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王都にある『スルタンハイム大聖堂』と呼ばれる教会の本部。この大聖堂の一室で、書類整理を行っている老齢の男の下に、窓から黒い鳥が一通の手紙を運んできた。
差出人は、普段は彼の下で働くシスターであるサーナとなっている。
毎年、騎士団の訓練の一環として、王都から離れた村周辺の魔物の駆除作業があり、後方支援要員として教会から人材を派遣している。
この教会の司祭であるマルセトは、鳥型の使い魔を召喚できるサーナを連絡要員として派遣していた。
そんな彼女から手紙が送られてくる。
何かがあったと考えるのが自然だろう。マルセトは急いで内容を確認する。
読むにつれ、彼の目尻の皺が徐々に深くなっていく。
そして、驚愕に目を見開き、額の皺もより一層深くなる。
一通り読み終えたマルセトは、何かの間違いかもしれないと考え、手紙を何度も何度も読み返す。
どれだけ読み返しても内容が変わる事がないのは分かっていても、そうせずにはいられなかった。
手紙の内容は、彼が考えていたよりも遥かに深刻だった。
マノト村に魔物が流れついた事。
事後処理の手伝いのために帰還が遅れる事。
ここまでは良かった。いや、良くはないが、理解はできる。
しかし、その下に記されている内容が問題だった。
人型の使い魔が召喚された事。
この召喚された使い魔は、召喚主の願いを叶えるつもりである事。
そのために、この使い魔の存在は極力秘匿して欲しいと記載されている。
使い魔自身と、サーナを派遣したマノト村の村長のシュルーケルたっての願いだとか。
これだけでも頭の痛くなる話なのだが、彼が何よりも驚いたのは、この使い魔が教会が把握していない、神と思われる一柱と会話を交わしたという記述だ。
教会の召喚を司る部署に所属しているマルセトも、聞いたことがない事象だった。
約二十年前に人型の使い魔が召喚され、悪事を働こうと画策していた事件があったのは覚えているが、召喚者、使い魔共にまともではなかったという事しか聞いていない。
今回召喚された使い魔は、人族との対話に応じ、召喚主の指示にはしっかりと従っていると記載されている。
(まさか……。いえ、考えても仕方がないですね。まずはお会いしてからです)
手紙には九日後に王都に帰還予定と記されていた。
その際、コトエダアラタと言う名の召喚された男性も、共に王都に来るとの事だ。
マルセトはアタラのために、教会名義で仮の身分証を発行する事を決める。
自分の下で日々励んでいるサーナの見る目を信じたというのもあるが、勿論それだけではない。
神の声を人類に届ける役割の持ち主──使徒。
万が一の可能性がある。不手際があってはならない。
(しかし……この歳になってから、こうも迷う日が来るとは……)
黒い鳥型の使い魔に、状況は把握したという旨の手紙を持たせたマルセトは、自分のこれからの行いによって、王都に混乱が生じない事を祈る。
「それではピーちゃん……さん、よろしくお願いいたします」
「ピィ!」
短く一鳴きし、黒い鳥型の使い魔は主の下へと飛び立っていった。
「ふぅ……」
鳥型の使い魔を見送ったマルセトは、鏡の前に立ち身だしなみを整える。
職務に当たる前に身だしなみ当然整えてはいるのだが、これから会う必要があるのは、彼より上の階位である司教なのだ。
年を重ねる毎に色味を失った白髪を再び整え、身に纏っている神父服に汚れなどがないか入念にチェックする。
傍から見ると何も変化がないのだが、何かを決意した表情で頷き、司教の執務室へと向かった。
「よろしいでしょう。許可します」
「ありがとうございます。それでは失礼致します」
サーナから送られてきた手紙を司教に確認してもらい、仮の身分証明書の発行許可を得る事が出来た。
身分証明書を入手する事はそれ程難しい事ではない。
冒険者ギルドへ行けば冒険者ギルドが発行する身分証明書が。
商人ギルドへ行けば商人ギルドが発行する身分証明書が。
教会であれば教会が発行する身分証明書がそれぞれ手に入る。
頻繁に他の村や町を行き来する者は、カード状の正式な身分証明書を作るが、そうでない者は領主や村の長が発行する仮の身分証明書を持って他の町や村へ移動する。
マノト村の村長であるシュルーケルが発行する仮の身分証明書でも王都に辿り着くことは出来るが、『使徒』の可能性があるアラタに余計な負担をかける可能性を拭いきれない。
なのでマルセトは念には念を入れて教会からも仮の身分証明書を発行するべきであると考えたのだ。
仮の身分証明書の作成を終えたマルセトは、書庫へと向かう。
まずは、この世界の神々についての文献を探す。
(果たして見つかるのでしょうか。いえ、見つけなくてはいけませんね)
程なくして目的の書物を見つけることが出来た。
しかし、知りたかった情報は記されていなかった。
(ガウテオ様についての記載はありますが、やはりアル様についてはどの書物にも記載はありませんね)
目に付いた関係ありそうな書物を片っ端から調べるが、結局その痕跡すら見つける事はできなかった。
