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ストーカー・オリジン4

「明日は、雨が降りそうだ」

 屋上で一人、空の雲を見上げながら、俺はそう呟いた。

 ――――蝶野さんと掲示板上で会話を果たしたあの日から、一週間が経過した。

 少し気を抜くと、俺はあの日の事をつい思い出してしまう。

 蝶野さんが清原に思いを伝え、清原がそれに頷いたあの日の事を。

 何のイレギュラーも起きずに、恐ろしい程あっさりカップル成立を果たしたあの日の事を。

「また、やり直したい過去が増えてしまった…………」

 もしも、通り魔が蝶野さんを襲った際に、俺が一歩を踏み出せていたら。

 もしも、電車の中で、悩んでいる蝶野さんに直接声を掛けられていたら。

 そしたら、今はまた違った形になっていたはずだ。

「はあ」

 俺の心には、また一つ、穴が開いてしまった。

 だから俺は、それを埋めるため、今日も今日とて、向かい校舎の窓に映る蝶野さんに向かってデジカメのレンズを向ける。

「へへへ」

 不思議だ。蝶野さんは廊下を歩いているだけなのに、異様なまでに絵になる。

 まさに、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花といったところか。

「――――何してるんだろ」

 レンズの倍率を上げ彼女を観察していると、蝶野さんは一階の渡り廊下にある自販機で何本もの飲み物を買っていた。

 蝶野さんは買ったそれらを鞄につめ、どこかへ向かって行く。

「……行くか」

 俺は、遠距離からの盗撮をやめ、いつも通りのストーキングをするべく、蝶野さんの下へ向かう事にした。

 蝶野さんがいつもとは違う行動をとっている、それだけで俺にとっては彼女を追う理由になるのだ。

「この辺に居たらいいんだが……」

 俺は蝶野さんの歩く速度などを考慮しつつ、完全に勘を頼りに、校舎を練り回った。

 すると幸い、教室へと入って行く蝶野さんの姿を発見した。

 俺は身長に歩み寄り、蝶野さんが入っていた教室の扉に寄りかかって座り、僅かに扉を開いて、仲の状況に聞き耳を立てた。

「悪いな、蝶野」

「いいんだよ。じゃんけんで負けたんだし」

 中からは、少なくとも五人ほどの声が聞こえてきて、和気あいあいと何気ない会話をしていた。

 蝶野さんは、大変人当たりが良く皆から好かれているが、特定の誰かと特段仲良くしている所はあまり見ないため、今日みたいに、放課後に仲良しグループで集まってだべっているのはかなり珍しい。

「テスト勉強、どんな感じ――――」

 男女比は恐らく半々、はきはきした喋り声から、スクールカースト上位の方々であることは何となく察しがついた。

「そういえばさ、みんな知ってる?」

 グループの中の、一人の男が突然そう切り出した。

「隣のクラスに居るストーカー野郎さ、また誰かのストーカーをしてるんじゃないかって噂があるんだよ」

 その話を聞いて、俺の心臓が跳ね上がった。

 驚きのあまり声が出そうになるが、俺は間一髪で口を手で塞いでこらえる。

「マジ?」

「マジまじ。あいつの最寄り駅、結構遠いとこなのに、全く関係ない駅での目撃証言が結構出てんだとさ」

「またやってんだ、あいつ。えっと……あいつ名前何だったっけ」

「さあ、俺も覚えてない」

 どうやら、中に居る集団は全員俺の事を知っているらしい。誰も名前は憶えていないらしいが、まあ、そんなものだろう。

「――――なあさ、みんなであいつ、いじめね?」

 突然、俺の話をしだした男が、そう切り出した。

「あいつが学校に居たら、迷惑じゃん?」

「確かに、次はあたしらがストーカーさされるかもしれないし」

「はるほど、正義の行いとして、いじめをするのか」

 俺をいじめる提案に異を唱える者は一人も居ない。

 まあ、そうなるだろうな。

 俺は自分を客観的に見ることが出来る。だから、あの男たちが言っている事も納得できてしまう。

 けれど――――。

「バカなこと言っちゃダメだよ」

 教室の中で、そんな声が響いた。

 その声は、蝶野さんのものだった。

 それを聞いた俺は、大きく目を見開く。

「あの人は確かに良くない事をしてるかもしれないけど、傷つけるのはダメ」

「ど、どうして?」

「だって、彼は誰も傷つけてないもん」

 俺は声しか聴いていないから、中がどういう状況なのかは分からない。

 でも、何だか俺は、心が大きく揺れるような衝撃を受けた。

「いやいや、あいつはストーカーしてるんだろ?」

「そうだ。それに、女の鞄に盗聴器を仕掛けたって言う噂もあるぜ」

「噂は噂でしょ? 少なくとも私は、特定の誰かが実際に盗聴の被害にあったり、襲われたりしたって事実は聞いてないよ」

「でも、隠れて裏でやってるかもだろ?」

「確かにそうかもしれないけど、被害の声が上がってないなら、直接的に誰かを傷つけた確証がある訳じゃ無いよね?」

 和気あいあいとした空気はとっくに消え去っており、状況はすでに、口論にまで発展している。

「後をつけ回して、その結果誰かが迷惑だと感じているのなら、それは問題だと思う。でも彼は、後はつけ回しているのかもしれないけど、誰にも何も迷惑はかけていない。確かに彼は、良くない事をしていたのかもしれない。でも、罰を受けるべきことはしていないと私は思う」

