第九話 村の収穫量を帳簿に書いたら、領主の徴税官が困り始めた
一週間後。
バルガス侯爵の徴税官が、アルト村を訪れた。
「収穫量を申告しろ」
徴税官は机に座り、帳簿を開いた。
その前に、エリクが木の板を並べた。
「これが、今年の収穫記録です」
徴税官は眉をひそめた。
「……何だ、この細かい数字は」
エリクは説明した。
「畑ごとの収穫量です」
「畑ごと?」
「はい。ジャガイモ、トウモロコシ、麦を分けています」
徴税官は帳簿を覗き込んだ。
「……ふむ」
エリクは続けた。
「それから、食用、種芋、種子、保存中に傷んだ分も分けています」
「……なぜ、そんなことを?」
「正確な量を知るためです」
徴税官は顔をしかめた。
「税は、収穫量の四割だ」
「数字が合わないのは、誰かが嘘をついたからとは限りません」悠真は徴税官に言った。
収穫前の見込みと実際の収穫、種として残す量、運搬中に傷んだ量。
帳簿には、それぞれ別の欄が必要だった。
数字を見えるようにすることは、村人を守ると同時に、ごまかしを許さないことでもあった。
「はい」
エリクは頷いた。
「でも、種芋と種子は除外すると、領主様が約束しています」
徴税官は黙った。
「だから、まず次の栽培に必要な量を計算しました」
エリクは板を指さした。
「この分を取られると、来年の作付面積が減ります」
「……む」
「来年の作付面積が減れば、収穫も減ります」
徴税官は腕を組んだ。
「……つまり?」
エリクは真剣な顔で答えた。
「今年たくさん取れば、来年の税が減るということです」
沈黙。
徴税官は、もう一度数字を見た。
そして、ため息をついた。
「……厄介なことを覚えたな」
悠真が微笑んだ。
「数字は、誰にでも同じ結果を示しますから」
徴税官が帰る直前、エリクは帳簿の一行を指さした。
「ここ、昨日の数字と違います」
「どこだ?」
「傷んだ芋の数です。数え直したら、三袋じゃなく二袋でした」
数字は村人を守る武器にも、奪うための道具にもなる。
悠真は収穫総量だけでなく、翌年の播種分、冬越しの最低食料、病害による損失を別々に記した。
徴税官は黙り込んだ。
「隠していたのではありません。最初から、食べられない分まで税に数えられていたんです」
徴税官が目を細めた。
「村に不利になる訂正だぞ」
「分かってます」
エリクは答えた。
「でも、間違いを残したら、ほかの数字も信じてもらえなくなる」
悠真は思わず顔を上げた。
徴税官は黙って数字を直し、控えに印を押した。
「……お前たち、面倒なことを始めたな」
「そうかもしれません」
悠真は言った。
「でも、税を取る側も払う側も、同じ数字を見られるようにしたいんです」
徴税官は返事をしなかった。
去り際に、印を押した控えを一枚だけ置いていった。
エリクはそれを慎重に折りたたんだ。
「これがあれば、あとで数字を変えられない?」
「変えようとする人はいるかもしれない。でも、争う材料にはなる」
悠真は答えた。
「正しい帳簿は、剣より遅い。でも、長く残るんだ」
徴税官は苦い顔をした。
「……領主様に報告する」
その日の夕方。
徴税官は村を去った。
エリクは、ほっと息を吐いた。
「……勝ったのかな?」
悠真は首を振った。
「まだ分からない」
「……どうして?」
「数字が正しくても、相手が受け入れるとは限らないから」
エリクは黙った。
悠真は続けた。
「だから、記録を残すことが大切なんだ」
エリクは頷いた。
「……分かった」
その夜。
王都の穀物商アコギ・ヴァレンの商館に、一通の手紙が届いた。
差出人は、バルガス侯爵。
『新作物の生産量が増加している』
『農民たちが収穫記録を作り、税の軽減を要求している』
『対策について相談したい』
アコギは手紙を読み、静かに笑った。
「……数字を覚えたか」
そして、部下を呼んだ。
「領主様に返事を書け」
「何と?」
アコギは答えた。
「税を減らす代わりに、販売権を商会へ集中させることを提案する」
部下は頷いた。
「承知しました」
アコギは窓の外を見た。
「作る者が増えても、売る者を押さえればいい」
その笑顔には、冷たい計算があった。




