10.五階 〜解かれた謎の後に残るものはわずかの名残惜しさ〜
「はい
方位神の
──四神のみなさまから」
「よくじゃんね
そしたら青龍のものから
順に聞きましょ
得られた手がかりは
爺の謎の解読に
どのように関わっているかも
含めて」
「はい
えっと
青龍様のヒントは
『其は場合に依て
三つにも四つにも分かれて
考えられるものである』
これは……たぶん三つの場合は朝・昼・夜
四つの場合は夜明け・日中・夕暮れ・夜間
──そう分けられると、思いました」
「ふーん
朱雀はどうかね」
「朱雀様のは
『其は進み続けるが故に遅れ
遅れたものは元に戻らない』
とのことでした
おそらく時計の針のことだと思います
私も懐中時計を持っていますが
定期的に遅れた針を進めて
時刻合わせしています」
何となく
麒麟から楽しげな様子が見て取れた
自分の考えかたは
間違っていないということだろうか
そう思ってナイラは
最初ぎこちなかった謎の答えの解説を
徐々に滑らかに
言えるようになっていった
「白虎様は
『めぐりめぐる円の中
人には始まりを知らせ
鳥には終わりを告げる』
と仰ってました」
長く話通しだと
口が乾いて咳が出る
ナイラは一言断って
水筒を口元へ運んだ
「これも解っただ?」
「おそらく
この『鳥』はフクロウのような
夜行性のものを
指しているのではないかと思います
時計の円盤の中で
人に夜明けの目覚めを告げる頃
フクロウたちは休眠に入るので」
「いいね
して最後は
どう?」
「玄武様はですね
えーっとこっちか
『子の間は長く豊かに流れ
老いと共に流れ早くなるもの』
これは私はまだ実感薄いんですけど
歳を取ると一年が経つのが
あっという間になるんですって
そういうことを言いたいんじゃないかな」
ふふ
と麒麟が笑った
何度もうなずいている
「ほらほら
見ました?」
と麒麟のほうを指さして
トヤに見せるナイラ
「合ってる合ってますよトヤさん」
うれしそうに告げるナイラと裏腹
トヤのほうはつまらなさそうに返す
「ふん
一度くらいは
間違えてしまえば
面白いのに
愛想のない娘だ」
「え?
間違えても楽しいんですか
この謎?」
「面白いぞ
(主に俺が)
だからわざわざ
見に来た」
「えー
別件の用事って
それなんですか
そっかぁ
おもしろいの……」
ちょっと気になると
そう思ってしまったナイラだ
いたずら心に逆らえず
麒麟の目の前で
ぐっと右手をこぶしに握る
「麒麟様!
あえて言います!
答えは『朝』!
これです!」
ぶひゃひゃひゃひゃ
と
トヤが悪い顔で大笑いした
麒麟は多分
呆れた表情をしていた
少なくともナイラの目には
そう映った
直後
ぐるん!
と視界が回転した
麒麟の残念そうな声が
どこか遠くから聞こえてくる
「はずれ
もう一度やり直しだだ」
ぐるぐる回る視界は
玄武
白虎
朱雀
青龍
と
これまでヒントをもらった四神の姿を
順に逆走して最後に麒麟の元へ戻ってきた
「そ……走馬燈……?」
「死ぬことはないだけど──なぁトヤ殿」
「あー愉快愉快
本人には見せられないのが残念だな
ナイラ
お前コマみたいに
ぐるんぐるんに回ってたんだぞ
いやあウケたわ」
「それは良いとして!」
「良かったかいね」
声も明らかに呆れている
麒麟へもう一歩
歩み寄ってナイラは聞いた
「麒麟様
さっき『やり直し』って
言ってましたよね
まさか」
「そう
爺のところからもう一度
四神の連中の元を回り直してくるだよ」
「げえぇ!?
めんどくさ!
どうしてくれるんですかトヤさん!」
「いやいや
お前が好きでやったんだぞ?
