それぞれのスタンピード防衛戦 3
未だ夜明け前。
私達は白竜に乗ったまま、上空から砦の灯りを見下ろしている。真っ暗な闇夜が太陽が地平線に近づくにつれ少しずつ薄れていく。
針葉樹林の黒々とした稜線を浮かび上がらせるように朝日が少しずつ昇ってくると、西方砦の現況が徐々に目の前に現れていった。
西方の砦はまだ落ちていなかった。
けれども砦の周囲にはごろごろと様々なサイズの獣の躯が転がっている。大森林内に作られた白竜とフェンリルの鉄壁は突破されてしまったのだ。スタンピードが起こる直前、この砦に白竜と一緒にやって来た時、エスティナと同じ落とし穴を白竜に夜通しかけて作ってもらったのだけど、それでもスタンピードの波を止めきれなかった。
獣達の躯には何本もの剣がそれぞれに突き刺さっていて、激しい戦いが行われたのだと分かる。
明るくなっていく周囲を見回していると、砦の影になって見えなかったフェンリルが日の出と共にその体を朝日の中に浮かび上がらせていった。
砦の影で蹲っていたフェンリルは、その全身が黒い穢れに覆われてその体を砦の前に横たえていた。白銀の毛皮は見る影も無く、薄闇に同化していてすぐフェンリルに気付けなかった。
「フェンリル!」
白竜はフェンリルから少し距離を取り、砦前の広場に降り立った。
「消えろ!!」
私はフェンリルに駆け寄ると、躊躇うことなくフェンリルの穢れの消滅を強く願った。
すると真っ黒い穢れの下からフェンリルの白い体が現れた。
けれどもその体はまさしく満身創痍。美しい純白毛並みは皮膚もろともあちこちが噛みつかれ、引きちぎられていて、痛々しい傷跡となっている。
そして私は更にギョッとした。
フェンリルの傷口からは血が流れ出る事はなく、キラキラと淡く白い光が零れ落ち続けているのだ。それはまるでフェンリルの命が零れ落ちていくかのように思えた。
私はフェンリルの前足の酷い裂傷に飛び付き治癒魔法も行使しようとしたのだけど、フェンリルは一言、それ以上は良いと私の治療を断った。
『カノン、良い。もともと私の命の器の殆どをこの次代へと移してしまったのだ。私は形だけを保っているが、中身は空っぽだ。長らく使っていた体に留まる命の残滓で今日まで生き延びただけの事。だが、この体を最後に役立てることが出来る。私はそれを嬉しく思っている』
「フェンリル、そんな・・・」
『カノン、だがこれには治療が必要だ。頼む・・・』
フェンリルはそう言うと少し体をずらす。
するとフェンリルのお腹の下からは蹲る子フェンリルが現れた。子フェンリルの純白の毛皮は、その全身の半分ほどが真っ赤な血で染まっていて、力なくぐったりしている。
私はすぐさま子フェンリルに治癒魔法の行使をした。
すると、しばらくして子フェンリルがフンフンと私に鼻面を押し当てて匂いを嗅いでくる。元気を取り戻したようでホッとする。私の匂いを確認した後、子フェンリルは甘えるように再びフェンリルのお腹の下に潜ろうとする。
まあ体格差としては、子フェンリルは親フェンリルの半分の大きさに迫る程に成長しているので、体の半分はフェンリルのお腹の下からはみ出ている。それでも子フェンリルは満足そうにフェンリルのお腹の下に顔を突っ込んで動かなくなった。
『やれ、お前は・・・。甘ったれるのも今日までだぞ。じきに夜が明ける。穢れに侵された獣達が再び押し寄せるだろう。私をよく見ておけよ』
そう言って子フェンリルの丸い背中を一舐めして、フェンリルはゆっくりとその身を起こして立ち上がった。
フェンリルが静かに見据える先。
スタンピードの波が遠くで雪煙を上げていた。
クノーテ共和国西方辺境の砦にて、スタンピード防衛戦最終日の幕が上がった。
「ヴィゴ閣下!」
「カノン!よく来てくれた!」
私は1人、砦にお邪魔してヴィゴ閣下と合流した。
ノア、ビアンカ様は早速フェンリルと共に、スタンピードを迎え撃つべく砦の前に布陣している。
大森林内の防護壁が突破された今、この砦自体がゼノー市の最終防衛ラインとなる。
ビアンカ様が大森林を抜けて砦の前に躍り出てきた獣の群れを業火魔法で焼き払い続け、それでも仕留めきれない大型獣達をノアとフェンリルが個々に仕留めていく。更には白竜は上空から大森林を偵察し、砦に向かっている大型個体を個別撃破していく。これがザックリとした作戦だという。
各々が自分の対応可能な事を上げ合った結果なんだけど、こんなレベルになると普通の軍人さん達がノア達と共闘出来る訳もない。なので軍人さん達は、今日は全員砦内で待機、場合によっては砦を放棄してゼノー市まで下がる段取りだ。
「フェンリルと話が出来たようだが、すっかり体が冷えてしまったな。何か温かい物を持たせよう」
「いえ、大丈夫です。それよりも怪我をした人はいませんか?治療します!」
私はすぐにも活動しようと前のめりになっているのだけど、ヴィゴ閣下はそんな私を宥める様にそっと私の頭に手を添えて黙ってしまった。
私の頭に手を添えるヴィゴ閣下は普段と同じく穏やかではあるんだけど、少し元気がない。
私はこんな時にすぐに蜂蜜湯を持ってきてくれる優しい人の姿が見当たらなくて、さっきから胸騒ぎが止まらない。
「ヴィゴ閣下。ダレンさんはどこですか」
「誤魔化せないか」
私の質問に、ヴィゴ閣下は諦めたように力なく笑った。