翌日早朝、仮の身分証明書を自分が契約を結んでいる鳥型の使い魔に持たせ、送り出したマルセトは、今日も朝から教会の書庫で過去の文献を漁っている。
神々についての文献に載っていないのであれば、人型の使い魔が召喚された事例に情報が含まれているのではないかと考えた。
しかし、いくら調べても彼が知りたいと望む内容は書かれていなかった。
書かれているのは召喚主と使い魔が何を成したかといった内容がほとんどだった。
「おや。書庫でお会いするとは珍しいですね。調べものですか?」
背後から声を掛けられ、マルセトの肩が跳ねる。
声の主に思い当たり、恐る恐る振り返ると、そこには昨日会った司教の姿。
それだけではなかった。滅多に会う事が叶わない、このスルタンハイム大聖堂の最高責任者である大司教も共に立っていた。
「エンギード大司教とムスクディ司教! 気づかなかったとはいえご挨拶が遅れ申し訳ございません」
慌てて立ち上がり、挨拶と謝罪の言葉を口にするマルセト。
「良い良い。背後から声を掛けたのはこちらじゃ。気づかないのも無理はなかろうて」
エンギード大司教はそう言って自身の顎に生える長い白髭を撫でる。
その透き通ったブルーの瞳は、マルセトが読んでいる途中だった人型の使い魔に関する書物を興味深そうに捉えている。
(ガウテオ様……私にこの試練を乗り切れとおっしゃるのですね……)
アラタからの要望の一つである、召喚を司る部門内のみでの情報の共有。
これを守るためには、今この場にいるエンギード大司教の存在は非常に悩ましいものだった。
「そう硬い顔をするでない。ふむ、ムスクディ司教、人払いを」
本来であればそのような雑事は自分がやらなければならないと思うマルセトだったが、大司教が直々に指名した以上、階位が自分より上であるムスクディ司教が人払いをしている様子を眺める事しかできない。
司書にも退席してもらい、この書庫にいるのは三人だけとなった。
「では防音結界を張ります」
そう言って自分たちの近くにに魔道具を設置するムスクディ司教。
「ムスクディ司教から話は聞いておる。マルセト司祭が気に病む必要はないのじゃ」
エンギードの口の動きから、防音結界が正常に作動していると判断したムスクディは自身も結界内に入る。
「さて、マルセト司祭。突然の出来事で驚かせてしまった事をお詫びします。そして、これから話す事は教会、さらには王国内部でも一部の者しか知らない最高機密となりますのでご理解ください」
マルセトにはムスクディの言っている事が理解できなかった。
人型の使い魔の存在というのは、知っている人は知っている事であり、最高機密に当たるとはない。
だとすれば、新たな神の一柱であるアル様の事かと思案する。
「先日、国王陛下の命の下、『勇者召喚』が行われました」
「!」
突然の告白に、マルセトの頭は真っ白になる。
五百年以上前、魔族と人族が争っていた時代に勇者と呼ばれる存在が争いに終止符を打ったという史実を過去に学んでいた事を思い出す。
「そして、五人の異世界人が勇者としてこの国に召喚されました。その場には教会の代表として私とエンギード大司教も同席しています」
「お、お待ちください! 勇者召喚の事は聖女様はご存知なのですか!?」
「当然じゃ。儂らは聖女様からの指示の下、勇者召喚に協力したのじゃからのう」
スルタンハイム王国の遥か北、険しい山に囲まれた土地にカムハーフェン聖教国という、聖女と呼ばれる女性が治める国がある。
カムハーフェン聖教国は教会の総本山であり、司祭以上の階位を目指す者は一度は修行のために暮らす国でもある。マルセトも修行のために暮らしていた事がある。
「数カ月前、ユビヤド様が聖女様に神託を下したそうじゃ」
この世界に五人の異世界人の勇者が同時期に現れる。
彼、彼女らの手助けをして欲しい。
そして、この世界の危機を救って欲しいという内容だったと説明を受けたマルセト。
彼はまだ、なぜこの話をされているのか理解できていない。
「念のため言っておくが、教会や、この国の王が主導して勇者召喚を行ったわけではないぞ」
異世界から勇者と呼ばれる存在が現れるのは、神の采配とされている。
今回の場合は、どこに現れるかわからない異世界の勇者を見失わないよう、一ヵ所に集めるために行われたものである。
「王城に召喚された勇者たちには共通の不安があってのう。皆、元の世界への帰還方法を知らないのじゃ」
ここに来てようやくマルセトも何が言いたいのかわかってくる。
「コトエダアラタ様がどのようなお方かは儂もわからぬ。だが、送還する事ができ、上位存在であられるお方と直接やり取りが出来るという話を耳にすれば居ても立っても居られなくてのう」
「勇者の皆様の不安の声は、私も耳にしてます。なのでこの話は私で止めるわけにはいかなかった。その点をご了承願いたい」
「承知いたしました。また、今日この場での出来事は決して口外しないことも誓います」
互いの認識のすり合わせが終わったところで、アラタをどう扱うかの話し合いが行われる。
「して、コトエダアラタ様の望みは、召喚主である少女が無事に学園を卒業できるように手助けする事とあるが、我々はどこまで協力するべきかのう」
