ゆびきりげんまん
バッグにしまったところまではいいのだが、お昼を食べていなかった寧々はタイミング悪くお腹の音が鳴ってしまった。
真隣にいる伊織に聞かれてしまったのではないかとおそるおそる確認すると「俺もお腹空いてるんよ。寧々ちゃんのために何かつくろか?」と言われた。悲しいことに、好きな人にお腹の鳴る音を聞かれてしまったのである。
でも、好きな人に料理を作ってもらうというエピソードは、なかなかいいシチュエーションではないだろうか。
「清水さんは普段料理するの?」
「けっこう自炊する方やで。せやから、味は保証したる」
自信満々にそう言う伊織がなんだか可愛くて、ここは好意を受け取ることにした。
「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「はい」
「何を作ってくれるの?」
「そうやなあ、カルボナーラでどうや?」
「私パスタ好きだから嬉しい!」
「ほんま? ほな、腕によりをかけて作ったる」
伊織が作ってくれている間暇になってしまった寧々は、先ほど丁寧にしまった小説を取り出して読み直すことにした。
既に一度読み終わっているが、また読み直すことによって前回気づかなかった点などが見えてくるのが面白くていい。
キッチンの方からいいにおいがしてきた。こうして誰かにご飯を作ってもらうのは久しぶりのことなので、心があたたまる。
「寧々ちゃん、できたでー」
お皿に盛られたカルボナーラを見て、空腹感が刺激された。
「おいしそう!」
「そうやろ? 実際おいしいねん」
「すごい自信! でも、本当においしそうだよ」
「そうなんよ。食べてみてや」
テーブルに置かれたカルボナーラは、お店で売られているような出来栄えだった。ご丁寧にコンソメスープまで付けてくれたようだ。
向かい合うようにして椅子に座り「いただきます」と手を合わせる。
フォークで軽く巻くとチーズが絡んでくる。口に含み咀嚼すると、クリーミーな味わいとチーズが混ざり合いとてもおいしい。ブラックペッパーがいいアクセントになっている。
「うん、おいしい! 清水さん、すごくおいしいよ!」
「よかった。寧々ちゃんが喜んでくれて、俺も嬉しい」
寧々の感想を聞いてから、伊織は食べ始めた。
二人で談笑しながら食べていると、器はあっという間に空になりお腹はだいぶ満たされた。満腹である。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
「ごちそうになったし、片付け手伝うよ」
「気にせんでええよ。寧々ちゃんはお客さんなんやから」
「でも……」
「ええから。お昼時に呼んだのは俺やし、寧々ちゃんはゆっくりしとって」
今日はおもてなしされる日のようだ。それなら、好意を無碍にするのはよくないだろう。
寧々はもう一度「ごちそうさまでした、ありがとう」とお礼を言い、この場はゆっくりさせてもらうことにした。
時刻は三時を回ったところだ。ランチにしては遅いものになったが、今日は日曜日だし時間に捉われることのない自由な時間の使い方は至福の時である。
お腹いっぱいになったところで段々眠くなってきた寧々は、睡魔と格闘しながらなんとか目を開けようとした。
しかし、午後のまったりとした感覚には抗えない。ソファーに移動して背もたれに体重を預けて瞼を閉じる。それからすぐに寧々は眠ってしまった。
目が覚めると部屋は常夜灯の明るさになっており、完全な暗闇でないことから伊織の配慮を感じて心があたたかくなる。
どうやら伊織宅の立派なソファーに寝転がせてもらっていたようだ。ご丁寧に枕まで使わせてもらっている。
だが、この枕はほのかにあたたかく、ふかふかソファーにしてはやや固い。まだ寝ぼけているのかと枕を触っていると、頭上から「くすぐったいわ、寧々ちゃん」と甘くて低い声が降ってきた。
「……え?」
「なんや、寝ぼけてるん? ふふ、かわええね」
顔を覗き込まれて、寧々はようやく覚醒した。
「し、清水さん!?」
「はい、清水やで」
「な、なんで、膝枕……!」
「なんでって、俺が戻ってきたら寧々ちゃんは寝とるし、暇やなあおもて隣に座ったらもたれかかってきたんやで? 起こすのも可哀想やし、寝かせたろって」
あっけらかんと言う伊織に、寧々はある意味感心してしまった。いくら友達とはいえ、膝にのってきたらどかすか移動するかのどちらかではないだろうか。
