第3話 ダンジョンの壁は学習する
「直ってるなら、また開ければいい」
レオナが言うのと、クラウスが拳を引くのは同時だった。
「待っ——」
私の制止は、轟音にかき消された。
クラウスの拳が、岩壁に叩き込まれる。
そして、クラウスが後ろに吹っ飛んだ。
正確には、地面に足をつけたまま、三歩分ほど後ろに滑った。
岩壁には傷ひとつない。表面の光の線が、ぼうっと一瞬だけ明るくなって、また元に戻った。
肩の上の私は、振り落とされないよう、クラウスの頭に必死でしがみついていた。
「……上腕三頭筋」
「『おや』と言っている」
「おやじゃないです!」
「ふむ。なら私が」
今度はレオナが剣を抜いた。
目にも止まらない一閃が、壁に吸い込まれる。
キィン、と甲高い音がして、剣が弾き返された。
跳ね返った刃が、レオナ自身の鼻先を掠めていく。前髪が数本、はらりと落ちた。
「アッハッハッハッ! 跳ね返ってきたぞ!」
「笑い事じゃないです! 今、自分の顔を斬るところでしたよ!?」
私はクラウスの肩から滑り降りて、壁に駆け寄った。
松明を借りて、光の線に顔を近づける。
細い線は、ただの模様ではなかった。
規則正しく枝分かれし、ところどころで円を描き、また別の線と結ばれている。
術式だ。
「……『鏡壁』」
「かがみかべ?」
「反射の術式です。受けた衝撃を、そのまま相手に返す。魔導書では中級の防御術式に分類されていて……でも、こんな規模で、壁一面に刻むなんて聞いたことがありません」
そこまで言って、私は振り返った。
「前に来た時、この術式はありましたか?」
「なかったな。普通に殴れば崩れた」
やっぱりだ。
「学習したんですよ」
「学習?」
「このダンジョンが、あなたたちの壊し方を学習したんです! 壁を壊されたから、壊されないように作り変えたんです! だから言ったじゃないですか! ダンジョンのシステムは未解明なのにって!」
「言ってたか?」
「初対面の日に言いました! 机まで叩きました!」
レオナはしばらく考え込むような顔をして、それから、ぽんと手を打った。
「つまり、どういうことだ?」
「壊せないので、ちゃんと謎を解いて進むしかないってことです!」
その時、ずっと黙っていたエルダーが、壁にそっと手を触れた。
白目のまま、光の線をなぞるように指を滑らせる。
「……ネ・ファラ」
ぼそりと呟いて、手を離した。
誰も、意味が分からなかった。
◇
洞窟の奥へと進むと、やがて大きな扉に突き当たった。
石造りの、見上げるほどの両開き。取っ手も鍵穴もない。
扉の中央には魔法陣が刻まれていて、その周りに、四つの窪みが等間隔に並んでいた。
窪みの上には、それぞれ紋章が彫られている。炎、雫、渦、山。
そして扉の上部に、古い文字で一文が記されていた。
「古代語ですね。ええと……『四つの理を示せ。さすれば扉は開かれん』」
「つまり殴ればいいのか?」
「話聞いてました!? 殴ったら跳ね返ってくるんですよ!」
私は扉の前にしゃがみ込んで、窪みをひとつずつ確かめた。
炎、水、風、土。四大元素だ。
本来なら、魔法使いがそれぞれの属性魔法を唱えて、この窪みに注ぎ込むのだろう。
初歩中の初歩の仕掛けだ。四属性の基礎魔法なら、どれも頭に入っている。
「セシル」
背後から、レオナの声がした。
「君は魔法を知っているんだろう? 使えばいいじゃないか」
喉が、ひゅっと鳴った。
詠唱は覚えている。
術式の構造も、魔力の流し方も、注意すべき失敗例も、全部知っている。
それなのに。
「……使えません」
声が、自分でも驚くほど小さかった。
「使ったことが、ないので」
レオナは何か言いかけて、それから、ただ「そうか」とだけ言った。
それ以上、何も聞いてこなかった。
ありがたかった。
自分でも、うまく説明できる気がしなかったから。
私は首を振って、扉に向き直った。
今は、そんなことを考えている場合じゃない。