「コトエダアラタ様は、ご自身がこの世界を去った後の事も考えていると思います。召喚主の少女が人型の使い魔を召喚出来ると知られ、学園を卒業後に召喚できなくなったと広まった場合、少女に不都合な事が起こると予見されているのではないでしょうか?」
「なるほどのう。冒険者養成科じゃな。で、あるならば学園への入学手続きが必要になるのう」
マルセトは口を挟めない。
この場にいるのも不相応だと思っている彼は、黙って聞き役に徹している。
アラタが危惧している通り、人型の使い魔が持つ知識を巡る対立というのは存在する。
しかし、結局のところ召喚主の同意がなければどうする事もできない。
普通の召喚は、一度送還されてしまえば再度召喚するかどうかは召喚主次第となる。
召喚主が召喚出来ないと言えば、それを信じる他ないのだ。
さらに、今回召喚されたアラタは元の世界に戻るタイミングも既に判明している。
召喚主であるミリーリアが学園を卒業してからだ。
そう考えた時、アラタに固執するよりも、最近召喚された勇者の動向に気が向いてしまうのは仕方がないだろう。
彼、彼女らはこの世界を救うために召喚されたのだから。
この世界の発展に貢献するというのは魅力的な事だが、珍しい人型の使い魔から無理やり知識を絞り出そうと考える人間はこの場にはいなかった。
召喚された人型の使い魔が持つ知識を無理に活用しなくても、人の世は発展していく。
その変化を目の当たりにしている以上、急ぐ必要も無理をする必要もない。
教会で把握していない新たな神の使徒の可能性があるアラタに危害を加えようという、恐れ多い事を考える不届き者もいない。
この場にいる三人は、アラタの事、そして異世界から召喚された勇者の事を真摯に考え、彼、彼女らが望む道を提示しようとしている。
主神ユビヤドを崇める教会の教義──悩める者に手助けを──に則り、話し合いは進んでいく。
教会側の依頼を聞いてもらうのならば、相応の対価を用意しておく必要がある。
教会側で用意できるのはアラタのこの世界での立場。
本人が望むのなら、教会の関係者として学園に入学させる事は不可能ではない。
実際に過去にも聖教国で修業を終えた者が、自身の見識を広げるために学園の冒険者科に一年だけ留学という形で在籍した例がある。
聖教国で育った者が、他の国との違いを肌で感じるために、同年代の生徒が通う学園に留学するというのは時々ある話だ。
問題があるとすれば、本人に冒険者科に通うのに適した才能があるかどうかだ。
過去に冒険者科に留学という形で通った者は、回復魔法が得意な者だったり、召喚魔法の使い手だったり、それぞれが冒険者としても活動していける才能の持ち主たちであった。
【コトワザ】という古代魔法を使えるという事は記されていたが、どのような魔法なのかは把握していない三人は、結論を出せずにいた。
結局のところ、アラタ本人に合わない事には実行に移すわけにはいかないという事になり、この日は解散となった。
数日後、マルセトはムスクディ司教の執務室に呼ばれる。
執務室に入ると、ムスクディ司教とエンギード大司教の姿が目に入る。
マルセトは【コトワザ】という古代魔法についての情報の共有と、コトエダアラタ様の立ち位置についての確認のために呼び出された。
彼はここ数日、アルと呼ばれれる存在や、人型の使い魔、勇者や【コトワザ】についての文献を調べたが、芳しい成果は得られなかった。
階位が上がると入手できる情報量が格段に違うという現実を思い知らされたが、本来であれば調べる機会がない情報である事に思い至る。
ムスクディは自身が調べ上げた情報を報告する。
【コトワザ】という古代魔法の使い手として、約二十年前に一人の女性冒険者が活躍していた。
その冒険者は既に亡くなっており、現在まで【コトワザ】の使い手は確認されていなかった。
そもそも、【コトワザ】という古代魔法自体がそれほど有名ではない事もあり、調べるのに時間がかかってしまったと彼は付け加えた。
【コトワザ】の一つとして、真偽の程は定かではないが、雷を発生させたという情報もあった。
「独自に調べたところ、この女性冒険者の娘にあたる人物がコトエダアラタ様の召喚主のようです。そして、彼女はコトエダアラタ様から【コトワザ】を教わり、使いこなせるようになってきているそうです」
「ご苦労。ふむ、教会に所属している古代魔法【コトワザ】の使い手であるコトエダアラタ様が、同じ【コトワザ】使いの少女に実戦で【コトワザ】を教えるために学園に留学する。そういう事じゃな?」
こうして、アラタは留学生として学園に通う権利を得る事になった。
「しかしのう……。儂も見た事がない【コトワザ】という魔法をどう説明すれば良いものか……」
この場に集まった三人は誰一人答えを持ち合わせていない。
なので、アラタが大聖堂にやって来た時、本人の意志を確認した上で、差支えがなければ【コトワザ】がどんなものか見せてもらうという事で落ち着いた。
後はアラタの到着を待つだけである。
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