第五十三話 敵国にジャガイモを持っていったら、元兵士たちが畑の前で泣き始めた
ヴァルシア王国。
国境から三十キロほど離れた村。
馬車を降りた悠真の足元で、小石が乾いた音を立てた。
「ここが、元兵士たちに与えられた農地です」
ルドルフ・ベルナーが示した先には、切り株と石が散らばる荒れ地が広がっていた。
耕せる土地を失った農民も多い。
戦から戻った者に残されたのは、誰も欲しがらなかった場所だった。
数十人の男たちが、悠真の持つ袋を見つめていた。
「本当に、そんな芋で食っていけるのか」
一人が尋ねた。
彼の左手には、剣の柄を握り続けてできた硬いまめがあった。
「育てられます。ただ、種芋だけでは足りません」
悠真はしゃがみ、土をひと握りした。
固い塊は指で崩れず、下には水のたまりやすい層があった。
「石を取り除いて、土をほぐします。水が逃げない場所には排水路を作り、畝を高くする。肥料も必要です。最初の収穫までは数か月かかります」
「数か月……」
男たちの表情が曇った。
「その前に、うちの子が飢える」
誰も反論できなかった。
ルドルフが進み出た。
「軍の残った倉庫を調べる。使える食料を村の人数と日数に分けて計算し、足りない分は国境の交易所へ支援を要請する」
「また軍人が命令するのか」
先ほどの男が吐き捨てた。
「命令ではない。俺も一緒に運ぶ。帳簿は村の代表に預け、誰がどれだけ受け取ったか公開する」
「倉庫が空だったら?」
「そのときは空だったと報告する。黙って種芋を食わせるより、助けを求めるほうがましだ」
「頼んで断られたら?」
「断られた事実も記録する。次の村へ頼むために、人数と不足量を隠さず示す」
悠真は袋の口を閉じた。
「食べるための芋が確保できるまでは、植える分を配りません。種を守れと言うだけでは、腹を空かせた家族を責めることになるから」
男は初めて悠真の顔を見た。
そのとき、畑の端で鍬が地面に落ちた。
「俺は、この村を焼いた側の人間だ」
年配の元兵士が、家の跡らしい黒ずんだ石を見つめていた。
「ここに住んでいた人たちは、俺たちを許すのか」
近くで作業を見守っていた老人が答えた。
「許すかどうかを、お前に決めさせるな」
元兵士は唇を噛んだ。
「だが、耕すつもりなら、石を拾え。明日も、明後日も来い。逃げずに働くところを見せろ」
男は無言で膝をつき、両手で最初の石を持ち上げた。
それを合図に、ほかの者も動き始めた。
鍬の先が石に当たる。
切り株の根は抜けない。
排水路を掘れば、思ったより深く泥が出た。
「こんな土地で本当に育つのか」
「全部は無理かもしれません」
悠真は隠さずに答えた。
「まず小さな試験区を作りましょう。育たなければ、原因を調べて次の畝を変える。失敗した記録も残します」
夕方、ルドルフが戻ってきた。
手には倉庫の在庫を書き写した紙があった。
「倉庫には乾燥麦が残っていた。村の人数で割ると、配給を続けられるのは十二日ほどだ。交易所からの返事は、まだない」
男たちは黙った。
十二日では収穫まで到底足りない。
「明朝、俺が交易所へ行く。返事が来るまで、村の代表と毎日残量を確かめよう」とルドルフは続けた。
老人が手を挙げた。
「この村には干した豆が少し残っている。だが、戦で畑を焼かれた家の分だ。勝手には出せん」
「持ち主に頼もう」と元兵士が言った。
「俺たちが代わりに井戸を直す。断られたら別の仕事を探す」
老人はしばらく男を見ていた。
「明日の朝、家々を回る。麦の残量と一緒に、誰が何を出せるかも帳面に書こう。出さない家を責めるなよ」
「分かっている」
初めて、配給を受ける側と渡す側が同じ帳面をのぞき込んだ。
最初に質問した元兵士が、帳面に目を落とした。
「明日、俺も隣村へ行く。軍服は着ない。村の者として頼んでみる」
老人は小さく頷いた。
「それなら、まずこの村で直す井戸の場所を覚えろ。頼み事の前に、できる仕事がある」
悠真は袋を開き、村の代表が見守る前で試験区のための種芋だけを取り出した。
食用の配給と混ざらないよう、残りは封をして帳簿に記した。
一人の元兵士が、それを土の上に置いたまま動かなかった。
「……俺は、人を殺すことしかできないと思っていた」
ルドルフは隣にしゃがんだ。
「俺も、剣を持っていた時間のほうが長い」
「今日やったことが、償いになるとは思わない」
「ならなくても、明日また来い」
男は頷き、種芋に土をかけた。
「……ああ。明日も来る」
石だらけの荒れ地に、まだ緑はない。
それでも、その日の終わりには、細い畝が一本だけまっすぐ伸びていた。
かつて剣を握っていた男たちが、誰かの明日の食事のために作った、最初の畝だった。




