第二十九話 敵軍の若い将校が停戦を求めたので、ハインリヒ将軍が処刑命令を出した
ヴァルシア王国軍司令部。
「……ルドルフ・ベルナー?」
ハインリヒ将軍は、報告書を読んでいた。
「はい」
副官が答えた。
「ルドルフ中尉が、敵国の使者と接触しました」
将軍の顔が険しくなった。
「……何のために?」
「停戦協議のためです」
沈黙。
次の瞬間。
「……裏切り者め!」
ハインリヒは机を叩いた。
「敵と勝手に交渉するとは!」
ルドルフの拘束を命じた使者が幕舎へ入ったとき、若い将校はすでに軍服の上着を脱いでいた。
「逃げるつもりか」
「いいえ。私の部下を巻き込まないためです」
「将軍の命令に逆らったな」
ルドルフは唇を噛んだ。
「飢えた兵を敵の村へ送れば、戦える者も守るべき者も死にます。停戦の話を聞くことが、なぜ罪なのですか」
使者は答えなかった。
幕舎の外では、兵士たちがじっと立っていた。
槍を向ける者はいない。
「中尉を連れていくなら、我々にも食料の行き先を教えてください」
一人の兵士が言った。
使者は立ち尽くした。
ルドルフは彼らを制した。
「命を捨てるな。私のために武器を抜くな」
彼の声は震えていた。
勇敢だったからではない。
怖くても、引き返せなくなったのだ。
副官は頭を下げた。
「しかし、彼は兵士たちの食料不足を解決しようと……」
「黙れ!」
将軍は怒鳴った。
「軍の命令を無視した者は、処罰せねばならん!」
そして、命じた。
「ルドルフを逮捕しろ!」
「……はい」
「抵抗するなら、処刑しても構わん!」
副官は青ざめた。
「……将軍」
「何だ!」
「ルドルフ中尉は、兵士たちから信頼されています」
「だからどうした!」
「彼を処刑すれば、さらに反乱が広がる恐れがあります」
ハインリヒは冷たく笑った。
「ならば、反乱者もまとめて処刑すればよい」
副官は言葉を失った。
その夜。
ルドルフの陣地。
「……逮捕命令?」
ルドルフが呟いた。
部下が頷いた。
「はい。将軍直属の部隊が向かっています」
ルドルフは目を閉じた。
「……そうか」
部下が尋ねた。
「どうしますか?」
ルドルフは答えた。
「……戦わない」
「しかし!」
「同じ国の兵士同士で殺し合って、何になる?」
部下は黙った。
ルドルフは続けた。
処刑命令はすぐには撤回されなかった。
ルドルフを囲む兵士たちも、将軍の報復を恐れていた。
それでも一人が前へ出た。
「中尉を渡せば、明日は俺たちが飢える番だ」次にもう一人。
列は少しずつ長くなった。
「俺たちは、食料が欲しいだけだ」
そのとき。
陣地の外から、声が響いた。
「ルドルフ中尉!」
将軍直属の兵士たちだった。
「逮捕命令だ! 出てこい!」
ルドルフは立ち上がった。
そして、剣を外した。
「……分かった」
部下たちが驚いた。
「中尉!」
ルドルフは静かに言った。
「俺が捕まることで、誰も死なずに済むなら、それでいい」
そして、陣地の外へ歩き出した。
だが、その姿を見た兵士たちが、次々と立ち上がった。
「……待ってください!」
「中尉を連れていくな!」
「俺たちは、何も間違ったことをしていない!」
数百人の兵士が、ルドルフの前に並んだ。
武器は抜いていない。
ただ、道を塞いでいた。
将軍直属の兵士たちは、足を止めた。
「……どけ!」
しかし、誰も動かなかった。
その夜。
ヴァルシア王国軍で、初めて大規模な命令拒否が起きた。
処刑命令の写しを受け取ったルドルフは、封蝋を指で潰した。
命令に従えば、自分の部下は生き延びるかもしれない。
逆らえば、反逆者になる。
「中尉、どうします」
副官の問いに、ルドルフはすぐには答えなかった。
「処刑される者の名簿を持ってこい」
そこには、昨日まで同じ鍋を囲んでいた若い将校の名があった。
「命令を伝えろ。処刑は執行しない。責任者は私だ」
副官の顔から血の気が引いた。
「将軍に殺されます」
「その前に、私が彼らを生かす」
ルドルフは剣帯を外し、机に置いた。
戦う勇気とは別の勇気が要ることを、初めて知った。




