3.地上から一階 〜新出発の始まりはじまり〜
■街の広場→迷宮入り口 ナイラ 治癒術師Lv2 商人Lv1
「よう
嬢ちゃん早いな」
曇り空の下
人待ち顔で広場の中央の噴水の前に立っていた娘は
大男が向こうからやってくるのを見ると
片手をあげて出迎えた
言われたことへの答えは
身体に見合わない大きなリュックを
背負い直してから
「初日からお待たせできませんよ
それにもう
わくわくしちゃって
昨日はなかなか寝つけなくて!」
「おいおい
寝不足の探索者なんぞいただけねえぞ
大丈夫かあ?」
「大丈夫です!
善は急げ
行きましょうヤムさん!」
「ここからなら歩いて三十分ってとこか
一階はおれが先導する
後ろから着いてこい」
「はい
よろしくお願いします」
広場の赤茶けた石畳を踏んで二人歩き出す
前を行くヤムが肩ごしに振り向いて
笑み含みの声を投げてよこす
「言った通り
靴は小音細工の物を履いてきたな
よしよし」
「結構高かったんですよこれ
しかも重くて足が疲れちゃいます
足音を抑えるのって
そんなに重要ですか?」
「当たり前だ
ほとんどの階層は闇に包まれてる
モンスターたちは視覚よりも聴覚や嗅覚で
敵の居場所を察知してるからな」
歩きながらの会話は徐々に
作戦会議へと発展して
いつしかヤムの余裕の笑いも引いていった
周囲は街中の喧騒を離れ
静けさの中で木々が茂る森へと変わっていく
道らしき道はなくなり
けもの道だけが残った
その終端を見据えて二人は歩き続ける
「さすがに迷宮に近付けばヤムさんも
真剣になるんですね」
「おまえも気を付けろよ
一階のモンスターは外にも出てくる
入り口付近で遭遇は
ある話だからな」
ナイラがうなずくと
ヤムは自分の幅広いあごに手をやって
彼女をじろじろと見やった
何ですかと問うと
彼は難しそうにうなって念を押した
「おまえ
モンスターと戦いたくないって言ってたが
本当に逃げるだけで先へ進められるつもりか」
「だから『行けるところまで』なんですよ
どうしても無理な理由が現れない限り
私は進みます」
「おれに同行する以上
一階で音を上げたりすんなよお嬢ちゃん
ちょっとは役に立ってもらわにゃ」
「しませんよ!
言ったでしょう? リドル階までは行くんです」
「へー」
期待していない様子のヤム
娘は大きな荷物を背負い直して
憤慨している声音で言った
「それに役になら立ってるはずです
こんなにお店の在庫持たされてるんですから」
「ああそうだったわねー
ありがとお嬢ちゃん」
「むう……」
ナイラは全然納得いかなかったが
ひとまず同行させてくれている
熟練の商人に花でも持たせたかったので
口答えするのはやめておいた
もうすぐ入り口だ
山道に空いているほら穴は内部を覗くと
人工の石段が下っている
そこからは四季を通して涼しい空気が漂い
中には闇が溜まっていて
石段の三段目に立てば
もう照明がないと辺りが見えないほど
ヤムはその前で立ち止まるとしばし考え
それから振り返ってナイラを促して
大樹の影に隠れるように告げた
「なんで──」
「しっ
もう近くまで来てる」
一階のモンスターだと察したナイラは
木陰に身を潜めて自分は植物だと
自身に言い聞かせた
それが彼女にとって一番かんたんな
気配を消す方法なのだ
しばらくすると片目に傷跡がある
淡い桜色のうさぎが迷宮の中から出てきた
まだ一階の半分ほどしか知らないナイラには
それが迷宮の外で出会うのが珍しいモンスターなのか
それともよく出没するものなのかどうかが分からない
うさぎは左右を確認すると迷宮入り口の横にある
枯れ木のうろに入っていった
後ろ姿がかわいい
そう思って和んでいたナイラだが
ヤムはかたい表情を崩さなかった
それだけではない
彼は気配を消したまま立ち上がり
うろに近付こうとしたのだ
それをナイラは彼の手首に触れて止めた
首を左右に振って意思表示をする
彼女のそばに身を屈めたヤムは険しい顔をして
相手の小さい顔を指差す
娘はなおも首を振った
そうこうするうちにうさぎがまた出てきて
ひょこんひょこんと迷宮の中へ戻っていった
ヤムが憤まんやる方ない様子で
ナイラに食ってかかる
「なんで邪魔すんだよ!
あのシーフラビットの耳の毛皮
むちゃくちゃ高く売れるんだぞ!」
「何ひどいこと言ってんですか!
だから止めたんですよ!
うさぎから耳を取ったら死んじゃいます!」
「死んだら食うじゃねえか!
