7.五階 〜憧れのリドル階は予想よりも〜
■地下迷宮 五階 ナイラ 治癒術師Lv4 商人Lv2
悪夢を見た夜も見なかった朝も
起きる前までのことを覚えている
懐中時計の表示は午前七時
ナイラは寝ている間に
致命的な失敗はしなかったのだなと
胸を撫でおろし
朝食をとってからテントを畳んだ
五階は部屋がない
部屋というか内側を仕切る壁がない
柱が等間隔に並んで
磨き抜かれた天井を支えている
艶々と光る黒い床は天井と同じ素材のもの
表面に浮かぶマーブル模様が薄ぼんやりと光っている
光っていることを確かめたくて明かりを消したが
さすがにこれだけでは歩くのに足りないと
ナイラは光石を点け直した
前後左右
今は何も見えないが
少し進めば黄色の光を纏った大きな鹿が姿を現す
顔は東洋の龍に似て尻尾は牛のよう
光と同じ黄色の毛皮
あれを求めて戦闘を仕掛けた
恐れ知らずのパーティもいたらしいが
まがりなりにも相手は神だ
倒せた者はいないと言う
守護神・麒麟
五階の主にしてこの地下迷宮の中ボス
東西南北に配置された四神を従えて
自然界の総ての事象を司る
一説によると五階を支えることによって
この迷宮の一階から十階までを守っているのだという
それは神の名に相応しいわざ
よくそんな守り手を
亡きものにしようと考えたものだ
ナイラは肩をすくめて
荷物を背負い直した
今回設営した場所は
四階に続く階段からほど近く
フロアの南東隅にある安眠ポイントだ
地図によると麒麟がいるフロア中央付近にも
ここよりは若干狭いながら
同じようなポイントがあるらしい
そこを拠点にするつもりでテントを運んでいる
「なんで転送ペグって
地上では売ってないのかしら
あったら絶対買うのに……」
それは二本ずつセットになっている
銀色の手のひらサイズの杭だ
片方をテントに仕込んでおいたら
もう片方を持っているところに
そのテントを転送することができる
二階で話題になった時
ヤムから買っておけば良かったと
後悔しても始まらない
迷宮内の商人は必ず持っていると言うから
油断していたのだ
まさかこんなに商人に会わないとは
思わなかったナイラである
それでもヤムが
重たい荷物を背負っての五本ダッシュなど
鍛えてくれたおかげで
何とかなっている
師匠の教えは確かに役に立っているのだ
ナイラは黄色の光が
自分の爪先を照らす距離までくると
麒麟に声をかけた
「麒麟様
ごきげんよう
あなた様の貴重なお時間を
少々いただけないでしょうか」
「ほっほほ
これはまた
丁寧な挨拶じゃんね
爺はおぬしの
話を聞きたい気になっただよ」
密かに神様の威厳を期待していたナイラは
その言葉を聞いて内心で肩を落としまくった
なんぞこれ
でも気さくなのは悪いことじゃない
彼女は気を取り直して礼を言うと
麒麟の前に立った
「話と言っても特別なことではなくて
私にも謎を与えて
いただきたいなと思いまして」
「なにおぬし探索者なの
急ぎだだ?」
「何だと思ってたんですか
いえ麒麟様のお話に
付き合うくらいの余裕はありますよ」
「ほほっ
分かってくれるだ
爺は退屈だでね
まあ寛ぎましょ」
長丁場の予感
お言葉に甘えて
ナイラは六面体をふくらませた
それに腰かけて水筒を傾ける
麒麟も床に座り込んだ
でもまだ大きく感じる
ナイラは小首を傾げて聞いた
「床の上に直に座って痛くないですか?
寝袋や毛布ならありますよ」
使いますか?
問いかける人間の娘へ
神は首を振って答える
「腹側は頑丈な鱗で覆われてるだ
けどありがとう
それにしても
珍しい女子だだ
この爺相手に
世間話だけでも驚くことだけんど
深い気遣いにも痛み入るだ」
礼をと言いながら麒麟は逆に
顎を上に向けて喉をナイラに見せた
ぱっと見は威張っているように見えるのだが
ナイラは突っ込む前に思い直す
あのがら空きの喉は
もしや麒麟の弱点ではないだろうか
それを惜しげもなくさらしてくるなら
確かに礼なのかもしれない
ナイラはお辞儀をして応えた
「麒麟様
これまでのお話しからして
おしゃべり好きそうなイメージなのに
あんまり付き合ってくれるかた
いらっしゃらなかったんですか」
「左様左様
だから爺は退屈だっただ」
「へええ
そしたら何か質問しちゃおうかな
そうたとえば──
麒麟様をはじめとする方位神様方は
普段何を召し上がっているんですか?」
「ふむ
それぞれ好みがあるだよ
ちなみにこの爺は何だと思う?」
「えええ何だろう
──霞とか?」
「ほっほっ仙人とは違うだ」
「え
仙人て本当に霞食べるんですか」
「爺の友に仙人がいるが
もう二百年は霞だけで過ごしてるだよ」
「うえ〜
うれしくない〜」
小柄でありながら
割と食べることが好きなナイラである
眉間に皺を寄せて唇を尖らせた
「爺は旨味のあるものなら
何でも食べるだ、
最近では特に鰹節に嵌ってるじゃんね」
「はあ
かつおぶし……どんなのですか?」
「今度な
地上に戻ったら漁師に聞いてみましょ
鰹という魚を燻製にしているらしい」
「ふうん……なんか美味しそうですね
もし良いのが手に入ったら持ってきます」
「気遣いじゃんね
その折には謎の答えの手がかりをやりましょ」
ナイラはその言葉を聞いた途端
見開いた両目をギラリと輝かせた
ヒントに目がないのだ
彼女はびしっと右の人差し指で
麒麟を指さすと念を押した
「本当ですか!