使えないなら、他の方法を考えればいい。
考えるのは、私の仕事だ。
ゼノン著『術式読解論』、第三章。
何十回と読み返した頁が、頭の中でめくれていく。
——魔法陣は、魔力そのものを読み取るのではない。魔力が引き起こす『現象』を読み取るのである。
「……現象」
もし、それが本当なら。
「レオナさん、クラウスさん、エルダーさん。お願いがあります」
私は立ち上がって、三人に向き直った。
「この四つの窪みに、魔法を使わずに、炎と、水と、風と、土を届けてください」
「魔法を使わずに?」
「魔法陣が読み取るのは結果だけです。炎が魔法で生まれたか、そうじゃないかは、たぶん区別していません」
たぶん、と付けたのは、試したことがないからだ。
本に書いてあったことが、本の外でも本当なのかどうか。私はまだ、一度も確かめたことがない。
「よし、分かった!」
レオナが力強く頷いた。
「何をすればいいのか全く分からないが、分かった!」
「ですよね! 順番に説明します!」
◇
まず、風。
「クラウスさん。壁は殴らないでください。窪みに向かって、空気だけを殴ってください」
クラウスは頷くと、渦の紋章の前で腰を落とした。
拳が、空を打つ。
ドン、と空気が弾けた。
吹き荒れた風圧で、私の体がふわりと浮いた。
飛ばされる、と思った瞬間には、クラウスのもう片方の手が私の襟首を掴んでいた。
渦の紋章が、青白く光った。
「ひ、ひとつ……!」
次に、土。
「エルダーさん、そこの岩を、できるだけ細かく砕いてもらえますか」
言葉が通じているのかどうか、分からなかった。
エルダーは白目のまま、ゆらりと岩の前に立った。背中の大剣に、手がかかる。
剣を抜いた音は、聞こえなかった。
気づいた時には、私の背丈ほどもあった岩が、さらさらと崩れ落ちていた。
砂だった。
一体、何回斬ればこうなるのだろう。
エルダーは両手で砂を掬って、山の紋章の窪みに注いだ。茶色の光が灯る。
「ふたつ!」
そして、炎。
「レオナさん、火打ち石の要領です。何か硬いものに剣を打ち付けて、火花を——」
「硬いもの、だな」
レオナはにやりと笑って、クラウスを見た。
「クラウス、腕を貸せ」
「上腕二頭筋」
嫌な予感しかしない。
レオナの剣が、クラウスの二の腕に振り下ろされる。
ガキィン、と初対面の日に聞いたのと同じ音がして、盛大に火花が散った。
その火花が、炎の紋章に飛び込む。
赤い光が灯った。
「みっつ……です、けど、今の、本当に大丈夫なんですか」
「腹直筋」
「『平気だ』と言っている」
「平気だとしても、私の心臓が平気じゃないです」
残るは、水。
私は自分の水筒を取り出して、雫の紋章の窪みに水を注いだ。
……何も起きない。
「足りないのか?」
「たぶん、量か……それとも、流れが必要なのかもしれません。窪みの奥に、水路みたいな溝が掘ってあります。溜めるんじゃなくて、流し続けないといけないんだと思います」
けれど、洞窟の中に水場はない。
水筒の残りも、全員分を合わせたところで、たかが知れている。
どうしよう。
ここまで来て。
考え込む私の横で、クラウスがゆっくりと膝をついた。
そして、雫の紋章の真上で、腕立て伏せを始めた。
「……クラウスさん?」
速い。
とんでもなく速い。
腕が霞んで見える。
そして、ものの数十秒で、クラウスの全身から汗が噴き出し始めた。
噴き出す、という言葉が、比喩ではなかった。
顎から、額から、腕から。ぼたぼたと、いや、じょばじょばと流れ落ちる汗が、窪みの溝に吸い込まれていく。
流れる水だった。
紛れもなく、流れる水だった。
雫の紋章が、青く光った。
「……認めたくない」
「何をだ?」
「これで開いてしまう扉を、認めたくないです」
四つの光が、中央の魔法陣へと流れ込んでいく。
重い音を立てて、石の扉がゆっくりと開いた。
レオナが歓声を上げる。
クラウスは、満足げに汗を拭った。
◇
扉の先には、細長い通路が続いていた。
