第卌弐話 「問題のない名前たち」
本名を諱として憚り、別の名で呼んだり、特に貴人と同じ名前、同じ字を使うことを忌避し、改名したりする風習は古より、脈々とおこなわれてきたことである。
父は、この邦の皇帝として生まれた。父の名は邦である。
父が皇帝になった時、この〔邦〕の字は諱として扱われた。故に、邦中から〔邦〕の字が消え、何の罪もない人々から〔邦〕の字を奪い去った。意味もなくただ〔邦〕という字を使っていただけで、改名を余儀なくされた、役職、職業、土地、人物が国中に溢れかえった。
まるで、父が民から〔邦〕の字を奪い去った悪魔か怪物、妖怪のように思われているのではないか、そう私が危惧してしまうぐらい、改名、改字は、徹底的におこなわれた。
そんな父も、寄る年波には勝てず、戦で受けた矢傷が元で、床に伏せることが増えた。私は凄く不安になり、何度も、何度も今後の人事について問い質していたが、ある日こう窘められた。
「お前はいつまで生き延びるつもりなのだ。」
私ははっと気付いた。丞相として挙がった名前は既に数十人。順当にいっても数百年の人事である。名が挙がっていた人物たちも、生きてはいないだろう。
父は最後に次期丞相の名を挙げて、崩御した。
私が皇帝になると、私の名である盈が諱となり、父同様国中から〔盈〕の字が消えた。
私は愚帝である。それは自覚している。父とはやはり出来が違った。すべて丞相に任せ、私はただ皇帝という役割を演じていただけに過ぎない。
言われるままに行動し、言われるままに裁可を下した。
この文章は、実名敬避俗の実例として、授業で使用される。
私は古の、まだ名前を重要視していた頃に思いを馳せた。
三十五世紀にもなった現在、人類にとって名前など取るに足らないものだった。
名前を使うことで、多くの様々な問題が発生していた過去を反省し、その解決方法として登場したのが、名前を使わない社会〔無名社会〕である。二十五世紀、およそ千年前の出来事である。
そして登場したのが、〔人類皆背番号制〕である。
人類はすべて一人一人固有の番号を与えられ、その番号が名前の代わりとなったのである。これならば、名前を奪われることも、名前を弄られることも、名前を騙られることも、名前で騙されることもまったくなくなった
こうして、名前はすべて人類にとって何の意味もないものへと成り下がったのだ。




