第二十話 敵国にジャガイモを渡したら、十万の軍勢を率いる将軍が怒り始めた
ヴァルシア王国。
北部軍司令部。
「……何だと!?」
ハインリヒ将軍は、報告書を机に叩きつけた。
「我が軍の兵士が、敵国から食料を受け取っただと!?」
副官が頭を下げた。
「はい。国境の現地協議による試験的な引き渡しです」
「愚か者め!」
ハインリヒは怒鳴った。
「敵から食料を受け取るなど、軍人の恥だ!」
副官は黙っていた。
将軍は続けた。
「しかも、種芋だと?」
「はい。植えれば増える作物だそうです」
「……増える?」
ハインリヒの目が細くなった。
副官は説明した。
「ジャガイモという作物で、麦よりも収量が多い場合があるとのことです」
将軍は考え込んだ。
「……なるほど」
そして、冷たく笑った。
「ならば、その作物を奪えばよい」
副官が顔を上げた。
「……奪う?」
「そうだ」
ハインリヒは地図を広げた。
「アルディナ王国の北西部には、新しい作物を大量に育てている村があるそうだな」
「はい」
「ならば、そこを占領する」
副官は息を呑んだ。
「……戦争を始めるのですか?」
将軍は当然のように答えた。
「食料がなければ、軍は動けん」
そして、地図の上に指を置いた。
「食料を確保するための戦争だ」
副官は青ざめたまま地図を見た。
「閣下。十万を集めれば、進軍する前から膨大な糧食が必要です。すでに北部の倉庫は……」
「分かっている!」
将軍は怒鳴ったが、指先は地図の上で止まった。
戦えば食料を得られる。
だが、戦うためにも食料が要る。
副官はなおも言った。
「種芋を奪っても、すぐには食べられません。畑を踏み荒らせば次の収穫も失われます」
ハインリヒは顔をしかめた。
「では、飢えた兵に何を命じろと言うのだ」
副官は答えられなかった。
その沈黙こそが、将軍を最も苛立たせた。
補給担当官が進み出た。
「閣下、軍を十万に増やせば、今の糧秣では進軍中に不足します。馬車を増やせば馬の飼料も必要です」
「敵の倉庫を奪えばよい」
「倉庫が空なら、退く兵の食料も残りません。せめて先遣隊に倉庫の位置と在庫を確かめさせてください」
ハインリヒは報告書を押し返した。
「偵察は許す。だが、動員は止めん」
将軍は机上の地図から目をそらさなかった。
自分の国で飢える家族を持つ兵士が、敵国の畑を踏み荒らす。
その矛盾を知ってなお、撤回する言葉を見つけられなかった。
「十万の軍勢を動員する準備を始めろ」
「……十万!?」
「そうだ」
ハインリヒは笑った。
「敵国の畑を奪い、我が国の食料不足を解決する」
その命令は、王国中の軍へ伝えられた。
しかし、国境の小さな村では、ヴァルシア兵たちがジャガイモの芽を見つめていた。
「……本当に出たな」
「これなら、村の家族にも食べさせられるかもしれない」
「戦争なんて、しなくてもいいんじゃないか?」
一人の兵士が呟いた。
誰も答えなかった。
だが、その言葉は、確かに彼らの胸に残った。