それそれ私
忘れませんからね
覚えててくださいよ麒麟様っ」
「ほほ
いい約束事だで」
ナイラの目からはよく分からなかったが
どうやら麒麟は笑っているらしかった
それからしばらくの間
二人はたわいもない話で
時間を潰してから
ようやく本題に入った
「この階の転送陣を開放するための
謎を聞きたいとのことだっただ」
「はい
お願いします」
五階から六階に行くには
フロア中央にある転送陣を使う
それを守っているのが麒麟だ
麒麟が出す謎に答えるために
東西南北にいる四神から
ヒントをもらうのが五階の正しい攻略方法
攻略地図には答えもヒントも
何なら謎でさえ
そのものは載っていない
自分の足で稼げということか
噂では五階の謎は挑戦者に合わせて
その内容が変わるらしいが
そのせいかもしれない
麒麟はすぐには語らずに
ナイラをじっと見つめた
「生まれも育ちも
温暖な
過ごし易い国じゃんね
海と山とに囲まれた
古い都
風光明媚な観光地」
「…………! 麒麟様、それ」
「おぬしの生まれを読んでみた
間違ってはないだ」
「すごいすごい! 何か占いみたい!
かっこいい〜」
「ほっほほ
もっと褒めましょ」
「んーん
それはしない」
「シビアな娘だ」
鼻先で床を撫でる仕草が
どうやら喜んでいるようで
それへナイラはにべもなく首を横に振った
普段は神として崇められている麒麟にとっては
それは珍しい対応で思わず笑みがこぼれる
麒麟は大きな漆塗りの椀の中にある
淡い茶色の飲み物を長い舌で絡め取りながら
またほっほと笑った
「それで?
謎と私の出身地と何か関係が?」
「ああ
マスターに釘を刺されてるだ
探索者が確実に回答できない謎は出すなと」
「ます……たぁ?」
「知らないだ? 最下層にいる
──おぬしらの言葉でいうところの
『ラスボス』じゃんね」
そもそもこの地下迷宮は
ラスボスしか持っていない伝説の財宝を
隠して保管するために造営されたものだというのが
探索者の間でまことしやかに語られる噂話だ
高レベルの探索者はみんな狙っている宝物
ナイラだって運良く十階まで到達したら
せめて見せてもらえないかと
かけあうつもりがある
「ラスボスなら話だけは知ってます
何でも戦闘に勝つと財宝を譲ってくれるとか」
「ふむ
それは願望だだ
あの方はまだ一度も
誰かに負けたことはないだよ」
「あ……そうなんですね……」
──勝ち負けじゃなくていいから
ただお話ししてみたい
不意にわいた感情はそれこそ願望
ラスボスと仲良くしたいなんて
しかもこんな風にお茶を出来たら
最高だなんて
「如何した?」
「……あ
すみません何でもないです
えっと
どこまで話しましたっけ」
「謎を与えようとしていただ
準備しましょ」
「あっとメモメモ──はい、お願いします」
「『二つの暗闇と二つの光明
一つ足の影が描いた円を
三つの尾がたどる
すべてのものに平等に与えられながら
残酷なほど明らかな差が生じる
それは何か』」
「…………」
ナイラは謎を聞き終わると
やや小ぶりな口を小さくぽかんと開いた
「どうしただ唖然として」
「ええと──方位神様方から
ヒントをもらってきてからしか
チャレンジ出来ないってお話でしたよね?」
「そうなるね
何──まさかおぬし
もう挑戦したいだ」
「だってそんな解りやすいの!」
「解り易い言うな!
確実に解らないであろうものを
省いた結果だで
むしろ感謝してほしいくらいじゃんね」
「ええ〜憧れのリドル階の謎が
こんなんとは」
「こんなん言うな!
