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第22話 心ここにあらず

 ミリーリアから預かった『【コトワザ】集』を斜め読みした俺の率直な感想は「なんだこれ」である。


 ストーリー仕立てのものもあれば、タイトルだけのもの、俺の知っている【諺】とは違うものなど、内容は様々であった。

 それらに加えて、誰かの日記や、手紙のやりとりの内容、料理レシピなど、全く関係がなさそうなものも綴じられていた。


 古代語と呼ばれる言語で記されたものを集めた、というのがミリーリアが自作した『【コトワザ】集』の正体だと判断することにした。


 そして俺は現在、『【コトワザ】集』の一ページ目を何度も読み返している。


 これは明日の授業で使えるのだろうか?

 そもそも使ってもいいのだろうか?

 俺は試されているのだろうか。

 それともアピールなのか……。



〇〇〇〇


 『女王の休日』


 薄暗い一室。


「これがそなたの望みなのじゃろう? そうなのじゃろう?」

「あぁぁ、女王様……。わたくしの様な下賤な者が女王様より御慈悲を賜れるなんて……」

「うるさいのう。誰が声を出していいと言った」

「申し訳ございません……申し訳ございません……」

「そなたはそこで、ただ見ておれば良いのじゃ」


 周囲に人の気配はない。

 聞こえるのは女と男の声のみ。

 男の声からは焦りと悲壮感、そして、ほんの少しの期待感が漂っている。

 

「あぁぁ……女王様……そ、そんな……。い、いけません……。御手が汚れてしまいます……」


 女の手が男の息子を優しく包み込む。


「そなたも期待しておるのであろう? 表情をみればわかるのだぞ?」

「あぁ……なんという……なんという……」

「さぞ辛かったであろう。苦しかったであろう」

「わ、わたくしは……わたくしはもう……」


 男の目に涙が浮かぶ。


 手に付着した液体を拭い、女王は立ち上がる。


「これからが本番という事は、そなたも良く分かっておるじゃろう?」


 女のハイヒールが男の息子に到達する。

 すると、一度果てたはず男の息子に生命力が宿る。


「あっ……あっ……」


 声にならない声を上げる男。


「女王様……ありがとうございます! ありがとうございます!」


 慈愛に満ちた表情で女は告げる。


「今宵の出来事は一度きりの奇跡。他言無用ぞ。ゆめゆめ忘れるでないぞ」


 誰かに知られる事もない。

 それは薄暗い一室での出来事。


 女は男の息子を一瞥する。

 

 女はまだ満足しない。

 夜はまだ始まったばかりなのだから。


〇〇〇〇



 玄関が開く音がした。


「まだ起きてたのか。それはミリーリアのか? 熱心なのはいい事だが、明日の夜の訓練もあるんだし、いい加減休んでおけよ」


 俺は慌てて『【コトワザ】集』を閉じる。


「そうします。それでも今日は眠れる気はしないですけどね……」

「あー、すまん。どこか痛むか? やりすぎだったか?」

「あ、いえ。考える事があり過ぎるといいますか……」

「そうか? それならいいんだけどよ……」

「本当に大丈夫です。体も傷一つ残っていませんから」

「ほーう? 明日の夜も同じことが言えるといいな?」


 えぇ……。

 ニヤニヤしながらシュルーケルさんは風呂場へ向かって行った。



 昨夜はほとんど眠れなかった。

 色々な事があり過ぎ、何から手を付けるべきか考えていたからだ。

 勿論それだけではないのだが……。


 朝食が済み、シュルーケルさんは畑へ向かう。


「んじゃ行ってくる。昼も向こうで食ってくるから気にしないでくれ。何かあったら畑までこいよ」


 残された俺たちは、各自居間から移動するなど、今日やる事の準備を進める。

 俺はテーブルに『【コトワザ】集』を置き、ミリーリアの準備が出来るのを待つ。


 ミリーリアが居間へやって来た。


 朝食の時はいつも通りの部屋着だったのだが、服装が変わっていた。

 少しゆったりした部屋着と言った感じだ。


「やっぱり古いやつだから変かな?」


 俺がじっと見ていたのに気付いたミリーリアが、不安そうに聞いてくる。


「いや、変じゃないよ。わざわざ着替えなくてもよかったのにな、って思ってさ」

「さっきまで着ていた部屋着は、今日中にセッちゃんが洗濯するんだって」

「あぁ、そういうこと」


 もうすぐ学園に戻るので、荷物整理も始めているようだ。


「それで、今日はどうするの?」


 俺の隣に座ったミリーリアが聞いてくる。


「昨日ある程度読んだけど、なかなか難しそうだったな。とりあえず、簡単そうな内容から伝えるから、試してみようか」

「わかったよ。よろしくね」


 ミリーリアは本当に今日から始まる授業が楽しみだったのだろう。

 それは表情から十分に伝わってくる。


 俺もその気持ちに応えるべく集中したいと思う。

 思うのだが……。


 俺の視線は定まらない。

 どうしても『【コトワザ】集』から目が逸れる。


 現在、ミリーリアはゆったりした服装で俺の隣に座っている。

 そう、ゆったりした服装で……。

 

 ミリーリアが『【コトワザ】集』を読むために、前かがみになると、その……。

 ゆったりした服装の弊害とでもいいますか……。

 チラりチラりと……。


 俺の視線は自然と吸い込まれてしまう。

 気にしないように『【コトワザ】集』に目を向けるが、どうしても気になる。

 とういうか、気にするなという方が無理だ。


「じゃあ、ここからでいいのかな?」

「ん? あぁ、ちょっとまって。予定変更」


 駄目だ、全然集中できん。


「どこだっけな」


 やはり試されているのだろうか?

