62話
ガタン
大きめの石でも踏んでしまったのだろうか、魔法道具で揺れを抑えているのに馬車がしっかり音を立てて揺れた。
馬車旅3日目の夕方。
王城とウハイタリ城の中間に位置するシンヒカー侯爵家はもう目の前だ。
「今日はお風呂に入れるのですよね」
まだ情報が行き渡っていない今の状態でエルダを人目に触れさせたくないとカシモラルが判断しバティンの許可を取って私たちは、シンヒカー以外の家には寄らず野営でここまで来たのだ。
シンヒカーはバティンの実家なので情報共有しておきたいことと、急遽決まった野営だったため日程は短いが途中で補給が必要だったのだ。
『あなたたちは初めての野営ですね。入学すれば3回生で野営訓練がありますから予習と思って今回は見学をしていてください』
そう言って、普段着用とはいえドレスのままバティンが野菜をカットしだしたときは驚いた。
私の側近の子供たちも驚いていた。
私が知ってる(イメージする)貴族令嬢と違うなぁ。
漫画やアニメの貴族令嬢たちが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
軍務は貴族の義務だから騎士にならずとも最低限の訓練を学校で受けるのだと言われて自分も頻度は低いが騎士の訓練を受けている。
しかしそうか、野営もこなすのか。
“最低限”が指すレベルはかなり高そうだと遠い目になった。
「ええ、今日はお風呂に入れますし、寝台でゆっくり眠れますよ」
カシモラルの声に、私の意識が今へ戻る。
野営の訓練は何年も先の話なのだからいったん忘れよう。あと2泊野営の予定が残っているけれど。
カシモラルとムルムルが私のスカートの裾を直し始めた。
もうすぐ到着だ。
「いらっしゃいませ」
「急な日程変更に対応していただきありがとうございます。お兄様」
ザブナッケがいないからだろうか、バティンは侯爵ではなくお兄様と呼んだ。
表情もどこかホッとしているように見える。
ちなみに公爵は最後の儀式があるとかなんとかで、どの公爵も王城に残っている。
ファルファレルロに尋ねてみたが「知らぬ」と言われてしまった。
悪魔は嘘を言わないので本当に知らないのか、私の出した情報が足りないのか、どちらだったのだろう。
「ハーゲンティ様、どうぞ中へ」
そう言ってエスコートするために手を差し出してくれたのはオセーだ。
「荷物を持たせたままにしてしまいましたね」
「いえ、このままで」
私が大きい本を抱えているのを見て、オセーが自分の側仕えを呼んでくれようとしたので止めた。
「この本は、その、人に預けられないくらい大切な物なので」
移動の馬車の中で多少エルダの実験をしたのだ。本は少しの時間なら他人の手に渡せるが、私が戻ってこいと考えなくても勝手に戻ってくる事が分かった。
しかも時間はランダム。いや、ギルティネの気分と言った方が正しいかもしれない。
なので、シンヒカー侯爵家の人たちにエルダの説明をするまでは、側仕えに渡したり、宙を自由にさせずに私が持って移動しようと話し合いで決まった。
出迎えに来てくれていた全員の視線が黄色い本に向かう。
私たちは視線に気が付かないフリをして中へ入った。
王城への行きと同じ部屋が用意されていた。
見覚えがある分、部屋に入った時の緊張が減ったように思う。今日はしっかり眠れそうだ。
お湯の用意もされていて、晩餐の前にゆっくりお風呂をどうぞと侯爵夫人にすすめてもらった。
「生き返るぅ」
お湯に浸かれるの、最高。
野営の道中、交代で見張りをしながら濡らしたタオルで体を拭くくらいはしたがスッキリはしなかった。
たったの2日でお風呂のありがたみを感じることに、少しばかり危機感を覚える。3回生になったとき、私は満足に野営の実習をこなせるのだろうか、と。
「ハーゲンティ様、少し上を向いてください」
「ん。ありがとう、ムルムルもお湯にきちんと浸かってくださいね」
「はい、後ほどゆっくりいただきます」
私の髪を流してくれているムルムルに声をかける。
その声に反応して、エルダがまるでムルムルの手元を覗き込むように移動した。
たぶんだけれど、まるでではなく、本当にエルダを通してギルティネが覗き込んでいるのだろう。顔はついていないけれど。
ワイナモイネン以来の契約者。なら、きっと何もかもが新鮮に見えるのかもしれない。
「楽しそうでなによりです」
言いながら、私はピピッと指をはじいてエルダに水滴を飛ばした。
部屋の前にオセーが立っている。どうやら迎えに来てくれたらしい。
侯爵の城もウハイタリに負けないくらい広いので、道を覚えていない私はありがたくその手を取って夕食会場へ向かう。
反対の手にはもちろん黄色い本を抱えて。
「……食事に、本を持っていくのですか?」
置いていけとは言われなかったが、やはり不自然に感じたのだろう。
私も可笑しいと思ってはいる。
「はい、この本の話もしたいので」
「そうですか。どんな内容の本なのですか?」
「びっくりしますよ?楽しみにしていてください」
そう言いながら歩き出す。
「護衛官をさらに増やしたのですね」
王宮での社交期間に何度か顔を合わせているが、側近が全員そろっている状態で会うのは今日が初めてだ。
護衛ばかりが増えて偏りができていることにオセーは引っかかったのかもしれない。
「まずは身の安全を確保するところから。今後、側仕官や書陵官に迎え入れる約束をした方もいますし、まだまだ側近は増えるでしょう」
何も考えていないわけじゃないんだよ、という言い訳っぽい私の心の声を拾ったのか、手元の本が一瞬震えた気がした。
私はそれをぎゅっと握りなおす。
会場はもう目の前。
待機していたシンヒカー侯爵家の側仕官によって扉が開かれ、私たちは一度も歩みを止めることなく食堂の中へ入っていった。




