ストーカー・オリジン3
蝶野さんは人気者だ。
その明るい性格から、校内でも友達の多さがトップクラスであることは間違いない。
ただ、蝶野さんは今日も帰りは一人で電車に乗っている。
それはきっと、蝶野さんは人とつるむのも好きだけれど、一人でいる事も割と好きであるという事の表れなのだろう。
電車の中、俺は蝶野さんが座っている座席の目の前のつり革を掴んだ。
俺も、本当に大胆になったものだよな――――。
目の前でスマホを触りながら座っている蝶野さんを見て、俺はしみじみ思う。
少し前だったら、ストーキングをするのに、こんなに近づいたことなどなかった。
常に遠くから見守って、よっぽどのことが無いと近づきはしなかった。
でもここ最近は、自分でもマズいと思ってしまうくらいには、蝶野さんとの距離を詰めてしまっている。
こうなったのは、あの男――清原が現れてからだ。
清原が現れてから、俺の中にもきっと、焦りや嫉妬が芽生えてしまったのだろう。
そんな感情を覚えたって、どうせ叶わないのだから意味など無いのに…………。
……こんなにも大胆に近づき続けると、流石に違和感を持たれてしまうのではないか。
そう思ったけれど、要らぬ心配だった。
蝶野さんは、俺のストーキングに気づく気配は一切ない。
きっとそれだけ、俺に興味がないという事なのだろう。
「あのサイト……」
俺は、窓の反射に目を凝らして、蝶野さんのスマホの画面を覗き見ながら呟いた。
若干ぼやけて良くは見えないが、蝶野さんが開いているのは、学校の裏掲示板だ。
学校のいわゆる表掲示板は保護者などが利用する高校公認のもの。それに対して裏掲示板は、生徒のみが主に利用する、非公認の掲示板だ。
とはいえ、今時の若者はメッセージアプリなどでやり取りをするのが普通だから、掲示板などもう時代遅れの産物で、使っている者など全くおらず、大多数がその存在すら認識していないだろう。
俺が入学当初に興味本位で開いた際には、最新の書き込みが七年前のものだった。
蝶野さんはそんなものを開いて何をしていたのだろう。
俺も、蝶野さんが開いている学校の裏掲示板を開いてみることにした。
読み込みが終わり、画面が表示されると、無数の言葉が表示された。
そして、今もなお、次々に新しい書き込みが増えていく。
掲示板は匿名性だから、誰が書いているかまでは分からないが、ユーザー名である九桁の番号が全ての書き込みにおいて同じであったことから、それらを同一人物が行っているということだけは分かる。
俺は、それら無数の文字列を読み進めて行った。
『今日も彼に話しかけられなかった』
『本当に、何をやっているのだろう』
『マヌケ。大マヌケ』
『消えてなくなりたい』
『私って、なんでこんなに何にもできないんだろ』
『死にたい。死んでしまえ』
その後も、そんなドス黒い文章が、永遠に続いていた。
とてもじゃないが、蝶野さんが書き込んでいるようには思えない内容の言葉たち。
でも、こんな廃れきった掲示板を開く者が二人以上いるとは思えない。
この言葉たちは全て、蝶野さんの独り言なのだ。
『本当にヤダ……』
『なんで恋なんてしちゃったんだろ』
『話しかけれもしない私なんかじゃ、絶対に無理なのに』
『私みたいに重い女、誰も好きになってくれるはず無いのに』
『私のバカ、バカバカバカ』
『しんどい』
『私なんて、生きてる価値ない』
…………俺には、理解できなかった。
どうして、蝶野さんほどの人物が、こんなにも自分を卑下しているのかが。
でも、改めて蝶野さんに目を向けてみると、彼女のスマホを見つめる曇った瞳と、中身のないブレザーの右腕が目に入った。
「そっか……」
蝶野さんは、字を書くのが下手な子だ。
読み取れないという程酷くはないけれど、乱雑でズタズタな字を書く。
ただそれは、彼女が不器用だとか、そう言う訳では決してない。
蝶野さんが字を書くのが下手なのは、本来の利き腕である、右腕を失ったから。
彼女が劣等感を抱く理由が、俺にはよく分からなかった。
でも、靴ひもを結べないからマジックテープの靴を履き、ボタンを閉めるのが大変だからブレザーを羽織るように着ている今の姿を見ると、彼女がなぜ苦しんでいるのか、どれほど苦しんでいるのか、気が付いてしまった。
今まで散々見て来たのに、その事に気が付かなかった自分に腹が立ったほどに。
だから、俺は彼女に、何か言葉を掛けてあげたくなった。
俺は口を開いて、声帯を振るわせようとする。
でも、いざ話そうとすると、声が出なかった。
何も伝えられなかった。
俺は奥歯を噛みしめる。
何も伝えられない自分自身をひたすらに呪う。
でも、俺は気が付いた。
直接は無理でも、掲示板上でなら、声を出さず、正体も明かさずに、言葉を伝えられるのだ。
俺がスマホをタップすると、画面に文字の入力欄が表示される。
これで、俺の言葉をいくらでも文字にして伝えられる。
「よしっ」
俺は小さくつぶやいた。
…………だけれど、いざ何かを伝えようとすると、どう言葉を紡げば良いのか、俺は分からなくなくなってしまった。
励ましの言葉をかけるのは簡単だ。
しかし、俺が今、真に言いたい事は、多分それじゃない。
匿名性の掲示板上でなら、俺の真意をそのままいくらでも言葉にできる。
なら、全てを洗いざらい話しておくべきだ。
俺が今、蝶野さんに伝えたい事は――――。