おまえだって食堂で
うさぎの肉が出たら食うだろ?」
「うっ……で
でも
──でも! 食べるためと売るためとじゃ
意味が違うじゃないですか!」
「ん……まあどっちでも良いんだよ
息の根止める時にゃ
感謝の言葉を唱えるんだからな」
「ちょっとヤムさんっ
殺すのは絶対ダメですよ
私と一緒にいる間はやらせませんからね」
同行者がモンスター狩りに積極的だったら
一体何のためにパーティを抜けてきたのか
意味が分からない
ナイラは下から睨み上げて
ヤムをびしっと指さした
「じゃあ同行は2階までだな」
「う
……分かりました
でも最初の約束は守ってくださいよ?
ちゃんと単独行ができるようになるまでは
面倒みてください」
「分かってるよ
商売人にとって契約の履行は絶対だ
そこは心配要らねえ
──ついてこい
迷宮にもぐる前に
ひと仕事あるぞ」
「はい
何ですか?」
先ほどまで険悪なムードが漂っていたのが嘘のように
二人とも平常心に戻っている
そしてヤムは先ほどうさぎが出てきたうろに近寄った
太い腕を穴へ突っ込んで何かを取り出したその手は
枯葉や腐葉土にまみれている
彼が汚れを払って手に握っているものを見せてくれた
ナイラは怪訝そうにそれを覗き込み──目を丸くする
「え
千銀貨? それもいくつも?」
「なかなかやるな」
「ヤムさん他には?
他にもあるんですか」
「よし待て待て」
乗りに乗ったナイラが食いついてくるのに
気をよくしたヤムだ
何度かかき分けてお宝を物色する
その中に黒塗りの鍵が数本あった
そっくり同じものが何本もあるのなら
迷宮の攻略用の道具である可能性が高い
噂ではこの迷宮では攻略に必要な道具は
探索者の数だけ生まれてくると言う
「あのうさぎが盗ってきたもんで
間違いねえな」
「ヤムさんは知ってるんでしょう?
その鍵についてのあれやこれや」
「というと?」
「どこで入手できるのかとか
いつ使うものなのかとか
でも知ってても言わないでくださいね
ネタバレは探索者に対して失礼なんですから」
「はー
そりゃおまえ
めんどくさいやつだな
ま 良いけど」
それなら道具は持っていかないのかと聞かれて
一応やめておくと答えた
「迷宮の外で手に入れるなんて邪道ですよ
でもどうしても手に入らなかったら
その時はここに来ます」
ヤムさんこそ
銀貨とか要らないんですか?
そう聞くと彼は片方の口角を上げた
その手には先ほどの銀貨が一枚だけ握られていた
「一枚だけな
あまりたくさん取るとうさぎに勘付かれて
貯蔵庫を他所に移されることも有り得る」
ヤムは残りのお宝をうろにしまい直して
枯葉や土を被せてカムフラージュすると
さて
と一言もらして立ち上がった
それを追いかけてナイラも腰を上げる
まずはヤムが石段を数段降りて
明かり取りの道具を持ち出し光を灯す
それは小ぶりなランタンのようなもので
腰にぶら下げられるようになっている
それまでヤムの腰から下は
闇に呑まれて見えなかったが
光が生まれたことで
階段の最下段まで見えるようになった
ナイラも光石が頭に付いた小さな棒に
魔力を込めて灯りにしてからヤムに続いた
「光が強すぎるな嬢ちゃん
それじゃモンスターを引き寄せちまうぞ」
「うそ!?
……どっ
どのくらいまでなら大丈夫ですか?
あんまり暗いと怖くて」
「ははあ
今までは積極的に呼び寄せて
経験値稼ぎしてたな
罪なパーティだぜ」
「──うん
そう……
だから一緒にいられなくなったんです」
少し彼女の声のトーンが落ちた
ヤムはパンパンと胸の前で両手を叩き合わせた後
うつむいている彼女の背中を
ばんっと叩いた
わ
と反射でもらす声からは
もう暗い気配は消えていた
「いいじゃねえか
気の合わねえパーティから足を洗って
おかげでおれさまに同行できるようになった」
「自己肯定感
高っ」
褒めたわけではないのだがヤムが胸を張る
何だか大男がますます大きく見えて
それが頼もしさに変わって
ナイラも思わず笑ってしまった
うん
そうだ
これが良い
彼女は光の杖を手に光量を調節して
地下迷宮の一階に降り立った
■地下迷宮 一階 ナイラ 治癒術師Lv2 商人Lv1
階段を下ってすぐの周辺の壁には
探索者たちの書いた落書きが残っている
『行ってくるぜ!』
『おまえらの健闘を祈る』
『目指せ最下層!』
『地上最強の戦士参上』
『↑ここ地下だよ』
以前に探索に来た時
あらかた読み終わっていたナイラは
新作はないかなと軽く目を通した後で
待たれていることに気付き
小走りでヤムに駆け寄った
「すみません」
「いやいい
つい読みたくなるよな
嬢ちゃんも書くほうか?」
「いえ
今のところ読み専です
ヤムさんは?」
「健闘を祈るってやつ」
「『そして買ってくれ』でしょ」
「分かるか」
ナイラはふふと笑ってうなずいた
二人分の足が乾いた迷宮の床に跡を残す
さすがに小音靴だ
シーンという音が
耳の中で鳴りそうなほど静かなのに
足音の類はひとつも聞こえない
何となく喋りたい気分になったナイラは
後ろからヤムの後頭部を見上げてみたが
彼が真っ直ぐに前を向いていることが分かり
これまた何となく話しかけるのがはばかられた
迷宮に来たのに何事もなく
一時間くらい歩いただろうか
ナイラは重たい靴と荷物に辟易して
少し歩調を緩めた
だがヤムの歩くスピードは変わらないので
距離が空き始めてしまう
彼女は慌てて後を追った
「何だ嬢ちゃん
もう休憩か?」
「そろそろ休憩しても
良い頃合いですよ」
「そうだな
初日だし無理はいかんか」
初休憩を勝ち取って
ぐっとこぶしを握るナイラ
小さく畳んでおいたエアクッションに
空気を食わせて六面体にすると
それに座った
紅茶が入った水筒を傾けて
一緒にクッキーでも持ってくれば良かった
と考えているとヤムから声がかかった
「ところで
もう三回くらい友好的なモンスターにあって
戦闘を回避できてたの気付いてたか?」
「──え!?」
え え え え え…………
彼女の高くてよく通る声が
迷宮内に反響していく
あきれ顔で自分の口元に
立てた人差し指を持ち上げたヤムは
肩をすくめて言った
「しーっ
声でかい」
「すみません
でも本当ですか?
