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マエストロ  作者: 宮澤花
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2 イタリア人は好きじゃない

 シュテファン大聖堂の周りはその日も人が集まっていた。

 雲をつくような尖塔がそびえ立つ聖堂は、ウィーンのシンボルだ。

 周りの通りは参詣中の貴族たちを待つ馬車、行き来する市民たち、そして彼らに施しを願う物乞いたちであふれかえっている。


 その光景も今のヴォルフガングには何の救いももたらさない。祈って願いが叶うというならいくらでも祈ってやるが、偉大なる神は彼に名声をもたらすつもりはないように思える。


 その気があるのならパリで…… ミュンヘンで…… いくらだって機会はあっただろうに。大いなる神が彼に与えるつもりの救いは、きっと彼の望む形ではないのだろう。そう思わざるを得ない。


 音楽とはいったい何なのだろう?

 通りを歩きながら、ヴォルフガングは考える。


 かつて父は、彼と姉とにその素晴らしさを語った。至高の音楽を求めることがどれほど美しい行為であり、神に近づくための行為であるのかを教えた。


 最高の音楽家とは、理念において最高の司祭に等しい存在であり、本人もそうあろうと努めるべきだし周りもそれにふさわしい扱いをすべきだと言った。けれど、そんなことは父ひとりの思い込みに過ぎなかったのだろうか。


 どこの国でも、ヴォルフガングと姉がチェンバロを弾けば喝采の嵐だった。

 貴族も王族も『神童姉弟』をほめそやし、言葉を交わしたがり、握手を求めた。

 さらなる称賛を求めて、父はヴォルフガングに作曲を教えた。売れっ子の音楽家と言えばオペラを作曲するものだからだ。


 だが、十二歳の彼が初めて書き上げたオペラをウィーンは受け入れなかった。

『父親が代作したのだろう』

 と疑われた。

『子供の書いたものなど劇場にかけられるか』

 とバカにされた。

 凡百の作曲家たちが書いたつまらないオペラと何が違うのか。十三年経った今でもそう思う。


 台本はくだらなかった。それは確かだ。だがオペラ・ブッファなんてみんなそんなものだ。

 作曲技法は稚拙だったかもしれない、今と比べれば。だが、自分よりマシなものが書ける作曲家がヨーロッパに何人いるというのだ。

 絶対に、間違いなく、あのオペラはそこらの作品よりずっとマシなものだった。


 そんなことを思い出したら、いっそうくさくさした気分になった。

 結局みんな、音楽に崇高さなど求めていない。歌も楽器も、いっとき観客を気持ちよく過ごさせることが出来れば拍手と代金をいただける、ただそれだけのものなのだ。


 そう考えると絶望に襲われる。自分を理解してくれる人間などこの世にいないのだ、という気持ちになる。

 市壁の外へ出て、運河でものんびり眺めてこようか。ヴォルフガングはそう思う。大司教の館に戻る気にはなれない。威張りくさった貴族たちや、それに追従するばかりの同僚たちの顔を見ることを考えるだけで吐き気がしてくる。


 そうしよう、と思って顔を上げると、なんと彼はケルントナートーア劇場の前にいた。運河とは全く逆の方角だった。

 来週、『音楽家の寡婦と孤児の協会』のための慈善演奏会が開かれる場所だ。ヴォルフガングが演奏するつもりだった場所だ。


 慈善演奏会に未練があったから、大司教の仕打ちが腹に据えかねたから、無意識にここへ向かってしまったのだろう。それにしたって、出演できない劇場を眺めにやってくるなんて、自分がいっそうみじめになるだけだ。いったい何をやっているんだと、ヴォルフガングは自分で自分を叱った。


 この場所を離れようと踵を返そうとした。すると、脇道に面した劇場の通用口が開いて、男たちがチェンバロを運び出してきた。

 生まれつき物見高い性格なので、つい見入ってしまう。さらに劇場の中からもう一台が運び出され、そのあとからパリッとした上着の男がついて出てきた。


「Attenzione, attenzione ! (気を付けて、気を付けて)」

 イタリア語が聞こえる。

「Piano, signori, piano ! (慎重に、君たち、慎重に)」


 楽器を運んできた男たちはどこかの店の下働きか、荷物運搬人のようだ。通用口の近くに停めてあった馬車の荷台に、チェンバロを積み込もうとしている。

「Sono strumenti musicali, per favore. Trattali con rispetto, vi prego. (それは楽器なんだよ、お願いだから大切に扱ってくれ、頼むから)」


 イタリア人か、と思った。

 ウィーンの劇場で働くものは、誰もがイタリア語を話す。いや、ウィーンだけではなくザルツブルクでもミュンヘンでも、劇場に関わるものは誰でもイタリア語が話せなくてはならない。


 なぜなら詩でも音楽でも演劇でも、およそ文化というものはすべてイタリアで発展したものだからだ。イタリア語を解さないものは文化人たる資格はないし、劇場にかけられる劇もオペラも多くはイタリアからの輸入作品だから、演者でも裏方でもイタリア語が出来ないと仕事にならない。


 だが劇場の外に出て、楽器を運ぶ下働きにイタリア語で声をかけるのはイタリア人だけだ。まっとうなドイツ人なら普通の会話にはドイツ語を使う。


 イタリア語で冗談を言って大声で笑いあうイタリア人たちを見るとヴォルフガングはイライラする。理不尽なのはわかっているが、ズルいと感じてしまうのだ。自分は幼いころから遊ぶ時間も削って厳しくイタリア語を仕込まれてきたのに、やつらはそんな苦労もしないで、ドイツの劇場で大きな顔をしている!


 ますます気分が悪くなったので、ヴォルフガングは劇場に背中を向けて元来た道を戻ろうとした。

 すると、

「失礼。もしかして、あなたはモーツァルトさんではありませんか」

 やわらかい声が、イタリア語で彼を呼んだ。


 何で今、よりによってイタリア語。

 そう思いながら不機嫌に振り返ると、チェンバロといっしょに劇場から出てきたイタリア人がいつのまにか彼のそばに来ていて、眉尻を下げたひとなつっこい笑顔を浮かべていた。



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― 新着の感想 ―
当時のヨーロッパの状況が色濃く反映されていて、とても興味深い内容でした。 ドイツなんかは、上流階級はともかく、一般庶民はドイツ語だけで少し下卑された言葉だったと記憶しております。 モーツァルトがイタリ…
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