第二十三話 敵軍十万が攻めてきたので、まず食料の量を計算することにした
国境の砦。
「敵軍、前進!」
見張りの兵士が叫んだ。
カールは城壁へ駆け上がった。
遠くの平原。
黒い帯のようなものが、地平線を覆っていた。
ヴァルシア王国軍。
総兵力、十万。
「……本当に来たか」
カールが呟いた。
隣にいたエリクは、言葉を失っていた。
「……あれが全部、兵士なのか?」
「ああ」
「……勝てるのか?」
悠真は、机の上に木片を十個並べた。
「一つが一万人だとします。仮に一人一日七百グラムの穀物相当を食べるなら、十万人で七十トン」
「七十トン……」
「これは大まかな目安です。馬の飼葉も、調理用の薪も、病人の分も入っていない」
カールは顔をしかめた。
「つまり、補給が途切れれば、戦う前に軍が崩れる」
「そうです。でも追い詰めすぎれば、兵士は村から奪うしかなくなる」
「敵の弱点を教えておいて、利用するなと言うのか?」
「利用の仕方を間違えれば、避難民が増えます」
エリクが地図を指さした。
「橋は守る。でも村の井戸は壊さない。敵が退く道も残す」
カールは長く沈黙したあと、命じた。
「避難路を最優先に確保しろ。戦場を、住民のいる場所へ広げるな」
その命令が正しいかどうか、まだ誰にも分からなかった。
カールは答えなかった。
正面から戦えば、勝ち目は薄い。
砦にいる兵士は三百人。
周辺から集めても、すぐに動かせる王国軍は数千人程度だった。
そのとき。
「……ちょっと待ってください」
悠真が口を開いた。
「何だ?」
「十万人って、一日にどれくらい食べるんですか?」
カールは眉をひそめた。
「……食料?」
「はい」
悠真は紙を広げた。
「仮に、一人が一日に乾燥穀物換算で七百グラム食べるとします」
エリクが首を傾げた。
「七百グラム?」
「食料の重さを比べるための目安だよ」
悠真は計算した。
十万人。
一人七百グラム。
「……七万キログラム」
カールが顔を上げた。
「……七万?」
「はい。一日で七十トンです」
沈黙。
悠真は続けた。
「十日なら七百トン。三十日なら二千百トン」
エリクが息を呑んだ。
「……そんなに?」
「しかも、これは兵士が食べる分だけです。馬の飼料や輸送中の損失、調理用の燃料などは別です」
カールは地図を見つめた。
「……つまり」
悠真は頷いた。
「敵軍は、食料を運び続けなければ動けません」
エリクが尋ねた。
「じゃあ、補給を止めればいいのか?」
「それだけじゃない」
悠真は答えた。
「敵は食料を奪うために来ているんでしょう?」
十万人という数字に、会議室は静まり返った。
悠真は推計を三つに分けた。
兵の食料、馬の飼料、傷病者と避難民の分。
「これは計画の数字です。実際の在庫はまだ確かめられていません」数字の横に、大きく「未確認」と書いた。
「ああ」
「だったら、こちらの村を占領しても、十万人を食べさせるほどの食料がすぐ手に入るとは限りません」
カールの目が細くなった。
「……なるほど」
悠真は続けた。
「畑に植わっているジャガイモは、収穫しなければ食べられません。トウモロコシも、成熟していなければ保存食にはなりません」
エリクは頷いた。
「それに、収穫した食料は村ごとに分けて保管している」
「そう」
悠真は地図を指さした。
「敵が村を奪っても、食料問題がすぐ解決するわけではありません」
カールは腕を組んだ。
「……だが、敵はそれを理解しているだろうか」
悠真は首を振った。
「分かりません」
そして、静かに言った。
「だからこそ、もう一度交渉する価値があります」
そのとき。
砦の鐘が鳴り響いた。
「敵軍、国境を突破!」
カールは剣を抜いた。
「全員、配置につけ!」
エリクも剣を握った。
だが、悠真は紙を見つめていた。
そこには、一つの数字が書かれていた。
一日、七十トン。
十万の軍勢を動かすために必要な食料。
そして、それこそが敵軍最大の弱点だった。
カールは七十トンという数字の下に、もう一本線を引いた。
「荷馬車一台に五百キロ積めたとして、一日分で百四十台。十日なら千四百台分だ。これは食料だけの話だな」
「はい。荷馬車を引く馬にも餌が必要です。雨で道がぬかるめば、運べる量も落ちます」
悠真は地図の細い街道を指でなぞった。
「十万人が一か所にいること自体が、補給を難しくします」
エリクが尋ねた。
「じゃあ、道を焼けば勝てるのか?」
「いいえ。逃げ道まで断てば、兵士は村から食料を奪います」
カールは伝令に告げた。
「橋を守れ。ただし避難民の通行を先にする。敵の負傷者が来ても井戸を塞ぐな」
命令を聞いた若い兵士が不安げに言った。
「敵を助けるのですか」
「村を戦場にしないためだ」
カールの声は強かった。
だがその夜、彼は地図の前で一人、命令の代償を考え続けた。




