ストーカー・ソウル7
俺が行きついたのは、屋上だ。
今日は俺の心情に反して、憎ったらしいほどの快晴だった。
俺は屋上に寝転がり、空を見上げる。
「疲れた……」
全身から力が抜けていって、気が付けば俺は、この現実から逃げるように眠りについていた。
そして俺は、数時間後、頬に軽い衝撃を受け、眠りの世界から覚醒した。
「あ、やっと起きた?」
俺の視界に移ったのは、優しく微笑む蝶野さんの姿だった。
「ど、どうしてここに――?」
「どうしてかと言われたら、お昼ご飯を食べに来たから、かな」
そういう蝶野さんの手には、布に包まれた弁当箱が握られていた。
「私、割とこの場所が好きなんだよ。ウチの学校みたいに、屋上が解放されてる所は少ない訳だし、折角なら三年間の内にここで少しでも思い出を作りたいじゃん? そしたら君が眠りこけてたって訳」
「な、なるほど……」
「君も、こんなとこで寝ちゃダメだよ? もう冬に入りつつある訳だし、寝ている間に鳥のフンが顔に直撃するかもしれないからさ」
寝起きの頭で何だかフワフワするが、とりあえず相槌をうつことくらいはできた。
蝶野さんと向かい合って、あり得ないほど心臓を跳ね上がらせている俺は、一旦その場から離れようとした。
けれど、その場から逃げ去ろうとする俺の脳内に、先ほどの駒井の言葉が突き刺さる。
――――もしかしたら、俺が真正面から蝶野さんに向かって、清原はダメだと、そう訴えかければ、多少は心が動くかもしれない。
俺は駒井の顔を思い出しながら歯を食いしばり、蝶野さんに向かって振り返った。
「ちょ、蝶野さんっ」
「うわっ、急にどうしたの?」
緊張のあまり、俺の言葉が跳ねてしまった。
すでに死にたい気持ちに駆られるが、俺はギュッと踏みとどまった。
「その……さ」
名前を呼ぶことは出来た。
でも、もう一言が出てこない。
以前に蝶野さんが駒井に向けていた、あの真っ黒な顔を思い出してしまって、言葉を捻り出せない。
「――――今日はいい天気だね」
俺の口からは、気が付いたら、そんなどうでも良い言葉が漏れ出ていた。
ああ、俺はどこまでも…………。
自分自身の意気地なし具合に、内心で俺は歯を食いしばる。
「うん。そうだねっ」
ただ、蝶野さんはそんな俺のくだらない言葉に関しても、弾けるように笑顔を浮かべて反応してくれた。
「これなら、今日明日は晴れのままかな」
「――――いや、どうだろう」
口いてを当て、俺は考える。
「多分、明日は雨だと思う」
「えっ、分かるの?」
「まあ何となく。一応、天気予報は唯一の特技なんだ」
「なにそれ、すごっ。どうして天気が分かるの?」
「その時の気温とか風向きとか湿度とかを感じたら、何となくで分かるんだよ。的中率は八割くらいあると思う」
「めちゃくちゃ凄いじゃん」
蝶野さんは目を丸くし、ぱちぱちと拍手をしてくれた。
――――あれ、なんだろう……。
「じゃあさ、傘持ってない時に限って雨に降られる最悪なアレ、経験したこと無いの?」
「確かに、雨でびしょ濡れになったことは人生で一回も無いかも」
「いいなあ、純粋に羨ましい」
俺の目を真っすぐ見て、背伸びをしながら蝶野さんは笑った。
――――なんだか、凄く楽しい。
その後も、俺は蝶野さんと他愛のない会話を続けた。
俺が言葉を投げかけると、蝶野さんは優しく笑って言葉を返してくれる。
今まで、彼女の後姿を追う事ばかりしていた俺だからこそ、そんな事実がただ純粋に嬉しかった。
怒りや苦しみ、敗北感といった負の感情を全て忘れられた。
「それじゃあ、その天気予報を信じて、明日の予定を今日にずらしてもらおっと」
話が一段落したところで、蝶野さんはスマホを取り出し、操作を始めた。
明日の予定、その単語を聞いた瞬間に、俺の全身が小刻みに震える。
「えっと、その……」
「ん? どうしたの?」
「あ、いや、なんでも」
詳しく聞こうと思ったが、聞かなくても分かった。
明日の予定とは、清原とのデートの事だ。
残酷な結末を迎える、あの日の事だ。
「ちょ、蝶野さんっ――――」
俺はもう一度、彼女に清原の事について訴えようとする。
だが、やはり言葉が出てこない。
俺がここで清原は悪人だと訴えても、どうせ信じてもらえない。
それどころか、蝶野さんに敵意を向けられ、ストーカーだという事もバレかねない。
思わずそう考えてしまって、自然と口が閉じてしまう。
そんなことは無いと分かっているのに、言葉が喉を通らない。
――――ああもう、俺は本当に……。
猛烈なまでの自責の念にかられていると、不意に、蝶野さんの風に揺られている制服の右袖が目に映った。
そのあと、俺は自然とズボンのポケットに手を入れていて、その中に少し大きめのハンカチが入っていることを確認していた。
――――どうせ壊されるのだったら、俺が壊してしまっても良いんじゃないか……?
そういう思考が脳内を走った次の瞬間には、俺は動き出していた。
蝶野さんの肩を強く押し、倒れた彼女の上に跨る。
左腕を抑え、騒がれる前に口に手拭いを詰め込んだ。
拍子抜けするくらい簡単に準備は整った。
蝶野さんは暴れる事はせず、ただ純粋に心配するような目を俺に向けてくる。
ここまでされて、まだ俺に対して敵意をむき出しにしてこないのは、ただ純粋に凄いと思った。
俺は彼女の制服のボタンに手を掛ける。
先ほどから心臓の鼓動が異様に早くなった。
だがこれは、恐怖ではなく、興奮による胸の高鳴りだ。
俺は時々、蝶野さんの肌を撫でながら、一つずつボタンを外して行く。
あと少し……あと少しで俺は――――。
その時、ふとボタンから目を外し、俺は蝶野さんの目を見た。
蝶野さんの目からは涙が流れていて、そして少しずつ光が消えていっていた。
そんな蝶野さんの目が、あの日の光景と重なる。
あの時は清原に向けられていたその目が、今度は俺に向けられている。そんな事実が、俺を現実へと引き戻した。
自分が一体どんなことをやっているのか、理解させてきた。
俺はあんなに一歩を踏み出すことが出来なかったのに……壊すためならば、こうも簡単に道を踏み外せてしまったのだ。
「ああ……あああ……」
猛烈に吐き気がした。臓器すら口から出てきてしまいそうだ。
俺の中で、俺という存在が地に落ちて行く。
本当に、目の前が真っ暗になった。
「ああああッ」
気が付けば、俺は走り出していた。
階段を下り、廊下を走り、上履きのまま外へ出て、校門をくぐっていた。
そして、一目散に校門前の道路に身を投げ出して、丁度そのタイミングで走って来たワゴン車に、俺は勢いよくはねられた。
俺の体はグチャグチャになり、道路に打ち付けられる。
だが不思議と、痛くは無かった。
ただただ自分が気持ち悪い。それしか感じなかった。
俺は、ただただ早く死にたいと、そう願いながらゆっくりと死んでいった――――。