ぷくく」
「……まあさすがに致し方ない
身から出た錆というものじゃんね」
麒麟が首を縮めた
肩をすくめるような仕草だ
その後で麒麟とトヤが同時に
顎を左右にふりふりと振る
ふぅやれやれ
とでも言っていそうな雰囲気が
二人の全身から漂っている
「まったく……
正答を分かっておきながら
あえて間違える探索者なんぞ
初めて見ただ」
物好きな
と嘆かわしそうに呟く麒麟
「いやいや
ノリが良いのは
悪いことじゃない」
すべての元凶のトヤが
楽しそうに肩を揺らして
晴々とした笑顔で言った
それをじっと見つめていたのは
麒麟だ
神獣は何かを考えているような
素振りをみせたが
不服そうなナイラは
それには気付かなかった
彼女は
はぁとため息をひとつ吐いてから
がくー
と肩を落として言った
「仕方ない……
行ってきますよもう一周」
「えらいえらい
がんばれー」
「くう……
覚えてなさいよトヤさん
ちっとも面白くなかった」
「あくまでお前がやったことだ」
ちっ
と恨めしそうなジト目を
トヤに向けたナイラは
彼に肩をぽんぽんと叩かれて
平素の顔付きに戻った
「それで何が欲しいか決まったのか?
二つまでに絞ったら
両方とも調達してやるぞ
面白いものを見せてもらった
礼も兼ねてな」
「今のところは
特にこれといって
思いつかないですね
その時にならないとなかなか」
「まあここを踏破すれば
いよいよ深階層だ
あれこれ欲しいものも出てくるだろ
急がずとも良い」
この迷宮の中にあるものなら
何でもくれると言っていた
その言葉が本当なら
トヤの存在は
ナイラの最後の切り札に
なり得る
彼女は慎重に考えて
ぎりぎりまで
答えを保留にしていた
闇に溶けて消えていく
彼の姿を見送って
ナイラはいったんテントに入った
セーブするのだ
時計を見れば
もう割と良い時間で
彼女は軽めの食事をした後
消えていなかったメモのヒントを
一通り読んでから
目を閉じた
* * *
朝食は麒麟と食べた
ひと口ずつ分けようという話になって
ナイラはオニオンコンソメスープを
麒麟はすまし汁を
ひと口ずつ相手に飲ませた
「ぅわ美味しい!
こんな水みたいな色なのに
しっかり味が出てて!」
「おお
野菜の出汁がしみ入るじゃんね
美味美味」
「麒麟様ってば
こういうのがお好きなんですね
通だ〜」
「ほっほっ
もっと褒めても構わないだよ」
「んーん
それはしない」
それまでにこにこ笑っていたナイラは
悪びれない面持ちで首を左右に振った
麒麟はほほっと笑ったまま呟いた
「本当にシビアな娘じゃ」
ナイラは麒麟は変なおべんちゃらは
必要としていないのだと思った
だからすぱっと切り捨てている
それで良いのだ
気にした様子もない麒麟は
すまし汁を飲み干すと
ナイラへ向けて首を傾げた
「それでナイラ
二周目はまともに答えるかいね?」
「はい
まだ二周目回ってないけど
も〜うこりごり
失敗なんて一度で充分です」
「ほっほっ
それを聞いて爺は安心したぞい
元気で行ってくると良い」
「はいっ」
ナイラは元気に返事をして
麒麟の元を辞した
それからは少しばかり大変だった
青龍には爆笑され
朱雀には小言を言われ
白虎には長々と引き止められ
玄武には呆れられ
四神を一通り回った頃には
夕飯の刻限になっていた
また食べて寝てしまおう
今はリドル階にいるから良いが
基本迷宮内では
何が起こるかわからない
こまめなセーブが必要だ
* * *
「──では聞こうかいね
この爺の出した謎の答えを」
「はい
答えは──『時間』です」
「正解」
微笑み合ったナイラと麒麟は
同じように頷きを交わした
「では正答の褒美に
おぬしに下層への通行手形を授けるだ
利き手と反対の手のひらを出しましょ」
「反対?」
「利き手はよく使うものだで
もし傷でも付いたら使えなくなるから」
「ふうん──って、うひゃあ!」
手のひらを上に向けて差し出した左手を
ばくん! と咥えられたナイラは
思わず声を上げた
獅子舞がやるような風情だ
彼女はまだどきどきしている胸元を
右手の指先で押さえて
麒麟のすることを見守っている
やがて開かれた口から出てきた