三回も?」
「本当にソリストでいくなら
索敵の技術は基本中の基本だからな
分かるようになっとけよ
自分の周囲に
何かが触れたら大きく揺れる
のれんがあるイメージだ」
「そののれんは魔力製ですか」
「もちろん」
「ん……ん?」
自分でものれんをかけてみようと
そう思っただけだ
ナイラは目を閉じて前後左右
三百六十度だけでなく
頭上にも意識を向けた
すると──ふわりと
頭の上から何かが触れるような感覚があった
恐る恐る目を開けると
光がかろうじて届く天井に
べったりと張り付いて広がっている
黄緑色の粘性の液体が見えた
「〜〜〜〜〜っ!!!」
視線は液体に固定したまま
彼女はがばっと勢いよく立ち上がる
手探りでフタを閉めた水筒を
背に負っているバックパックの
サイドポケットへ入れる
音を立てずに六面体を取り上げて
前に抱えた
「──ヤムさん、ヤムさん……!」
「そんなに敵対せんでもアレは──
? ぅわっ
いきなり赤くなりやがった来るぞ!」
逃げろ!
叫んで走り出すヤム
踏み切るタイミングは
ナイラのほうが確かに早かった
が
足は圧倒的に彼女のほうが遅かった
走っても走っても
赤スライムの射程範囲から
抜け出せない
遠くからヤムの声が聞こえた
「マジかおまえ
遅すぎるわ!」
「だって荷物が多いんですもん!」
「それにしたって酷すぎだろ!
一階のスライムなんか
この迷宮内で最鈍足のモンスターだっつの!」
くそ!
と吐き出すように言って
戻ってきたヤム
彼はナイラから六面体を取り上げると
赤スライムに向けて構えた
「殺しませんよね!?」
「契約は必定だ──やらねえよっ!」
左手で固定した六面体に向けて
右手を振り抜く
すると中に篭っていた空気が
突風となってスライムを吹き飛ばしていった
ナイラは胸の高さに持ち上げた両手を叩いて
小さな拍手喝采を彼に送るのだった
それを見たヤムはうれしくもなさそうに
仏頂面になって小さくなったエアクッションを
彼女に渡しながらこう言うのだ──
「毎回迷宮を出る前に
五十メートルダッシュ五本だな」
「あの
まさかそれって荷物を背負ったまま
なんてことは──」
「ありありだぞ」
「鬼〜」
愛のムチだ
と返して胸を張るヤム
ナイラはげんなりしながらも
体を鍛える必要性はひしひしと感じ
次の進むべき方向を指差す彼にうなずいた
そこからは索敵ゲームが始まった
歩きながらナイラが気付いた
モンスターのいる場所を
そこだここだと指をさす
当たると背中の荷物を減らしてもらえるが
外したり見逃したりすると増やされてしまう
荷物がいよいよ重くなりすぎて
歩けなくなるとゲームオーバーだ
背負う荷物の量を元通りにして
次の勝負が始まる
二回目はナイラが勝った
ヤムの場合は歩けなくなることはないので
バックパックの中に入らなくなるまでを
決勝点にして競ったところ
彼女の荷物の五分の三が彼に渡った時点で
勝ちが決まった
ナイラが小躍りして喜んでいると
何か罰ゲーム決めるかとヤムが言うので
地上に戻ってから一杯おごりがいいと決めた
初日の勝負はヤムの勝ちだった。
ナイラが迷宮の出入り口に近い直線コースを
五本ダッシュしている間
彼は何をおごってもらおうかなと
ほくほく顔で考えていた