1 二十歳過ぎればただのひと
雇い主である大司教の館を、ヴォルフガングは憤然と後にした。
そんな話があるか。バカげている。
『猊下は「必要ない」と仰せだ』?
『きみは命令があったときに命令されたことをすればいいのだ』?
『自分の売名のために猊下の名を利用するようなことがあってはならない』?
「ふざけるな」
腹立ちまぎれに館の壁を蹴飛ばしてやろうかと思ったが、門衛がうさんくさげにこちらを見ているので我慢した。上役に注進されて、また何か難癖をつけられてはたまらない。
シュテファン大聖堂へ行き来する人混みの中を歩き出したが、憤懣は収まらなかった。
『猊下の名を利用する』? ふざけるな、だ。
シュタルツァーが声をかけてきたのは、ヴォルフガングの名を知っていたからだ。黄金拍車勲章の意味を知っていたからだ。ザルツブルク大司教お抱えのオルガニストだからではない!
ウィーン音楽家協会の、音楽家の寡婦と孤児の会の、純然たる慈善演奏会なのだ。それに自分が出演したからって、何の問題がある? 自分は無料で出演するのだとちゃんと説明した。やりくり上手の(それは吝嗇という言葉を言い換えたものだと彼は思っているが)猊下の懐を痛ませるわけではない。
キリスト教徒らしく友愛のために行動することの何がいけないというのだろう。彼の演奏を聞くために集まってきた人々が、哀れな寡婦や孤児たちのためにいくらかの金を募金箱につっこむことにどんな文句が付けられるというのだ? 聖職者ならば祝福すべき話ではないか。
あの近習殿は薄ら笑いを浮かべていた、『きみの売名のために』と言ったとき。
なるほど、慈善というのは建前だと認めよう。売名だとも、それの何が悪い?
音楽家たるもの、名前が売れることが何より大切ではないか。皇帝も臨席する演奏会で腕前を披露して、名を轟かせたいと思うのは当たり前のことだろう。自分の評判が上がれば、雇い主である猊下の評判も上がるというものではないか、なぜそう思えない?
(皇帝に会うことさえできれば)
ヴォルフガングは期待していた。
十三年前、父とともに拝謁した折、亡き女大公閣下はご不興だったが、皇帝は彼に興味を示してくれた。オペラを書いてみろと自分に勧めてくれた。
今の自分の技量を見せれば、新しく書いた曲を聞かせれば、きっと皇帝の心をつかめるはずだと彼は確信していた。そうすれば、皇帝は自分と直々に話したいと思うかもしれない。そして、もしかしてもしかしたら、自分のところへ来いと……大司教のところを辞めて……そう望むかもしれない。
もしもそうなったら、一瞬だって迷わずに皇帝のところへ行くだろう、とヴォルフガングは思った。吝嗇家の大司教の、しみったれた宮廷音楽家でいるのはうんざりだった。
『お前は天才だ』
彼が幼かったころ、父親はくりかえしそう言った。
『これほどの才能を持って生まれた子供はヨーロッパ中を探してもいないだろう。お前ほどの才能があれば、どんな宮廷からもお招きをいただける。およそ音楽家が得られる最高の栄誉をすべて、お前なら手に出来るだろう』
彼自身も、それを信じていた頃があった。旅から旅、目にする異国の様々な文物、優雅な宮廷の人々、万雷の拍手と喝采、大人たちの賞賛。
父が語る未来を、幼い彼も信じて疑わなかった。
……けれど結局、誰も自分を宮廷で雇ってはくれなかった。
二十五歳になった自分は父のコネでようやく、父と同じ大司教に仕えている、華やかさも何もないザルツブルクの宮廷で。
自分の才能にふさわしいはずの栄誉、名声、富。それを手にするための階段を、どこで見失ってしまったのか。
かつて『神童』と呼ばれた青年に、三月のウィーンの風は冷たく感じられた。