ヴィゴ閣下に案内された砦内の救護室にはアルコールの匂いが立ち籠めていた。
「せっかく白竜とフェンリルに防護壁や巨大な落とし穴を作ってもらったが、2日目にはそのどちらも突破されてしまった。だが、砦の目の前で白兵戦となった事は不幸中の幸いだった。すぐに砦に戻る事が出来るから凍傷の心配はないし、今の所死者もいない。フェンリルの働きによる所がとにかく大きかった。ここまで我々を助けてくれるとは、想定外だった」
「そう、でしたか・・・」
ヴィゴ閣下の話を聞きながらも、私は救護室のベッドに横たわる軍人さん達から目を離せないでいた。みんな体のあちこちを痛々しく包帯で覆い、出血が止まらないのか血を滲ませている人も少なくない。見知った軍人さんもちらほらと居る。
「ダレンさん!」
そしてその中にダレンさんの姿を見つけて、私は思わず駆け寄ってしまった。
「・・・カノン、来てくれたのか。ありがとう、心強いよ」
ベッドに横たわるダレンさんの笑顔は以前と変わらない。
「せっかく治してもらったのに、すまない」
でも柔らかく微笑むダレンさんの包帯に包まれた左足、膝から下が無かった。
それを見た瞬間、私は頭で考えるより咄嗟に動いていた。
私はダレンさんの左足、膝小僧の上に手を置いて叫んだ。
「元に戻って!!」
その途端、救護室一杯に白い光が炸裂した。
私も自爆して思い切り目を焼かれてしまう。目つぶしを食らって、視界が元に戻るのにしばらく時間がかかってしまった。
視界がやっと少しずつ戻って来て、私は恐る恐るダレンさんの変化を確認した。
「・・・・何という事だ」
私の後ろでヴィゴ閣下が呟いた。
当のダレンさんは驚き過ぎているのか、言葉を発する事も出来ずに自分の足を見下ろしている。
ダレンさんの左足は右足と同じように、つま先まで少しの欠損も無くベッドの上にあった。
「うお?!嘘だろ!」
そして私とヴィゴ閣下の背後のベッドからも驚きの声が上がった。
振り向けば、ベッドの上で両手を裏表しげしげと眺めている軍人さんが居た。
「お前は確か・・・、右手をクリムゾンベアーに持って行かれていたな」
「はい!手首から先を失っておりました!聖女カノンに心から感謝いたします!」
若そうなその軍人さんは、私はちょっと記憶にないんだけど、私を聖女と呼ぶので新規補充されてここにいる軍人さんなのかも。このフレッシュな軍人さん、大きな声で私に感謝してくれた。
そしてこの若い軍人さんがおっきな声で私に感謝してくれるので、救護室中に私の所業が知れ渡ってしまった。
今、ノアもビアンカ様も外で戦闘中なので、私のお目付け役は不在である。
「・・・次の人!」
もうさ!2人やっちゃったら、3人も5人も10人も同じじゃんね!
それと不思議な事に。
エスティナでスタンピードの対応をする少し前から感じていたんだけど、私が聖女の力を行使する時、以前ほどの凄まじい飢餓感を感じなくなっていたんだよ。空腹を感じてお腹が鳴るのは変わりないんだけど。思い返すと一日中食べ続けるといった事態にはしばらくなっていない。思い返せば最後にフードファイトをしたのは、クノーテ共和国首都の迎賓館だったかも。病院にもご飯を沢山持って行ったし、治癒魔法を掛けながらモリモリご飯を食べていたんだけど、それでも以前と比べれば飢餓感は割とすぐ収まっていた。
あんまり聖女の力を全力で使わずに、様子見て少しずつ使っていたからだとばっかり思っていた。
でも今、身体欠損回復という使ったことも無い大技を使ったんだよ。
それなのにあんまりというか、今は殆ど空腹を感じていなかった。
何が自分の身に起こっているのか良く分からないけど、今は好都合!
「ヴィゴ閣下、私の力が続く限り治しちゃいます!軽度の人は後から!私でしか治せない方は他には居ませんか!」
「カノン」
勢いづく私の手を掬い上げて、ヴィゴ閣下は私の手の甲にキスを落とした。おお、こんな事生まれて初めてされちゃった。ノアにもされた事なかったので、ポーっと顔が熱くなってしまった。
ヴィゴ閣下、都会の大男から今は辺境の髭の大男に戻っちゃってるけど、所作は洗練された紳士なんだよな。
「カノン、君の献身に心から感謝を」
「困った時はお互い様です!」
私の返事に、ヴィゴ閣下は声を上げて笑った。
「本当にありがたい事だ。ここに居るのは私の有能な部下達だ。現役を退くにはまだまだ早い。残りの者達にも聖女の力を使ってもらえるだろうか」
「もちろんです。その為にここに来たんですから!」
「カノン」
私がやる気をみなぎらせていると、後ろから声を掛けられる
振り返ると、先ほど足が元に戻ったばかりのダレンさんが自分の両足で立っていた。
「ダレンさん!ご無理なさらずに。急に歩いて大丈夫ですか」
「うん。カノンのお陰ですっかり怪我は治った。寝てばかりいたからリハビリも兼ねてカノンの食事の世話をしよう。空腹が辛いだろう」
「うーん」
私は自分のお腹を押さえてしばし考える。やっぱり空腹はそんなに感じていない。
「大丈夫です」
「そうなのか・・・?では、いつでも休憩できるように隣にコーヒーと菓子の準備をしておこう」
「ありがとうございます!」
ダレンさんに小首を傾げられてしまった。何度もご飯のお世話を頂いたからなー。これは後でビアンカ様か白竜に相談だな。でもまずは目の前のやるべきことをやろう!