どれくらい寝させてもらったのか分からないし、よだれを垂らしていないかなど、気になることがたくさんある。一応口元をごしごし擦っておいた。
それを見ていた伊織は、寧々のいじらしさに思わず笑ってしまった。
「もう! 笑うことないでしょ!」
「すまん、えらいかわいらしくて」
「か、かわいい!?」
「そうやで、寧々ちゃんはかわええよ」
面と向かってかわいいと言われたのは、いったいいつ以来だろうか。少なくとも、元恋人の拓也からはそんな風に言われたことがなかったなと頭の片隅で思い出した。
黙ってしまった寧々を不思議に思った伊織は電気をつけて「どうしたん?」と優しく声をかけてくれた。
「ううん、なんでもない。ちょっと嫌なことを思い出しただけ」
「かわええ言われて嫌なことを思い出したん? なんやそれ、寧々ちゃん大丈夫なん?」
「うん、大丈夫だよ。ただ、元彼の拓也は私のことかわいいって言ってくれなかったなーって」
「なんや、ほんまに嫌な男やね。そんな男さっさと忘れた方がええよ」
不愉快さを隠さずに、伊織は眉根をひそめた。ミステリアスで秘密主義の伊織だが、きちんとした考えをもっている倫理観のちゃんとした人なので、不誠実な拓也のことを嫌っているのがありありと伝わってきた。
「……寧々ちゃんは、まだ元彼くんのこと好きなん?」
そっと伺うようにして、伊織は聞いてきた。
どうしてそのようなことを気にするのだろう。そんなこと言われたら、嫌でも期待してしまう。
「そんなことないよ! そりゃあ振られた時は悲しかったけど、今は憎さの方が勝ってるし……。私の中では過去の出来事だから、もう大丈夫だよ」
「……ほんまに?」
「うん、本当」
「それならよかった」
よかったとはどういう意味でよかったのだろうか。聞いてもまたはぐらかされそうで、聞くに聞けない。
寧々は曖昧に笑ってその場をごまかすことにした。
時刻はいつの間にか五時になっており、伊織が車で送ってくれるそうなので、今日何度目か分からない好意に甘えさせていただくことにした。
寧々は地図アプリで自分の住所を登録して、それを伊織のスマホに送った。
助手席に座り、隣で運転する伊織をちらりと見る。運転している姿も様になっており、美男子は何をしていても絵になるのだなとくだらないことを考えていた。
伊織は車内でも寧々が飽きないよう話を振ってくれるし、そういう間の取り方が本当にうまいと思う。
車に乗ること約二十分、寧々の住むアパートの前に到着した。送ってもらうのは楽でいいが、ずっとそばにいる分別れ際が寂しい。
寧々は車を降りて、伊織に礼を言う。
「清水さん、家まで送ってくれてありがとう。それと、今日も楽しかったよ。秘密のあれも、すごく嬉しい。大事にするね」
秘密のあれとは水川類のサイン本のことである。この世に二つとない、寧々の大切な宝物。
「寧々ちゃんが喜んでくれはったのならよかった。近いうちにまた今度会おうな。約束」
伊織も車からわざわざ降りて、小指を出してきた。ゆびきりげんまんしようということらしい。
寧々も小指を出して、指を絡める。
「ゆーびきーりげんまーんうーそつーいたらはーりせーんぼんのーます、指切った」
「約束。俺のこと忘れとって」
「……うん。忘れない」
小指が離れていく。寧々は名残惜しい気持ちになるが、次に会う約束をしたのでもう寂しくはない。
「またね、清水さん」
「またな、寧々ちゃん」
二人は手を振ってお別れの挨拶をする。伊織に背中を向けて歩き出す。もう一度伊織の顔が見たくなって、寧々は後ろを振り返る。そこには寧々のことを見送る伊織の姿があり、なんだかくすぐったくなる。視線が絡み、自然と手を振る。
伊織が口パクで何かを言っているようだ。よく見て言葉を考える。
──はようちに入り──
そう言っているのが分かり、寧々はぺこりとお辞儀をして今度こそ家の中に入った。
車のエンジン音が聞こえる。それは来た時と真反対の方に響いたので、伊織も帰宅したのだろう。
寧々はスマホを取り出しメッセージアプリで今日のお礼を伊織に伝えた。
そういえば、せっかく手作りご飯をごちそうになったというのに、写真を撮り損ねたらことを思い出した。もったいないことをしたなと思うが、またこういう機会があることを考えて次回に取っておくことにした。
楽しみは多い方がきっといいから。




