第五十六話 水路を作ったら下流の村から苦情が来たので、水を分ける会議が始まった
ヴァルシア王国南部。
新しい水路の完成から一か月後、下流の村の農民たちが押しかけてきた。
「水を返せ!」
代表の男が、底の見える水瓶を机に置いた。
「昨日の夕方、井戸から汲めたのはこれだけだ。上流の畑は青々としているのに!」
上流の村長も立ち上がった。
「こちらだって、苗を枯らすわけにはいかない!」
ルドルフが頭を下げた。
「水路を作った側にも責任があります。まず、川の水量を調べさせてください」
悠真は地図を広げた。
「飲み水を最優先にします。雨の多い日と少ない日を分け、取水の時間と量を記録しましょう」
「誰が見張るんだ」と下流の男。
「両村から一人ずつです。記録は双方の広場に貼ります」
「上流が約束を破ったら?」
「水門の開閉時刻と水位を照らし合わせます。違反があれば両村の代表と役人が調べ、翌日の配分を見直す」とルドルフ。
上流の若い農民が拳を握った。
「下流を助けるために、うちの畑を干上がらせるのか」
下流の代表も譲らない。
「そっちは新しい水路を使った。こっちは何も増えていない」
悠真は図面を閉じた。
「全員の畑を同じだけ守る水はありません」
沈黙が落ちた。
「どの区画を休ませるか、収穫が減る家をどう支えるかまで決めなければなりません」
二週間の暫定協定が結ばれた。
飲み水の優先、共同測定、取水時間の記録、二週間後の再協議。
測量費は水路建設側が負担する。
だが、最初の三日で問題が起きた。
上流の若い農民が、決められた時刻より早く水門を開けたのだ。
下流の監視役が記録を突きつけた。
「約束を破ったな!」
「苗が枯れそうだったんだ!」
上流の村長は若者を叱ったが、若者の母親は泣きながら訴えた。
「去年の不作で借金があるんです。今年まで失敗したら家を失う」
下流の代表は言葉を失った。
彼の村にも、同じような家があった。
ルドルフは水位の記録を示した。
「違反は事実です。だが、罰だけで済ませれば、明日も誰かが水門を開けるでしょう」
悠真は提案した。
「乾きやすい畑から先に水を回す代わりに、上流の一部の区画は今年の作付けを減らす。損失は記録して、二週間後に支援を決める。今は約束を守るための理由も作らないと」
「支援すると言って、金がなかったら?」と若者。
「そのときは、できなかったことも記録します。口約束で終わらせないために」
四日目から、水門の鍵は双方の監視役が一つずつ持つことになった。
開閉には二人が立ち会う。
それでも、すべての苗は守れなかった。
二週間後、上流の一軒の麦畑は黄ばんでいた。
下流の井戸には、飲み水が戻っていた。
再協議の席で上流の若者は言った。
「約束を守った。でも、うちの麦は戻らない」
下流の代表は立ち上がった。
「俺たちの村から、秋の収穫の一部を回す。慈善じゃない。次に水が足りなくなるのは、こっちかもしれないからだ」
上流の村長も頷いた。
「その分、来年は水を使わない畑の試験をする」
握手はまだぎこちなかった。
協定の紙には、収穫減の記録と支援の期限が新たに書き加えられた。
帰り道、ルドルフが呟いた。
「戦争が終わっても、水の取り合いは終わらないんですね」
「はい。でも、誰かが損をしたことを隠さずに済むなら、次の争い方は変えられます」
悠真は川岸の測量杭を見た。
翌朝、上流と下流の監視役が同じ水位を帳面に書き込んでいた。
二人はまだ笑わなかった。
それでも、どちらもその場を離れなかった。