『――――俺は、好きな子のストーカーをしいる者だ』
同じユーザーネームの数字が並んでいる中に、新たな数字の列が表示された。
『そんな俺からしてみれば、君は立派に生きて、立派に恋をしているよ』
このことを伝えるのかに迷いはあった。
でも、後悔は無い。
俺には決して手に届かぬ高みにいる人が、自分を卑下している。そんな事実が、俺はどうしても気に入らない。
だから、教えてあげたくなった。
君とは比べ物にならないほど愚かでクズな人間が、この世に居るということを。
『自分をそう責めないでくれよ。俺が惨めになる』
それまで、絶え間なく続いていた書き込みが、俺の言葉を皮切りにピタリと止まった。
目の前の蝶野さんを見ると、眼を見開いて固まっていた。
返事が来たことに対する驚きもあるのだろうが、それ以上に、俺が書いた言葉の内容に対する驚きが強そうだ。
俺は、ジロジロ見ないように意識はしつつも、蝶野さんの一挙手一投足を注視する。
彼女が俺の言葉にどんな反応を示しているのか、見逃さないようにする。
すると蝶野さんは、眼をそっと閉じ、僅かに面白そうに微笑んだ。
彼女の、片耳にだけついている風鈴の耳飾りが揺れる。
ただ、舌の部分にガーゼのような薄い布が巻いてあって、音は鳴っていない。
『ストーカーって、どんなことするの? トイレとかお風呂とか覗いたりするの?』
蝶野さんの、予想外な好反応に、逆に俺が驚いてしまう。
そして、なぜだか分からないけれど、少しだけ嬉しかった。
『流石にそんな過激な事はしないよ。一日中好きな人を観察したり、遠目で写真を撮ったり、好きな人が捨てたペットボトルのゴミを拾って楽しんだりかな』
『へえ、なんだか楽しそう』
『結構楽しいよ。一方的にでも、その人について詳しくなると、親密になっているような感覚を味わえるからね』
なぜだろう。向こうは俺と会話をしている事にす気付いてなくて、この会話により有益な何かが生まれている訳でもないのに、それでも、なんだか凄く楽しい。
このまま一生話をしていたい。そんな風にすら感じてしまう。
『それに、両想いになる事なんて最初から諦めてるから、無駄に傷つかなくて済むし』
恋が叶うだなんて思っていない。だから、状況がどんなに悪くなっても傷つくことは決してない。負けを確信しているからこそ負けても傷つかない、いうなら究極の負け犬根性だ。
『そっか』
蝶野さんは相変わらず微笑を浮かべているが、ほんの僅かに、顔に影が宿った。
『ちょっと羨ましいな』
そう書き込んだ蝶野さんはどこか遠い目をしていて、その言葉が、本当に心の底から出たのだという事が読み取れる。
『……私も、なってみようかな』
そう書き込んだ蝶野さんは、冗談気に笑っていた。
でも、俺はその言葉が冗談などではないことに、一瞬で気が付いてしまった。
『――――ダメだよ』
突き放すような形になってしまったとしても、俺はそう言い切る。
あまり言いたくない事だけれど、しっかりと言葉にする。
『片思いを貫くってのは、辛くなることはないけれど、満たされることも絶対に無いよ』
俺はストーカーだ。ストーカーのしんどさなんて、もう知り尽くしている。
『ふとした瞬間に寂しさと切なさが溢れ出る。俺はそんな人生を君に歩んで欲しくない』
君は、とても素敵で、素晴らしい人だ。
だからこそ君は、俺と同じ人生を歩むべきではない。
『辛くない人生よりも、後悔しない人生を選んだ方が絶対に良いよ』
しみじみと、俺は語る。
心の中にある全てを出し尽くすかのように
『そうだね――――』
蝶野さんの顔を見ると、依然として微笑んでいたけれど、眉がつり上がっていて、強い顔つきになっていた。
『ありがとう。私を、甘えさせないでくれて』
その言葉が表示された瞬間、俺は思わずその文を何度も読み返してしまった。
ただ純粋に、蝶野さんに感謝されたと言う事実が、なんだか無性に嬉しかった。
『――――明日、告白してみるよ』
ただ、次に表示されたその言葉を見て、俺の喜びの感情は一瞬にして吹き飛んだ。
『それじゃあね』
その言葉を最後に、次なる書き込みが現れる事は無かった。
そしてそのタイミングで、電車が、蝶野さんが降りる駅に到着する。
普段の俺ならここで電車から降りて蝶野さんを追っていたが、今日は降りなかった。
今日の俺は、ただ、去って行く蝶野さんの背中を目で追うだけだった。
「何やってんだろうな、俺…………」
もしかしたら俺は、また進むべき道を間違えてしまったのかもしれない。
本当に俺は、どこまでもバカな男だ。
「過去にでも戻れたらいいのにな――――」
俺は一人、蝶野さんの座っていた席に腰を下ろし、彼女のぬくもりを感じながらそっと目を閉じる。
「あの……」
ただ、突然誰かが、優しく肩を叩いてきた。
「大丈夫?」
目を開くと、そこには隣に座る同い年くらいの女子高生が、俺を心配そうな目つきで見ていた。
「えっと、何がですか?」
俺は率直に、その人がどうして俺に声を掛けて来たのか分からず、そう聞き返す。
「いや、だって君、泣いてるじゃん」
俺は、自らの目尻を触ると、確かに涙が出ていた。
この涙は、どこか普通じゃない、変な涙だった。
悲しいとか、嬉しいとかじゃない、色々なものが複雑に混ざり合った、変な涙だった。
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