 ミリーリアの表情からは読み取れない。

 心を落ち着けるべく、俺は『【コトワザ】集』から目的の【諺】が記された個所を探す。


「あったあった。まずはこれから試してみよう」


 主に俺のために。


「はい! お願いします先生!」


 俺が開いたページに載っている【諺】。


 【心頭を滅却すれば火もまた涼し】。


 まさに今の俺にピッタリなのではなかろうか。


「【心頭を滅却すれば火もまた涼し】、はい」

「【─────────────シ】?」

「【心頭を滅却すれば火もまた涼し】」

「【シ────────────シ】?」

「【心頭を滅却すれば火もまた涼し】、【心頭を滅却すれば火もまた涼し】」

「【シン───────────シ】」


 【心頭を滅却すれば火もまた涼し】【心頭を滅却すれば火もまた涼し】【心頭を滅却すれば火もまた涼し】【心頭を滅却すれば火もまた涼し】【心頭を滅却すれば火もまた涼し】…………。


「アラタ、合ってる?」

「【心頭を滅却すれば火もまた涼し】、【心頭を滅却すれば火もまた涼し】、【心頭を滅却すれば火もまた涼し】」

「【シンチョー────────シ】」


 【心頭を滅却すれば火もまた涼し】【心頭を滅却──】


「──タ、アーラーター。ねぇ、アラタってば!」


 ミリーリアの呼びかけで、無の境地から引き戻される。


「アラタ、私のは合ってた? これ難しくない?」


 すまんミリーリア。

 聞いてなかった。

 俺は自分の事で精一杯なんだ。


「難しいか……。そうだなあ、これは、心頭を滅却すれば火もまた涼し、って【諺】で、俺がいた世界では、織田信長っていう有名な武将がいて、その時代の禅師が──」

「まってまって! 急! 色々急過ぎるよ!」


 ここにそう記されているのだから仕方がない。

 そういうものだと思ってもらうしかないのだ。


「やっぱり私、ダメなのかな……」


 急に不安そうな表情を浮かべるミリーリア。


「いや、ミリーがダメとかじゃなく、これは完全に俺の選択ミスだ。すまん」


 先程まで期待に胸を躍らせていた彼女に、こんな表情をさせてしまった事を悔やむ。


「これさ、俺が好きな【諺】なんだ。心の持ち方次第で、どんな苦痛も苦痛とは感じなくなる、って意味なんだ」


 俺は続ける。


「正直さ、この世界の事なんて全然わからないから、不安はあるよ。でもさ、辛いとか苦しいって思ってるだけじゃ何も解決しないし、つまらないじゃん」


 ミリーリアは黙って俺の話に耳を傾けている。


「せっかくこうしてみんなに出合えたんだし、楽しみたいじゃん? だから、この【諺】は俺の決意表明みたいなもの。どんな困難が待ち構えていても、困難とは感じないようにしようって思ってさ」


「そうなんだ。……良い【コトワザ】だね。 わかった! 私も頑張る!」

「あー、いや、ミリーはこの【諺】から始める必要はないというか……」

「こういうのはね、気持ちが大事なんだよ。覚えたい、理解したいって思ったものの方が身に付きやすいんだよ?」

「それはそうだけど……」

「【シント───────ズシ】」


 ミリーリアの何かに火が付いたようだ。


 非常に申し訳ない気持ちになる。

 俺の邪念から、ミリーリアには困難な道を歩ませる事になってしまった。


 声に出してみたり、紙に書き写したりと色々な方法で【心頭を滅却すれば火もまた涼し】を習得しようとしている。

 

「ふぅ……ミリー、もう洗濯物はない?」

「あ、セッちゃんありがとう。一通り出したかな? もう増える事はないと思うよ」


 洗濯がひと段落ついたセレイナが俺たちの様子を見にやってきた。


「どう? 順調?」

「全然。覚悟はしていたけど、やっぱり難しいね」

「あまり根を詰め過ぎるのも良くないわよ。少し休憩したらどうかしら? アタシも一息つきたいしね」

「そうしよっか。アラタ、少し休憩しよ?」

「そうするか」

「んんー、久しぶりの【コトワザ】の勉強は楽しいなあ」


 背筋を伸ばすため、イスを動かしたミリーリア。

 体の一部がテーブルにぶつかった。

 その衝撃でテーブルから筆記用具が落ちる。


「あっ、ごめんセッちゃん、それ取って」

「何やってんのよ」


 セレイナは前かがみになり、落ちた筆記用具を拾おうとする。

 ミリーリアと同じく、ゆったりした服装で……。


 セレイナさん、お前もか。


「はい。楽しいのはわかるけど、気をつけなさいよ」

「ありがと。わかってるよー」


 【心頭を滅却すれば火もまた涼し】【心頭を滅却すれば火もまた涼し】【心頭を滅却すれば火もまた涼し】…………。

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