5.四階 〜階層を下るごとに待つのは厳しい現実ばかり〜
■地下迷宮 四階 ナイラ 治癒術師Lv3→4 商人Lv2
エレベーターが大きな音を立てて止まった
音だけでなく振動もかなりのもので
ナイラはカゴの底が抜けるかと思って
側面につかまってかたく目を瞑った
「……つい、た……」
長く尾を引く振動と騒音が
両方とも消えてなくなると
ナイラは恐る恐る片方ずつ目を開いた
頭上からの明かりが届く範囲は
二ブロックほどだろうか
そっと床を踏みしめて
エレベーターから抜け出す
消していた光石の明かりを灯して
周囲を確認する
三階は湿気っていたのに
四階はかなり乾燥しているようだ
こんこんとからっ咳が出る
彼女はいくつか買っておいた
麻痺予防のアメ玉をひとつ口に放り込んだ
すると索敵のれんの効果が切れた
冗談ではない
あれがなくなるとソロ探索は無理だ
彼女は慌ててのれんを展開し直した
その時だ
急スピードでこちらへ向かってくる
モンスターの存在が感じ取れた
まだ四階の心の準備ができていない
ナイラは蒼白になって
隠れ場所を探し
左右に目を配った
だが良い場所は見つからない
見つかるまで走らなければ
しかし足も背も重たい
背中の荷物は大概ヤムに渡してきたが
テントは背にしたままだ
──えーん重たいよー
やっぱり浮遊の羽根が必要だよー
こんなところで死にたくない
生きてやる生きてやる
だって私
私──
「まだお礼してもらってないんだからー!」
物欲にまみれた魂の叫びが
静かな迷宮内にこだまする
それに呼応するかに
後ろから追ってきていたモンスターが
雄叫びをあげて彼女の前へ回り込む
ナイラはごくりと喉を鳴らして
こっそりとポケットに手を入れた
中には煙玉がいくつか入っている
そのうちのひとつを汗ばむ手で握りしめて
真ん丸い目でモンスターを見つめた
目の前にいるのは
背中に翼を生やしたスカンク
ウイングスカンクと言えば
見た目の可愛らしさと裏腹に
強い毒素を身に帯びて
ガスとともにそれを噴射してくるという
しまったと彼女は内心で舌打ちする
毒消しは持ってきていないのだ
状態異常解消の魔法もまだ使えない
あれはレベル4で解放されるのだ
一か八か
煙玉を振りかぶって
床に叩きつけようとした
その瞬間
きぃきぃと訴えかける声を発して
スカンクが首を左右に振ってみせた
それからそれは後ろ足で立ち上がり
空いた両手をこちらへ見せて
降参の意思表示をする
ナイラは持ち上げていた右手を
少しずつわきへ下ろした
目線は外さないままだ
高速移動で追ってきたから
てっきり敵対的なモンスターかと思ったが
どうやら違うらしい
「何か用事があるの?」
人語は話せないらしいスカンクが
頭だけ上から下へと動かした
うなずいている様子だ
「怪我をしているようでもないし
……困ったわね
売り物はヤムさんにあげてきたのよ」
動物がまた首を左右に振ってから
鼻先をナイラの口元へ近づけてきた
「あ! この飴が欲しいの?」
うんうんと縦に振った頭を固定して
今度は口をあーんと開けるスカンク
ナイラは同じ飴をその舌の上に乗せた
スカンクは羽ばたきながら踊って見せると
四つ足歩行に戻ってどこかへ行ってしまった
後に残ったのは羽根が二枚
床からわずかに浮かんでいた
「羽根? もしかして……」
拾い上げたらナイラの身体が
屈んだ姿勢のままで
ぷかりと浮かんだ
「ぅひゃ?」
不安定な体勢をキープできず
浮かんだ状態を保ちつつ前転したら
背中の荷物が床のスレスレを
振り子のように前後した
まるで鉄棒で遊んでるみたいだ
ナイラは振り子の揺れが収まると
羽根から手を離した
どさっと音がして
背中から床に着地する
「いたた……もう」
手から落ちた羽根はまた
床の少し上に浮かび
まるでナイラを笑っているかのようだ
意趣返しにと軽く飛んで
羽根を上から踏み付けた
すると靴の底がいい感じに床を離れた
こうやって使うものだったのか
ナイラは足が軽くなったのを
確かに感じて小躍りした
直線の通路を走ってみて
これまでよりも速く走れるのを確かめてもみた
そうそうこれこれ
何度もうなずいたナイラだが
浮遊の羽根のもうひとつの効力に気付くのは
それからしばらくしてからだった
* * *
「……」
床に転がした光石の杖の周りを
蛇の尻尾を持ったニワトリがうろうろしている
三階でエレベータートークンをくれた
ニワトリと比べるととてもスリムで
俊敏な動きを見せるニワトリだ
残念ながらかなり敵対的なモンスター
あれの名前はコカトリスという
石化や麻痺といった状態異常の特殊攻撃をしてくる
やっかいな相手だ
麻痺は飴で予防できるからいいとして
問題は石化である
治療してくれる仲間がいないソリストにとって
石化は即死亡を意味する
予防のために
薬液を作らなければならないが
素材が足りない
いくら戦闘から逃げても
離脱前に向こうから仕掛けてくるものは