凛とした声で蝶野さんは言い放つ。

 珍しく少し怒っている様子が、声だけでもうかがえる。

「でもあいつは、いつか絶対誰かを傷つけるよ? なら、今のうちに成敗しとくべきなんじゃないの?」

「――――そう。皆はそういう考えなんだ」

 蝶野さんの声は、いまだかつてない程、冷たかった。

「少なくとも私は、将来誰かを傷つけるかもしれないからって、まだ誰も傷つけてない人を傷つけることは出来ないかな」

 蝶野さんの声がこちらへ近づいて来る。

 ひょっとしたら、扉から出てこようとしているのかもしれない。

 俺は急いで、近くのトイレがある曲がり角に身を隠した。

 すると少しして、扉を力強く開ける音がした。

 蝶野さんが教室から出ていく足音がする。そしてその足音は、こちらへ向かって来た。

「あ――――」

 俺と蝶野さんの目が合う。

 靴箱とは別方向の曲がり角だったから、完全に油断していた。

「ここで何してるの? もしかして…………聞いてた?」

 俺と蝶野さんに面識はない。だから、これが初めての会話だ。

「え、えっと、蝶野さん……だよね? 一体何のことかな? 俺はただ、今日はお腹の調子が良くなくてトイレに籠ってたんだ」

 多少苦しいが、トイレはすぐ真横にあるし、位置的に不自然ではない。

「ただ、またお腹が痛くなってきたから、少しだけ壁に寄りかかってたんだよ」

「ああ、そうなんだ」

 どうやら、一応疑わずに納得してくれたらしい。

 蝶野さんが、人の良い性格で助かった。

「もしよかったらさ、自販機にでも一緒に行かない? お腹が痛いなら、温かい飲み物でも奢るよ? 私も丁度、飲み終えたペットボトル捨てに行こうと思っててさ」

 そう言い、蝶野さんは空になったサイダーのペットボトルを俺に見せて来た。

 蝶野さんは一貫して俺を擁護してくれていたが、それでも、俺に対して多少の罪悪感があるのかもしれない。

「え、い、いいよ。奢ってもらえるような何かをした訳じゃ無いし。それに――――」

「それに?」

 俺は、彼氏が居るのだから、他の男に優しくするべきでは無いと、そう言いそうになったが、寸前でどうにか言葉を止めた。

 蝶野さんと清原は、交際関係になっている事を明かしていない可能性がある。だから、ここで彼氏の存在を知っていると読み取れる発言をするのは、場合によってはストーカーをしている事を明かしてしまうのと同義になってしまうからだ。

「い、いや、何でもない。とにかく、遠慮しとくよ」

「そっか……」

 俺が拒否すると、蝶野さんはすんなり折れてくれた。

 俺達の間に、気まずい沈黙が流れる。

「もしかしてさ――――」

 そんな沈黙を、蝶野さんが破った。

「掲示板で優しくしてくれたのって、君?」

 俺はそんな言葉を聞いて、固まってしまう。

 蝶野さんはきっと、ストーカーと言う共通点から、俺だと断定しているのだろう。

 俺の脳内で、いくつもの自分たちが、会議を開始した。

 ここで、その事実を肯定するべきか否かを。

「…………何のことかな? 多分、違う人だよ」

「――そっか」

 蝶野さんは僅かに寂しそうな表情を浮かべる。

 そして、俺に手を振って、階段を下って行った。

「俺のチキン野郎…………」

 俺はその後、本当にトイレに引きこもった。

 頭の中では、さっきの言葉を肯定しようと結論を出したのに、口から出たのは違う言葉だったからだ。

 俺はいつだって、蝶野さんと仲を深められたら良いのにと、そう願っていた

 でも、いざそう言う状況になると、一歩を踏み出せなかった。

 俺はどこまで行っても、臆病なストーカー野郎だ――――。

 その後、軽く数時間はトイレの中で苦しみ、完全下校時刻が近づいて、見回りの教師が来る直前になって、俺はようやく外へ出た。

 トイレから出ると、廊下はすでに薄暗くなっていた。

 俺は急いで靴箱までの道を進もうとする。

「アレ、何だ……?」

だがその途中で、廊下に何かが落ちているのを、俺は発見した。

「栞か?」

 そこには、青色の蝶が書かれている、小さな栞のような紙が落ちていた。

 俺はその紙をかがんで拾い上げる。

「この模様って……」

 俺はこの模様に見覚えがある。

 これは、蝶野さんがいつも片耳にだけ付けている、風鈴の耳飾りがぶら下げている短冊と、同じ模様だ。

 でも、彼女がいつも付けている耳飾りの短冊は、赤色だった。だからこれは、少なくとも蝶野さんのものでは無いと思う。

「――お揃い、か」

 俺が蝶野さんと同じものを持っている。その響きが妙に気持ちが良かった。

でも、紙切れ一枚とはいえ、盗む訳にはいかない。

だから俺はそれを一旦拾って、鞄の奥深くへ入れる。

今日はもう遅い。明日になったら、職員室へ持っていくとしよう。

鞄のチャックを閉じ、俺は再び靴箱への道を歩き始めた。


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