床には、紋章の刻まれた石板が隙間なく敷き詰められている。
「ああ、罠ですね。正しい紋章だけを踏まないと——」
カチッ。
レオナが、迷わず一歩目を踏み出していた。
壁の穴から、矢が一斉に飛び出した。
それを、レオナの前に割り込んだクラウスが、胸で全部受け止めた。
矢は、カン、カン、と軽い音を立てて、全部床に落ちた。
「…………」
「…………」
「皆さん」
私は深呼吸をしてから、できるだけ落ち着いた声で言った。
「これからは、私が『いい』と言った場所だけ、踏んでください」
「うむ。そうしよう」
それから先は、私が前を歩いた。
石板の紋章を読み、壁の文字を読み、天井の模様を読んで、ひとつずつ指示を出す。
「右。そこは駄目。次は二枚飛ばして。その柱には触らないでください。エルダーさん、それは食べ物じゃありません。」
三人は驚くほど素直に、言われた通りに動いてくれた。
◇
最深部に辿り着いたのは、洞窟に入ってから、三時間ほど経った頃だった。
がらんとした円形の部屋。財宝の類はない。
中央に、腰ほどの高さの石の台座がぽつんと立っていて、その上に、一枚の石板が置かれていた。
「三時間か」
レオナが、しみじみと呟いた。
「前は、3日かかった」
それから、私の頭に、ぽんと手を置いた。
「ほらな。君が必要だっただろう」
返す言葉が、すぐには出てこなかった。
ずっと、本の中だけの知識だと思っていた。
読んで、覚えて、楽しんで、それで終わりのもの。誰の役にも立たないし、立たなくていいもの。
それが今日、初めて、本の外で役に立った。
「……大胸筋」
隣で、クラウスが言った。
私は、手帳を開かなかった。
開かなくても、分かった気がした。
「……『よくやった』、ですか?」
クラウスが、小さく頷いた。
「おお、正解だ」
レオナが目を丸くする。
私は、なんだか顔が熱くなって、慌てて台座の方へ向き直った。
◇
台座の石板には、古代語で、びっしりと文字が刻まれていた。
「何て書いてあるんだ?」
「ええと……『通達』、だそうです」
指で文字を追いながら、読み上げる。
「『剣士二名、格闘家一名から成る人間の集団による、迷宮壁面の破壊を確認した。これを受け、全迷宮の壁面に反射術式を付与するものとする。また、当該集団の侵入を確認した場合は、謎解きの難度を一段階引き上げること』」
読み終えて、しばらく誰も口をきかなかった。
石板の末尾には、署名の代わりに、紋章がひとつ刻まれていた。
角の生えた王冠。
魔王の紋章だ。
「……つまり」
私は、ゆっくりと言った。
「ダンジョンが勝手に学習したんじゃなくて、魔王が直々に作り変えたってことです。皆さんの壁破りに対抗するために。しかも、この国の全部のダンジョンを」
「なんと」
「魔王は、あなたたちのことを知ってます。それも、かなり警戒してます」
「照れるな」
「褒めてません!」
私は、もう一度石板に目を落とした。
壁一面の『鏡壁』も、この通達の術式も、同じ書き手のものだろう。
無駄がなく、緻密で、どこか癖のある、美しい書き方だった。
敵の術式に見惚れている場合ではないと、分かってはいるのだけれど。
それよりも、問題は。
「魔王がダンジョンをここまで作り変えたなら……魔王城って、もっととんでもないことになってるんじゃないですか」
「アッハッハッハッ! 楽しみだな!」
「楽しみじゃないです!」
踵を返して出口へ向かう私の背中で、誰かがぼそりと呟いた。
「……ヴェナ・イスタ」
振り返ると、エルダーが白目のまま、こちらを見ていた。
まただ。
あの言葉。
どこかで読んだことがあるような気がするのに、どうしても思い出せない。
喉に小骨が刺さったような感覚を抱えたまま、私は洞窟を後にした。
お読みいただきありがとうございます!
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