう! 伊織さんの分も買っておくね」
「おおきに」
この京都旅行で二人の関係は大いに変化した。昨日までは友達だったが、昨日で恋人になったのだ。昨日は遠慮されていたが、今日の伊織はそうでもない。それが嬉しくて、寧々は必要となりそうなものを買い物かごに入れていった。
その結果、五千円を軽く超えてしまったが後悔はない。
新幹線の中で食べるお弁当も二つ購入し、寧々は満足して買い物を終えた。
帰りの新幹線はさすがに疲れて眠ってしまった。それは伊織も同じだったようで、目が覚めると身体の右側に重みがあった。以前の伊織なら、寧々に遠慮してもたれかかってこなかっただろう。些細な変化が嬉しくて、寧々は頭を預け再び眠りについた。
東京駅に着き、長旅の疲れがどっと押し寄せた。二日間ずっと歩き回っていたので、足が棒のようである。スーツケースを持ち歩いているので、これが邪魔で仕方ない。
この後はどうやって帰るか考えるが、どう考えても電車に乗って帰るしかないので少しゆううつである。
そんな風に悩んでいたら「寧々、こっち」と伊織に呼ばれ駅を出ると、伊織が既にタクシーを呼んでいたらしく、あれよあれよという間にタクシーに乗せられていた。
「伊織さん、準備よすぎない?」
「旅行って楽しいけどなんやかんやで疲れるやん? せやから、帰りはタクシー呼んだ方がええなおもたんよ」
「私の彼氏が頼もしすぎる」
「ふふ、そうやろ? 寧々はもっと俺に頼り」
「……うん、ありがとう」
二十分ほど走ったところで寧々の家に着いた。伊織が荷物を持ってくれたおかげで、寧々は鍵を開けるまで手持ちバッグしか持たずに済んだ。
「寧々、また今度な」
伊織は寧々の頬を指の背で撫でる。くすぐったくて気持ちいい。そっと離れていくその指が名残惜しい。
「またね」
「名残惜しくなるから、はようちに入り」
「うん」
寧々は玄関のドアを開けて家の中に入る。締め切る前にばいばいと手を振ると、伊織も同じように返してくれた。
鍵を閉めると伊織の靴音で遠ざかるのが分かった。タクシーに戻ったのだろう、車のエンジン音が聞こえこちらも音が遠ざかる。
寧々は靴を脱いで家の中に上がった。
楽しかった京都旅行は、楽しいものだけで終わらなかった。理沙という伊織の元恋人の話を聞いた時は胸が苦しくなった。伊織に結婚の約束をしていた女性がいたことなんて考えもしなかったし、その女性が亡くなっていたことも知らなかった。
それでも、あの秘密主義の伊織が寧々と真剣に交際を考えたからこそ、過去を教えてくれたのだ。それは素直に嬉しいと思える。
理沙に対する気持ちは複雑だが、それもきっと時間が経てば気持ちに変化が訪れるだろう。伊織の感情が恋愛から親愛に変わったように。
だから、今はまだやきもちをやいても許されるだろう。




