第七十二話 王国中の畑が凍ったので、悠真は十年前と同じ決断をした
アルディナ王国。
王都アルディア。
王宮。
「……北部の収穫見込みが、さらに下がりました!」
農業大臣が報告した。
「ヴァルシア王国でも、同様の被害が出ています!」
「南部は!?」
「一部で冷害が発生していますが、北部ほどではありません!」
会議室には、緊張した空気が漂っていた。
国王アルベルト三世は、静かに尋ねた。
「……悠真」
「はい」
「我々は、どうすればよい?」
悠真は、しばらく黙っていた。
十年前。
自分がこの世界へ来たとき。
王国は、飢えに苦しんでいた。
村人たちは、わずかな麦を奪い合っていた。
エリクの母親は、食料不足で命を落としかけていた。
そして、戦争が起きた。
十万の軍勢が、食料を奪うために国境を越えた。
だが、今は違う。
農業組合がある。
備蓄倉庫がある。
食料輸送網がある。
そして、二つの王国が協力する協定がある。
悠真は、静かに顔を上げた。
「……陛下」
「何だ?」
「備蓄を放出しましょう」
大臣たちがざわめいた。
「……今から!?」
「まだ収穫期ではないぞ!」
「備蓄を減らしてどうする!」
悠真は頷いた。
「分かっています」
そして、「だから、必要な地域から、計画的に放出します」
財務大臣が尋ねた。
「……どれほどだ?」
悠真は答えた。
「まず、被害の大きい村へ、次の収穫まで必要な最低限の食料を送ります」
「……なるほど」
「同時に、種芋と種子を確保します」
「……種も?」
「はい」
悠真は続けた。
「今ある食料を全部食べてしまえば、来年の収穫がなくなります」
国王は頷いた。
「……その通りだ」
悠真は、さらに続けた。
「そして、被害の少ない地域では、可能な範囲で追加の作付けを検討します」
農業大臣が頷いた。
「……分かった」
悠真は、地図を広げた。
「輸送路も確認します」
「北部の山道は、雪で閉ざされるかもしれません」
「だから、今のうちに食料を運びます」
国王は、静かに頷いた。
「……よかろう」
そして、「王国緊急食料支援計画を発動する」
大臣たちが一斉に頭を下げた。
数日後。
アルト村。
「……エリク!」
悠真が呼びかけた。
エリクは、共同倉庫の前に立っていた。
「……悠真!」
二人は、久しぶりに顔を合わせた。
「……北部へ食料を送る」
悠真が言った。
エリクは頷いた。
「もう準備してる」
悠真は驚いた。
「……え?」
エリクは笑った。
「北部で雪が降ったって聞いたから」
そして、倉庫を指さした。
「共同倉庫の余剰分を、輸送できるように分けてある」
悠真は、しばらく黙っていた。
そして、「……ありがとう」
エリクは笑った。
「十年前、俺たちは助けてもらったから」
悠真が顔を上げた。
エリクは続けた。
「今度は、俺たちが助ける番だ」
その言葉に、悠真は頷いた。
「……そうだね」
その日の夕方。
アルト村の広場には、大勢の村人が集まっていた。
荷車。
食料袋。
乾燥トウモロコシ。
麦。
豆。
保存食。
そして、次の作付けに必要な種子。
エリクは、村人たちに呼びかけた。
「……みんな!」
村人たちが顔を上げた。
「北部の村では、今年の収穫が大きく減るかもしれない!」
沈黙。
エリクは続けた。
「十年前、俺たちも飢えていた!」
村人たちは頷いた。
「でも、ベルナ村がジャガイモを分けてくれた!」
「悠真が、育て方を教えてくれた!」
「だから、俺たちは生き延びた!」
エリクは拳を握った。
「今度は、俺たちが助ける番だ!」
その言葉に、村人たちが声を上げた。
「……おお!」
「やろう!」
「北部へ食料を届けよう!」
歓声が広がった。
そのとき。
一人の女性が、エリクに近づいた。
母親だった。
「……エリク」
「母さん?」
母親は、小さな袋を差し出した。
「……これも、持っていって」
エリクは袋を受け取った。
中には、乾燥トウモロコシで作った保存食が入っていた。
「……母さん」
母親は微笑んだ。
「十年前、私は食べ物がなくて、死にかけていた」
エリクは黙った。
母親は続けた。
「でも、誰かが助けてくれた」
''放出案がまとまったとき、財務大臣が赤い線を引いた。
「この量を一度に出せば、来春の播種用まで食べ尽くす」
悠真は反論しかけて口を閉じた。
今の空腹と、来年の飢え。
どちらも人命にかかわる。
「食用と種子用を分けます。種子庫の鍵は二人で管理し、開封には村の代表の立ち会いを」
「配給量は?」
「人数だけでは決めません。乳幼児と病人の分を先に確保する。各地の在庫は毎週見直す」
国王は長い沈黙のあと、署名した。
「わしの名で出せ。足りなくなったとき、責任を民に押しつけるな」
悠真は頭を下げた。
十年前の決断と同じではない。
今度は、次の春を残さなければならなかった。
そして、「今度は、私も誰かを助けたいの」
エリクは、しばらく袋を見つめていた。
やがて。
「……ありがとう」
小さく呟いた。
母親は笑った。
「気をつけて行ってらっしゃい」
エリクは頷いた。
「……うん」
翌朝。
アルト村から、食料を積んだ荷馬車が出発した。
先頭には、エリク。
その隣には、悠真。
そして、カールが護衛を率いていた。
「……久しぶりだな」
カールが言った。
悠真は笑った。
「そうですね」
「また、食料を運ぶことになるとは」
エリクが答えた。
「でも、今度は戦争じゃない」
カールは頷いた。
「……ああ」
悠真は、遠くの山々を見つめた。
白く雪をかぶった山。
その向こうには、食料不足に苦しむ村々がある。
「……行こう」
悠真が言った。
エリクが頷いた。
「……うん」
カールも笑った。
「……出発だ!」
荷馬車が、ゆっくりと動き始めた。
十年前。
一人の異世界人が、五個のジャガイモを植えた。
その小さな畑から、王国の未来が変わり始めた。
そして今。
二つの王国を救うための、新しい戦いが始まろうとしていた。
だが、その日の夜。
王都アルディアの商業地区では、異変が起きていた。
「……食料価格が上がっている?」
商人たちが、掲示板を見つめていた。
麦。
豆。
乾燥トウモロコシ。
すべての価格が、急激に上昇し始めていた。
そして、ヴァレン商会の本店では、アコギ・ヴァレンが新しい報告書を読んでいた。
『北部冷害による収穫減少』
『食料需要の増加』
『保存食の注文急増』
アコギは、しばらく黙っていた。
そして、「……また、食料の値段が上がるのか」
静かに呟いた。
部下が尋ねた。
「……どういたしますか?」
アコギは、窓の外を見つめた。
十年前。
食料を独占しようとした。
農業組合を買収しようとした。
市場を支配しようとした。
だが、今は、保存食の製造と流通を担っている。
アコギは、静かに言った。
「……在庫を確認しろ」
部下が頷いた。
「はい」
「それから、輸送可能な荷車と倉庫の空きを調べろ」
「……はい」
アコギは、しばらく考えた。
そして、「……高橋悠真に連絡を取れ」
部下が驚いた。
「……悠真殿に?」
アコギは頷いた。
「そうだ」
そして、静かに笑った。
「今度は、商売の話ではない」
窓の外では、冷たい風が吹いていた。
「王国が飢えれば、商売をする相手もいなくなるからな」