どうしようもない
だから今ナイラは
戦闘が始まらないように
モンスターの索敵範囲に入らないように
必死だ
通路の天井近くまでへと空気の階段を登り切ると
その後も同じ高さをキープして
敵がどこかへ行ってくれるのを
じっと待っている
本当ならモンスターの頭上を
身を屈めて進んでいくのが良いのだが
床に置いてある明かりが必要なので
モンスターが立ち去るのを待つしかないのだ
コカトリスが杖をくちばしで
つんつんとつついている
ナイラは半泣き状態で
早くどこかへ行ってくれと祈った
モンスターの頭上で長時間
屈んでいるのがつらくて
階段を踏んでいる足を入れ替えた
音を立てないように
そーっと動いてから
そういえば空中なのだったと
思い直す
気を遣う必要はなかったのだ
ナイラは真下から視線を持ち上げて
足元周辺を見渡した
空気の階段は透明だが
彼女が踏むと辺をなぞるように
淡い緑色の光が走る
風の精霊が干渉しているのだ
ナイラからは見えないが
羽根も同じ色に明滅していた
やがてコカトリスは遠くに去っていき
ナイラの視界から消えた
安堵の吐息が深く深く漏れる
階段を下って床まで下りると
屈めていた腰をぐっと伸ばして
身体をほぐす
ひと心地ついてから彼女は地図を広げた
現在地はエレベーターからさほど離れていない
いったん地上へ戻って必要な物を揃えてくるべきか
しかし地図によると四階には
一階と直接つながっている
安全な移送機構があるらしい
今後の探索に有用なことは明らかだ
ナイラにはエレベーター前のワニを
どうこうできない
それを考えるとここで何とか進むべきだ
──移送機構は
四階中央広間にあり
それをスフィンクスが
守っているという
* * *
地図にある安眠ポイントにたどり着いたナイラは
さっそくそこで予知夢テントを張った
中央広間からほど近い便利な場所だったが
五階へつながっている階段もすぐそばにあり
ナイラのもの以外にもいくつかテントが張られてあった
予知夢テント
その中で眠ってから翌朝テントを畳まずに出発すると
その後に身に負う可能性がある死亡や大怪我を
あらかじめ夢の中で予知できる道具だ
「テントを畳まずに出発する」ことを「セーブする」という
念のため地下迷宮内では小まめにセーブしているナイラである
彼女は早速今回もセーブしてから
五階へのドアの前に立ち
よくよくそれを見つめた
──ドアはあるがノブがない
地図の攻略情報によると
そこを抜けるために必要なのは
スフィンクスのブレスレットという物らしい
スフィンクス
人間の顔に首から下はライオンという異形のモンスター
ただし頭が人間だけのことはあって
その身はただの獣ではない
彼は神獣に分類され
生まれ故郷では太陽神の神殿を守っていたとされる
「神獣ならヒトの言葉を解するはず
あとは交渉次第よね」
ナイラは地図をしまうと階段を上り
中央広間へと足を向けた
そこにはナイラが手に持っている
光石の明かりでは
天井までは照らせない
大規模な空間が広がっていた
日干しレンガの頂上は高く
乾いた砂に覆われた
半球状の広場
その中央に
鎮座しているのがスフィンクスだ
足元から頭の天辺までの高さは
ナイラの身長の三倍はあった
真っ暗な広場の中
朱金色に強い光を放つ神獣は
始めからガァガァグルグルと
狂ったような雄叫びを上げて
ナイラのあいさつに聞く耳を持たない
「スフィンクス様
ごきげんよう!」
「グァア!」
中立のはずのスフィンクスが
敵対的なモンスターとして向かってくる
モンスターとナイラを囲う形で
床の上に光る線が現れた
戦闘フェイズに入ってしまった印だ
「まるっきりただの獣じゃない……!」
知性があるなんて誰が言ったの!?
文句を言っても始まらないと
分かっていても言わずにいられない
ナイラはどこが一番逃げやすいか探って
目で光の線をたどった
線の上に立つのは影の壁
戦線離脱するためには
光の線を越えなければならない
線と最短距離のルートは
途中にスフィンクスの前足がある
仕方なく彼女は距離は長いが直線のルートを選択して
戦闘からの脱出を試みた
荷物はテントの中に置いてきたから身軽だ
そのはずだったのだが
甘かった
彼女が十五歩で進む距離を
スフィンクスは一歩で飛び越えて
追いついてきてしまう
相手は素早さこそないものの
一つひとつの行動が大きく重たい
ナイラはスフィンクスの体当たりを
まともに受けてしまい背中から壁にぶつかった
体内で奇妙な音がする
咳が出てきたと思ったら
口から大量の血があふれてきた
しまった
と思った
治癒魔法を使うには呪文の詠唱が必要だ
それなのにうまく言葉を喋れない
魔法が使えないと
この傷は
治せ
な
誤字報告ありがとうございました!
助かります。
初期の段階ではキャラの名前が違ったんですよね
だいぶ直したんですがまさかまだ残っていたとは…感謝感謝。