8.一階 〜鍛錬開始!〜
■地下迷宮 一階 ナイラ 治癒術師Lv2 商人Lv1
階段を下ってすぐの周辺の壁には
探索者たちの書いた落書きが残っている
『行ってくるぜ!』
『おまえらの健闘を祈る』
『目指せ最下層!』
『地上最強の戦士参上』
『↑ここ地下だよ』
以前に探索に来た時
あらかた読み終わっていたナイラは
新作はないかなと軽く目を通した後で
待たれていることに気付き
小走りでヤムに駆け寄った
「すみません」
「いやいい
つい読みたくなるよな
嬢ちゃんも書くほうか?」
「いえ
今のところ読み専です
ヤムさんは?」
「健闘を祈るってやつ」
「『そして買ってくれ』でしょ」
「分かるか」
ナイラはふふと笑ってうなずいた
二人分の足が乾いた迷宮の床に跡を残す
さすがに小音靴だ
シーンという音が
耳の中で鳴りそうなほど静かなのに
足音の類はひとつも聞こえない
何となく喋りたい気分になったナイラは
後ろからヤムの後頭部を見上げてみたが
彼が真っ直ぐに前を向いていることが分かり
これまた何となく話しかけるのがはばかられた
迷宮に来たのに何事もなく
一時間くらい歩いただろうか
ナイラは重たい靴と荷物に辟易して
少し歩調を緩めた
だがヤムの歩くスピードは変わらないので
距離が空き始めてしまう
彼女は慌てて後を追った
「何だ嬢ちゃん
もう休憩か?」
「そろそろ休憩しても
良い頃合いですよ」
「そうだな
初日だし無理はいかんか」
初休憩を勝ち取って
ぐっとこぶしを握るナイラ
小さく畳んでおいたエアクッションに
空気を食わせて六面体にすると
それに座った
紅茶が入った水筒を傾けて
一緒にクッキーでも持ってくれば良かった
と考えているとヤムから声がかかった
「ところで
もう三回くらい友好的な魔物に会って
戦闘を回避できてたの気付いてたか?」
「──え!?」
え え え え え…………
彼女の高くてよく通る声が
迷宮内に反響していく
あきれ顔で自分の口元に
立てた人差し指を持ち上げたヤムは
肩をすくめて言った
「しーっ
声でかい」
「すみません
でも本当ですか?
三回も?」
「本当にソリストでいくなら
索敵の技術は基本中の基本だからな
分かるようになっとけよ
自分の周囲に
何かが触れたら大きく揺れる
のれんがあるイメージだ」
「そののれんは魔力製ですか」
「もちろん」
「ん……ん?」
自分でものれんをかけてみようと
そう思っただけだ
ナイラは目を閉じて前後左右
三百六十度だけでなく
頭上にも意識を向けた
すると──ふわりと
頭の上から何かが触れるような感覚があった
恐る恐る目を開けると
光がかろうじて届く天井に
べったりと張り付いて広がっている
黄緑色の粘性の液体が見えた
「〜〜〜〜〜っ!!!」
視線は液体に固定したまま
彼女はがばっと勢いよく立ち上がる
手探りでフタを閉めた水筒を
背に負っているバックパックの
サイドポケットへ入れる
音を立てずに六面体を取り上げて
前に抱えた
「──ヤムさん、ヤムさん……!」
「そんなに敵対せんでもアレは──
? ぅわっ
いきなり赤くなりやがった来るぞ!」
逃げろ!
叫んで走り出すヤム
踏み切るタイミングは
ナイラのほうが確かに早かった
が
足は圧倒的に彼女のほうが遅かった
走っても走っても
赤スライムの射程範囲から
抜け出せない
遠くからヤムの声が聞こえた
「マジかおまえ
遅すぎるわ!」
「だって荷物が多いんですもん!」
「それにしたって酷すぎだろ!
一階のスライムなんか
この迷宮内で最鈍足のモンスターだっつの!」
くそ!
と吐き出すように言って
戻ってきたヤム
彼はナイラから六面体を取り上げると
赤スライムに向けて構えた
「殺しませんよね!?」
「契約は必定だ──やらねえよっ!」
左手で固定した六面体に向けて
右手を振り抜く
すると中に篭っていた空気が
突風となってスライムを吹き飛ばしていった
ナイラは胸の高さに持ち上げた両手を叩いて
小さな拍手喝采を彼に送るのだった
それを見たヤムはうれしくもなさそうに
仏頂面になって小さくなったエアクッションを
彼女に渡しながらこう言うのだ──
「毎回迷宮を出る前に
五十メートルダッシュ五本だな」
「あの
まさかそれって荷物を背負ったまま
なんてことは──」
「ありありだぞ」
「鬼〜」
愛のムチだ
と返して胸を張るヤム
ナイラはげんなりしながらも
体を鍛える必要性はひしひしと感じ
次の進むべき方向を指差す彼にうなずいた
そこからは索敵ゲームが始まった
歩きながらナイラが気付いた
魔物のいる場所を
そこだここだと指をさす
当たると背中の荷物を減らしてもらえるが
外したり見逃したりすると増やされてしまう
荷物がいよいよ重くなりすぎて
歩けなくなるとゲームオーバーだ
背負う荷物の量を元通りにして
次の勝負が始まる
二回目はナイラが勝った
ヤムの場合は歩けなくなることはないので
バックパックの中に入らなくなるまでを
決勝点にして競ったところ
彼女の荷物の五分の三が彼に渡った時点で
勝ちが決まった
ナイラが小躍りして喜んでいると
何か罰ゲーム決めるかとヤムが言うので
地上に戻ってから一杯おごりがいいと決めた
初日の勝負はヤムの勝ちだった
ナイラが迷宮の出入り口に近い直線コースを
五本ダッシュしている間
彼は何をおごってもらおうかなと
ほくほく顔で考えていた