彼女の左手のひらには
細かな紋様があしらわれた菱形の図形が
黒の線で描かれていた
「これが通行手形ですか?」
「左様さよう
ここから下の階では
階段を降りるのではなく
転送陣を使って転移することが
圧倒的に多くなるでな
──その印は
ここから八階までの転送陣を
動かす鍵になるものだで」
「この転送陣
八階まで飛ぶんですか?」
「ではなく」
「あうち」
「どこから出てきただ
その都合の良い発想」
「えええ
そんな口ぶりでしたよ?」
「言ってないだ
──ともあれその手形は
五階六階七階八階にある陣を
動かせるものだで
大事にしましょ」
「はい
そうします
ありがとうございました麒麟様
もう一度寝たら出ますね」
五階は楽しかったが
面倒でもあった
繰り返さなくて済むように
セーブしていく
立ち去りかけたナイラを
麒麟が引き止めた
「ところでおぬし
この階に来るのが目標だったと
そう言ってたじゃんね
して
次の目標は決まったかいね」
「あー……特にないんです
後は『行けるとこまで』かな?」
麒麟は目を閉じて首を傾げた
何か考えている様子で
ナイラはそれをじっと見守る
やがて首の位置を元に戻した麒麟は
その瞳にナイラを映して
ぽそりと言った
「あの方に会っていくと良いだ」
「あの方って?」
「マスターだだよ」
「ああ
この迷宮を作ったっていう?
でも十階ですよね
私としても行ければ行きたいんですけど……
どうかなぁ」
「目標は高いほうが良いだ
目指しましょ」
どうしてそんなに熱心に勧めてくるのか
よく分からなかったナイラだ
ただ
確かに魅力的な目標なので
胸中で前向きに検討してみる
十階まで行った探索者も
噂ではいるらしいが
その割に十階がどんな様子だったか
吹聴する者はひとりもいない
──行ってからのお楽しみ
ってことかな?
「そうですよね
この迷宮も
ようやく半分きたばかりだし
まだまだ楽しまないと!」
「そうせ!
そのためにいいことを教えるだ」
「攻略のヒントですかっ
大歓迎です!」
気合を示す握りこぶしで
ずいっと詰め寄ると
麒麟も首を伸ばして
顔を近付けてきた
「財宝を目にしても
決して触らないでいましょ」
「はあ
え?
そうなんですか
ちょっと残念ですね
せっかくのお宝を
見過ごさないといけないとか」
腕組みして眉間に皺を寄せるナイラ
それを見て苦い顔で笑った麒麟は
困ったように言った
「そういうところはさすがに
探索者だいね
でも堪えましょ
命あってのものだねと言うでね」
「はい
覚えておきます
──ありがとうございました麒麟様
長いことお世話になりましたね」
麒麟が笑みに皺を深めながら返す
「なになに
こちらも遥かぶりに
楽しい時間を過ごせただ
ありがとう」
それを最後に麒麟と別れて
予知夢テントで眠りについた
テントを畳まずに出発する
六階へ飛ぶことができる転移陣は
綺麗な円形をしていて
何かの数式がびっしりと書き込まれている
何のことかナイラには分からない
理解できずに動かせるのか心配だったが
左手のひらが
ほんのり温かくなってきたかと思ったら
転移陣が呼応して
昼間と同じくらい
周囲を明るく照らし始めた
か細い音で何か高音域のメロディが聞こえてくる
ナイラは恐る恐る陣を踏む
手形が熱いくらいになると
腹部もほんのりと温まり始めた
身体の芯から徐々に高まり続ける熱
その中心から生まれて
少しずつ広がっていくのは
虚無感だった
自分が薄れて無くなっていく感覚は
酷く不安で
高まっていた熱も
急に冷めてしまって
聞こえていたメロディも
どんどん低音になり薄れていき
やがては聞こえなくなった
いつしか凍えるような寒さの中で
ナイラは自分が一度
『ゼロ』になったのを感じた
そこからだ
再び小さい火が灯るような
わずかな温もりを覚えて
また
急速に熱が広がり
身体を形作っていく心地がした
「ああ」
声が漏れた
その声を耳が拾った
手を握ると確かな感触があった
目を開けると
ナイラをここまで運んできた光が
霧散して消えていくところだった
怖かったけれど
綺麗だった
こうしてナイラは
かつて憧れていたリドル階を後にした