更に酷くなっただ!」
ナイラは始めこそそんな風に
難色を示していたが
考えてみれば確かに
既に知識として得ているものを
答えに置いてくれるのは
麒麟の気遣いで間違いない
渋々しているのは申し訳ないかと思い直して
ぺこりと頭を下げた
「文句言って申し訳ありません
麒麟様のお気遣い
ありがたく受け取ります
──方位神様はどなたから訪うべきか
順番というか序列というか
そういうのありますか?」
「おぬし反省できるところは
可愛らしいじゃんね
──いや? 誰が偉いとかは聞かん話だで
この爺もあの四神と位としては同じなんよ
ただ
答えに目星がついているのであれば
自ずと順序も分かるはずでしょ
東は青龍。その次の南は朱雀だだ」
「あー……なるほど?
試してみますね」
ナイラはその後
安眠ポイントに予知夢テントを張って
荷物をすべて設置すると
ナップザックに
水筒と筆記具だけ入れて
背に負った
後の所持品といえば光石の杖くらいなものだ
ともあれ襲ってくるモンスターもいないことだし
めいっぱい楽しもう
そう思った
待ちに待ったリドル階の探索が始まる
* * *
麒麟がいたのは五階の中央だ
青龍が東にいるのなら
真っ直ぐそちらへ進めば良い
ナイラは楽観的だった
が
それが甘い考えだったことを
すぐに思い知ることになる
石の光が青龍に届くころ
彼女は突風に飛ばされて
麒麟のいた場所から
そう離れていないところまで
強制移動させられていた
何が起こったのか
理解できないナイラである
ぽかんと口を開けて東の遥か先
今は暗闇ばかりがあるところを見つめている
「ほっほほ
青龍の風で
こんなところまで戻ってきたのは
おぬしが初めてじゃんね」
「麒麟様!
今のって青龍様の力なんですか?
私 嫌われてます?
まだお会いしてもないのにー」
「いやいや安心するだよ
青龍は全員にやるだ
試練として」
「試練?」
「無償で手がかりを得られるはずないでしょ
四神それぞれが試練を用意して
おぬしを待ってるだ
楽しんで励みましょ」
「会う前からそんな試練〜」
「ほっほほ」
それからも毎回風に飛ばされる中で
ナイラにも分かってきたことがあった
風が当たる際に立っていた位置によって
飛距離が変わるのだ
大抵左に避けると回避できるようである
それと風とぶつかる前には必ず
微かながら風の唸り声が聞こえる
合わせると
→風の声が聞こえる
→左に避ける
→風を回避可能
そうして青龍に
近づいていくことができる
おそらく左に避けるというよりも
ここでも
『定められた方向へ一周する』
というのが求められた解決法なのだろう
──そういえばスフィンクス様に
ディスペルをかけた時も
あの方を中心にすえて回ったっけ
また耳の中が鳴った
青龍にはだいぶ近付いてきた
ブルーのドラゴンを想像していたが
森を思わせる緑色だ
顔は麒麟と似ている
いや反対で麒麟が青龍に似ているのか
身体はまるで尾の長いトカゲに
背びれがあるような
ナイラは張り上げなくても声が届く距離まで来ると
青龍にも麒麟と同じように挨拶を向けた
「ご機嫌よう青龍様
貴方様の貴重なお時間を
少々いただいてもよろしいでしょうか?」
「ははっ
よう探索者
悪かったな何度も吹っ飛ばして
暇だったから気にすんな
用事はヒントだろ?」
麒麟の時にも
その気さくさに驚いたが
青龍はそれに輪をかけていた
まだ若そうな声のおかげで余計だ
人間で言えば二十代半ば頃の
青年の声口調
ぽかんとしていたナイラは
ヒントと言われて
慌ててメモ帳を取り出した
「はい
ええと謎は……」
「ああいい
麒麟から伝わってるから
アンタもう答えも分かってるんだってな?
やるじゃん」
「簡単、です」
「ヒントなんて要らないだろーけど
ジャマになるもんじゃないし持ってけ」
「ありがとうございます!」
「──『其は場合に依て
三つにも四つにも分かれて
考えられるものである』」
ナイラは短いヒントを
丁寧に書きつけていく
その後うーんと唸りながら
メモ帳をしげしげと眺めた
「どうよ
アンタの答え
合ってそうか?」
「私の答えは合ってると思いますけど
なんかこう──分けて考えるなら
三、四じゃなくて
うーん
今回のヒントは謎の前半部分に
関係してるのかな?
うん」
「あー
まあ悩め悩め
そのほうがリドルは楽しいわ!」
青龍が長いヒゲを前足でしごいた
ナイラが脳に栄養を送りたいから
おやつ用に持ってきていたクッキーを
食べてもいいかと聞くと
青龍の様子が前のめりになる
忘れていたが青龍は甘味が好物だそうだ
ナイラは東洋の神でも西洋の焼き菓子を
楽しめるかどうか不安だったが
ものは試しと献上してみた
「お
これなかなか」
青龍の頭上にはハートマークが
ぷかぷかしていた
ナイラは安堵して
自分用に残しておいた分のクッキーをかじる
最後に水筒を傾けて
奪われた水分を補給すると
次の場所へ向かうべく
青龍にひとつ辞儀をした
「おい姉ちゃん待てよ
そう急ぐな」
「はい?」
彼女は引き止められて動きを止める